3-6 ジョシュアの証言

 人間とヴァンパイアの文化の違いなのか、個人と個人の性格の違いなのか。ヴラディウスやルースヴェインたちのそれに比べて、ジョシュアの屋敷はよく言えば質実剛健、悪く言えば地味なものだった。


 外観と同様に、二人が使用人に案内された部屋も飾り気がほとんどなかった。ただし、これは応接室ではなく、執務室に通されたことも原因だろう。


「すみませんな。仕事が立て込んでおりまして」


「こちらこそ、お忙しい中ご迷惑をおかけします」


 そうしてユイトと挨拶を交わす間にも、ジョシュアはちらちらと書類を気にしていた。以前の礼儀正しい接し方を考えると、よほど議員の仕事で忙しいようだ。


 しかし、ジョシュアは事件のことも疎かにする気はないらしい。


「ルースヴェインさんまで亡くなられたというのは本当ですか?」


「ええ、僕の力が及ばず、申し訳ありません」


「そうですか……」


 ジョシュアは手を止めて考え込む。政治的影響を予想しているのだろうか。あるいは、知人の死を悼んでいるのだろうか……


 そんな彼に構うことなく、ロレーナは事情聴取を開始する。


「犯行時刻の午後二時には何をされていましたか?」


「ちょうど議会に出席しておりました。犯行は不可能です」


 無実を証明して、早く仕事に集中したいのだろう。ジョシュアはすっぱりとそう断じる。


 しかし、ロレーナはこの回答に噛みついていた。


「第一の事件の時も、同じようにお答えでしたよね?」


「アリバイが完璧過ぎるとでもおっしゃいますか?」


「人を雇って殺させるなら、アリバイのある時にするでしょうからね」


「なるほど。もっともですな」


 非礼な疑惑をかけられたにもかかわらず、ジョシュアは鷹揚に受け入れる。それでも自分の潔白は揺るがないという自信があるのだ。


「しかし、私は亡くなった二人と同じ孤立派です。動機がないでしょう」


「仕事でトラブルは?」


「ありませんな。他の議員の方に確認してくださっても結構ですよ」


 実を言えば、ジョシュアの屋敷に来る前に、すでに人間側の他の議員に簡単な聴取を行っていた。彼らの話によると、ほとんど旧来からの体制の維持を続けているだけなので、ヴァンパイア側の議員たちとの間に特に外交上の問題は起きていないとのことだった。


「プライベートはどうですか?」


「そもそもかかわること自体なかったですよ。私は国に入ることができませんし、彼らも出てきませんでしたから」


 これもすでに確認済みのことだった。検問所の記録では、ヴラディウスもルースヴェインも過去に一度も国外へ渡航した形跡がなかった。また、ジョシュアは言うまでもなく、検問に阻まれて入国できなかったはずだろう。


 その時、部屋にノックの音が響いた。


「お飲み物の用意ができました」


「ああ、ありがとう」


 ジョシュアが促すと、使用人が執務室に入ってくる。使用人は会釈と共に、それぞれの前にコーヒーを並べていった。


 ロレーナはカップを手に取るが、しかし口をつけることはなかった。ウェアウルフはカフェインに弱いからだろう。


 だが、ジョシュアもそんなことは承知の上で用意させたようだった。


「ロレーナさんも飲めますよ」


「もしかして、大麦コーヒーですか?」


「ウェアウルフの方なら分かりますか」


 大麦コーヒーとは、焙煎した大麦を使って淹れる飲み物のことである。香ばしい味が似ていることから名前にコーヒーとつく。


 タンポポやドングリなど、他の代用コーヒーと同じように、大麦コーヒーにもカフェインは含まれていない。そのため、ウェアウルフの間では紅茶に代わるハーブティーと並んで、大麦コーヒーがよく飲まれているのだった。


 その生活習慣に加えて、ウェアウルフ特有の優れた嗅覚によって、ロレーナは普通のコーヒーと大麦コーヒーの違いを嗅ぎ分けることができたのだろう。


「人間の方も飲まれるのですね」


「最近、胃の調子が悪くて。医者に聞いたら、コーヒーの飲み過ぎじゃないかと言われましてな」


 ロレーナの疑問に、ジョシュアは丸い腹をさすりながら答えた。


 これも異種族について知ってもらういい機会だろうと、ユイトは詳しい説明を始める。


「カフェインの取り過ぎは、実は人間にも良くないんだよ」


「そうなんですか?」


「子供なんかは特に影響が大きいね。だから、妊婦さんなんかも大麦コーヒーを飲むことがあるよ」


 適度な量のカフェインは消化を助けると言われている一方、過剰な摂取は下痢、吐き気、不眠、眩暈などの原因となる。妊婦の場合は、早産や流産・死産に繋がる恐れもあるとされている。ユイトはそんな説明もしたのだった。


 事情聴取のせいで仕事にならないので、この時間を休憩に充てることにしたらしい。ジョシュアは使用人に命じて、お菓子の用意もさせる。


 しかし、その前に、彼はロレーナに確認を取っていた。


「ウェアウルフはチョコレートも食べられないのでしたよね?」


「そうですね」


「では、クッキーを用意させましょう」


 ジョシュアの指示で、すぐに言った通りのものがテーブルに並べられた。


「『スナック・オア・スイート』という店の人気商品でしてね」


「確かに美味しいですね」


 ユイトは社交辞令で褒めたわけではなかった。くどくない上品な甘さに、さくさくと軽い食感で、いくらでも食べられそうだった。


「でしょう? だから、つい食べ過ぎてしまって」


 太ってしまった、ということだろう。ジョシュアはまた丸い腹をさすっていた。


「ロレーナ君は?」


「ええ、美味しいですよ」


 やはり大食いで早食いのようだ。ユイトが声を掛けた時、ロレーナの分のクッキーはもうほとんどなくなっていた。それだけ美味しかったということもあるのだろうが。


「それはよかった」


 ジョシュアはまず驚きに目を見開くと、次には微笑ましげに目を細めていた。


 ただロレーナがすぐに食べ終えたのには、早く聴取を再開したいという気持ちもあったのかもしれない。


「ジョシュアさんは、ウェアウルフについてもお詳しいんですね」


「職業柄、異種族と関わる可能性がありますから、知識不足で事故を招かないように最低限の勉強はしているつもりです。ハーピーはアボカドを食べられないですとか、リザードマンは寒さに弱いですとか」


「それでも孤立派なんですか」


「言い換えれば、異種族との融和には、勉強や配慮が不可欠だということですからな。闇雲に推進したところで、問題が起こるだけでしょう」


 実際、事故防止のために、ベルデの警護にルドルフがついていた。ヴァンパイアに関する正確な知識がもっと普及していたら、わざわざそんなことをする必要はないだろう。


 このジョシュアの主張を聞いて、ユイトは思い出すことがあった。


「以前にも、ヴァンパイアの孤立はお互いのためだとおっしゃっておられましたね」


「日中活動できないという致命的な弱点があること、繁殖力が極めて低く人口が少ないこと、日光の効かないダンピール(ハーフヴァンパイア)がヴァンパイアハンターになりかねないこと……

 戦争で不利なヴァンパイアが、人間を恐れて遠ざけたがるのは無理なからぬことです。必要悪というものですよ」


 また、ジョシュアは以前、「人間側からしても、強化魔法も属性魔法も得意なヴァンパイアは脅威的」「後天的にヴァンパイアに変えられることへの恐怖心が人間にはある」とも言っていた。


 孤立派といっても、やはり衝突や戦争を回避するために、消極的に孤立を支持しているだけというのが実情のようだ。


 異種族のロレーナからすれば、ジョシュアの態度は比較的好感が持てるものだろう。少なくとも、嫌うほどの理由はないはずである。


 しかし、彼女はそれよりも憲兵としての立場を優先していた。


「同じ孤立派でも、亡くなった二人には異種族への差別的な感情があったような印象がありますが、いかがですか?」


「……私自身も見下された態度を取られていましたから、わだかまりが一切なかったとは言えませんな」


 議員という立場から抑えているだけで、内心では憤りを覚えていたのだろう。ジョシュアはこわばった顔でそう認めた。


 もっとも、認めたのは動機があることだけだった。


「ですが、どんな方法で検問を抜けたとおっしゃるのですか?」


「ヴァンパイアとの会談を、検問所の中で行っていたというのは事実ですか?」


「彼らは国から出たがらない上に、私が国に入るのも嫌がられましたから。その妥協案ということですな」


「では、検問官とは接点があるわけですね?」


「ああ、買収を疑っていらっしゃるのですか。仮に観光目的で密入国したいと嘘の説明しておいたところで、密室殺人事件が起きれば人間の私の犯行だと気づくでしょう。たとえ罰せられるとしても、検問官たち全員が買収されたことを黙っているとはとても思えませんな」


 かといって、「二人を殺害するという目的に同意した上で、検問官たちが買収に応じた」というのはもっと無理があるだろう。


 職務の内容から、検問官には孤立派のヴァンパイアが就くことがほとんどである。人間で消極的孤立派のジョシュアを、ヴァンパイアで積極的孤立派のヴラディウスたちより優先するとは考えにくい。


「同じ理由で、ルドルフ君にも買収は無理でしょう」


「議員のジョシュアさんほど稼げていないでしょうしね」


 冗談めかしつつ、ユイトはそう同意する。


 しかし、ジョシュアは笑わなかった。それも冗談がつまらないせいではなかった。


「どうでしょうか。彼の家は豪商ですからな」


「そうなんですか?」


「本人からは?」


「何も聞いていません」


「七光り扱いされたくなかったんでしょうかな」


 不審がるユイトのために、ジョシュアはそう一応の説明をつけた。


 それに買収が難しいのは先程話し合った通りである。仮にルドルフが大金を持っていたとしても、犯行は不可能だったろう。


 だから、殺人の方法に関しては、ロレーナも一旦脇に置くことにしたようだった。


「融和派としてのルドルフ・ラーフはどうですか? 動機になりうるものがあると思いますか?」


「熱心なのは認めますが、考えが浅いのは確かですな。親御さんにも、ただの道楽だと思われているくらいですし。さすがに殺人に飛びつくほど短慮ではないと思いますが……」


 ジョシュアは言葉を選びながら答えた。もっと勉強するべきだという気持ちが半分、若いから仕方ないという気持ちがもう半分といったところだろうか。


「彼の両親は活動に反対しているんですか?」


「孤立派だからというよりは、子供のことが心配なのでしょう。融和派として活動していると、嫌がらせを受けることもありますから。

 これは本人には秘密にしておいてほしいのですが、私も親御さんからルドルフ君のことを頼まれておりまして」


 毒入りワイン事件のことを知らなかったせいで、カルメラたちから嘲笑を受けた時、ジョシュアはルドルフのことをかばっていた。あれには豪商のラーフ家に対する打算もあったのかもしれない。


 最後に、ロレーナは脇に置いていた問題について改めて触れた。


「ジョシュアさんは、どんな方法を使えば検問を突破できると思いますか?」


「孤立派として、普段から抜け道がないかいろいろ考えてきたつもりです。しかし、私にも、ルドルフ君にも、いや誰にも無理でしょう」


 ジョシュアは強い確信を持って断言する。


「人間がヴァンパイアの国に侵入するのは不可能です」

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