3-8 壁を越えて

「壁を越えて国に……ですか」


 ユイトの唱えた説を、マイヤはそう復唱していた。


 トランシール公国に戻ってきた時、検問官の彼女はちょうど検問所の前で立哨をしていた。それでユイトは自分の推理を伝えたのである。


「つまり、異種族が壁を登って国内に侵入し、結界に阻まれることなく殺人を犯した、ということですか?」


「大雑把に言えばそうですね」


 実際のところ、自身の想定とは異なっている部分もあった。しかし、それは議論しながらすり合わせていけばいいだろう。


 熟考の末、マイヤは再び口を開く。


「検問官としての意見を述べさせていただくなら、その説には少なくとも問題点が三つあります」


 気持ちを引き締めるためなのか、彼女は具体的な説明に入る前に眼鏡のずれを直していた。


「一つ目は壁の大きさです。これだけ高いと、強化魔法を使っても登りきるのは難しいでしょう」


「断崖絶壁を素手で登ったり、人類の登攀能力は意外にもかなり高いんですよ」


 元の世界の人間ですら、わずかな凹凸に指をかけることで、垂直に切り立ったような岩肌を登るフリークライミングが可能だった。強化魔法を使えるこの世界の人間なら尚更である。


 しかも、この世界には人間以上に器用だったり、人間以上に強化魔法が得意だったりする種族までいるくらいだった。


「ロレーナ君はどう?」


「十分可能だと思いますよ」


 ウェアウルフの彼女は自信満々に即答する。勇者の唱える説だから盲目的に肯定しているという風ではなかった。


「この通り、人間には難しくても、強化魔法が得意な種族なら無理ということはないでしょう。リザードマンみたいに、壁を登るのが得意な種族だっていますしね」


 リザードマンはトカゲやヤモリを大きくして二足歩行にしたような種族である。単に外見が似ているだけでなく、手の平にはヤモリと同じで趾下薄板しかはくばんと呼ばれる器官まで備えている。


 この趾下薄板は、ごく微細な毛が密集したもので、物体に吸着する力――いわゆるファンデルワールス力(分子間力)を生み出す作用がある。そのため、リザードマンやヤモリは、ガラス板のようなつるつると滑らかなものにさえ張りつくことができるのだ。


「孤立を目指すあまり、異種族の性質について疎くなってしまって、盲点になっていたのではありませんか?」


「それは否定できませんが……」


 マイヤは歯切れ悪くそう答えた。対立関係にあるウェアウルフはともかく、リザードマンの特徴については詳しくなかったようだ。


「それでも壁をよじ登ること自体は想定された侵入ルートです。ヴァンパイアも強化魔法は得意ですから。

 そこで我々検問官は壁にやぐらを併設して、昼夜を問わず壁やその付近の監視を行っています。これが二つ目の問題点です」


 壁と壁を繋ぐように、その間には一定間隔で塔のような建物が建てられていた。塔の最上部には日除けのための屋根が広がり、その下には監視や出動のための大きな窓が開かれている。


 この櫓の問題については、ロレーナが再反論した。


「かなり間隔が広いように思えますが」


「視力を強化しますし、双眼鏡も使うので、見落とすことはまずないでしょう」


「でも、人のやることですから絶対とは言い切れないですよね?」


「その通りです。ですから、その場合も想定しております」


 マイヤはごく冷静にそう答えた。事実、彼女は最初から、「問題点は三つある」と主張していた。


「三つ目はヴァンパイアだけでなく、コウモリも見張りをしているということです」


「コウモリ?」


 完全に予想外だったらしい。ロレーナはすっとんきょうな声で聞き返していた。


「壁のあちこちに木箱が設置されていて、コウモリが巣にできるようになっています。そのため、侵入者が近づけば飛び立って逃げたり、攻撃のために群がったりするので、非常に目立つことになります」


 マイヤにそう説明されても、ロレーナの表情にはまだ驚きが浮かんだままだった。


 しかし、監視に動物を利用するという考え方自体は、さほど珍しいものではないだろう。ユイトが元いた世界でも一般的だった。


「番犬ならぬ番コウモリですよね?」


「勇者様はさすがにお詳しいですね」


 マイヤは感心したように答える。


 だが、たとえ勇者が相手だろうと、反論を取り下げるつもりはないようだった。


「以上の理由により、壁を登って国内に侵入するのは不可能かと思われます」


 理屈の上では確かにマイヤが正しいのかもしれない。けれど、実際に自分の目で確かめたわけではない。だから、ユイトは安易に彼女の意見を受け入れる気にはなれなかった。


 そんな内心を気取られたようで、ロレーナが申し出てくる。


「私が実験してみましょうか?」


「そうだね……」


 ありがたい話ではあるものの、即断することはできなかった。


「コウモリは小さかったですよね?」


「あくまでも侵入者を知らせるためですから、噛まれても大した傷にはならないかと」


 不安がるユイトに対して、マイヤはそう請け合った。


 また、怪我の話が出ても、ロレーナは乗り気のままだった。


「再生力なら自信はありますよ」


「それじゃあ、念のためにお願いしようかな」


 負傷のリスクがあるのは気がかりである。しかし、事件解決のために、壁の封鎖性がどれほどのものか確認しておきたい気持ちもあった。


「では、お待ちください。監視の者に連絡しますので」


 マイヤは検問所内にいる部下に実験を行うことを説明する。その部下が、さらに監視の人員たちに話を伝えに行く。


 連絡が行き届くまで、ただ待つのも時間の無駄だと思ったのかもしれない。ロレーナはマイヤに対しても事情聴取を始めていた。


「検問官ということは、マイヤさんは孤立派ということですか?」


「恥ずかしながら、自分には政治のことはよく分かりません。あくまで職務を遂行しているだけです」


「しかし、ご自分で選ばれた職業ですよね?」


「それはそうですが」


 誰もが志を持って職につくわけではない。賃金や労働時間で仕事を選ぶ者もいる。彼女はそう言いたげだった。


「外国への渡航経験は?」


「ありません。特に興味がないので」


 今度は遠出や旅行が嫌いな者もいるとでも言いたげだった。


 マイヤに関しては、以前カルメラから少しだけ話を聞いていた。その時のことをロレーナは思い出したらしい。


「亡くなったヴラディウス・ドラクリヤの推薦で検問官になったそうですね」


「試験を受けるように薦められたのは事実です。国の仕事だから安定している、と。氏のおかげで合格したのかまでは分かりませんが」


 実際のところはともかく、議会の重鎮であるヴラディウスなら、裏から手を回すことはできたはずだろう。


 ただ捜査への協力を担当したり、部下に指示を出したり、マイヤはそれなりの地位にいるようだった。実力で検問官になったと考えた方が自然ではないだろうか。


 もっとも、その出世すら、ヴラディウスが手を回した結果なのかもしれない。ロレーナはそう考えたようだった。


「あなたが実はヴラディウス・ドラクリヤの隠し子だという話も聞きましたが」


「父なし子にはよく付きまとう噂です。単親家庭や孤児を支援する一方で、女性関係が派手な方でしたから」


「その二つは本当に無関係だと思いますか?」


「職場では低姿勢に振る舞うのに、家庭では暴君に豹変するという風に、公での顔と私生活での顔が違うというのは珍しいことではないでしょう」


 生徒から慕われる教師なのに、自分の子供には反抗されている。圧政を敷いて民衆を苦しめた王が、ペットが死んだ時には涙に暮れた…… この世界でも、元いた世界でも、ユイトは似たような話を耳にしたことがあった。


「それに、特に単親家庭の支援に力を入れていただけで、刑余者や障害者など他にもさまざまな支援をされていましたから」


「僕の魔王討伐の旅も援助してくれていたね」


 マイヤの言うように、公私は別という人だったのではないか。ユイトはそう同調していた。


 また、仮にマイヤが孤立派や隠し子だったとしたら、ヴラディウスたちを殺す動機は薄くなるだろう。それに気づいたようで、ロレーナもこれ以上この説を主張することはなかった。


「準備が整ったようです」


 櫓に立つ検問官が手を振ったのを確認して、マイヤは二人にそう告げた。


 ユイトが念のために「気をつけてね」と声を掛けると、ロレーナは「はい」と答える。


 そうして彼女は壁を登り始めたのだった。


 出発前に、ロレーナは手足を狼風に変身させていた。切り立った岩の壁に爪を立てて、無理矢理手がかり足がかりを作るためである。


 また、ウェアウルフは変身魔法が使える以外に強化魔法も得意だった。だから、爪以外に強化した握力でも体を支える。さらには腕力や脚力も強化して、まるで走るかのように素早く壁を登っていく。


 彼女が宣言していた通り、登攀すること自体には何の問題もなさそうだった。この調子なら、すぐにでも最上部まで登りきることができるだろう。


 問題は、検問官たちの監視を逃れられるかということである。


 壁を半分ほど登ったところで、例の巣箱のそばを横切ってしまったようだ。一部のコウモリが壁から飛び立っていく。さらに一部はロレーナを攻撃すべく、彼女の周りを飛び回っていた。


 しかも、それに影響されて、他の巣箱のコウモリも動き出していた。ロレーナを中心に、黒い塊のようなものが形作られ、それがどんどん大きくなっていく。


「かなり目立ちますね……」


「体温維持のために群れを作るのが基本だそうです」


 マイヤのした説明には、ユイトも聞き覚えがあった。


 洞窟の天井一面に張りつくコウモリの姿がしばし話題になるが、あれは群れを作ることで体温が下がるのを防止するのが目的の一つだという。自力で体の熱をまかなうには大量のエネルギーを使うことになるので、ああして体温で温め合って熱が逃げるのを防いでいるのだそうである。


「確か、ヴァンパイアにはコウモリの鳴き声が聞こえるんですよね?」


「そうです。その問題もあります」


 コウモリの鳴き声は、周波数が高いいわゆる超音波である。可聴域の狭い人間には基本的に聞き取れない。しかし、ヴァンパイアはそうではなかった。


 そのため、ロレーナの周りを飛ぶコウモリの声も、マイヤや監視の検問官たちの耳にははっきりと届いていることだろう。視覚だけならまだしも、聴覚まで関わってくるのに、侵入者に気づけないというのはさすがに考えにくい。


 もうこれ以上、実験を続ける意味はないだろう。そう判断して、ユイトは声を掛ける。


 すると、ロレーナは壁から手を離していた。コウモリを振り払うため、彼女は下まで一気に飛び降りたのだ。


 強化魔法が得意な種族とはいえ、ヴァンパイアほど極端に再生力が高いわけではない。「大丈夫かい?」「ええ」などとやりとりしながら、ユイトはロレーナの傷を消毒する。


 また、その治療の間、コウモリが群がって目立つので、気づかれずに登りきるのは難しいということも伝えた。


 しかし、ロレーナは登攀説を諦めなかった。


「実は番犬は意外と役に立たないんですよね」


「そうなのですか?」


「大抵の犬は餌でも使えば簡単に手なづけられるんですよ」


 ロレーナの話を聞いて、マイヤが視線を送ってくる。ユイトは「泥棒がたまに使う手ですね」と補足していた。


 警察犬のようによほど厳しく訓練されていないかぎり、犬は簡単に食欲に屈してしまうのだと聞いたことがあった。だから、手間やリスクを考えて避けているだけで、泥棒が本気で侵入する気になったら、番犬は役に立たないのだそうである。


「それで、番コウモリの方はどうなのでしょう?」


「犬と違って知能が低いですから、なつくことはないと思いますよ」


 実際、マイヤたちは壁に木箱を設置して、コウモリが巣にできるようにしているだけだった。番犬のようにしつけや訓練を施しているわけではない。


「何かコウモリを避ける方法はありませんか?」


「一応、煙や音で追い払うことはできますが」


「結局目立ってしまうわけですか……」


 そうなれば本末転倒だろう。反論され続けたことで、ロレーナはとうとうトーンダウンしていた。


「コウモリの群れを突破して、強引に壁を登るだけなら可能かもしれません。しかし、監視に気づかれずに登るのは不可能かと思います」


 マイヤは念を押すように改めてそう主張する。


 しかし、ユイトが自説を撤回することはなかった。


「僕が元々想定していたのは壁を越えることです。壁を登ることではありません」


 実行された可能性を否定できないから、確認の意味で登攀説も検証しただけだった。ユイトの本命は別にあったのだ。


 だが、そう言われても何のことか分からなかったらしい。マイヤはただ訝しげな顔をするだけだった。


 どうも彼女は「壁を越える=壁を登る」という固定観念に囚われてしまっているようだ。いや、異種族への偏見に囚われてしまっていると言うべきかもしれない。


「登らないなら、どうするんですか?」


 ロレーナにも偏見があるのか、彼女はそう尋ねてくる。


 だから、ユイトは高い壁よりもさらに高い場所を指差した。


「飛ぶんだよ」

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