1-9 夜の国へ

 時刻が完全に夜に切り替わった頃、ユイトたちはようやくトランシール公国に到着した。


 異種族の侵入を阻止するために設置された、公国を覆う石の壁。


 さらに数少ない出入口は、入国希望者がヴァンパイアか否かを判別するための検問所と一体化している。


 そして、その検問所の前には大勢の人影があった。


 出迎えをするために、ヴァンパイアたちが整列していたのだ。


「お待ちしておりました、勇者様」


 代表者の言葉で、他のヴァンパイアたちも一斉に頭を下げる。明らかに訓練された、整然とした動きだった。


 この挨拶に、ユイトは「これはわざわざどうも」とだけ返す。上から物を言っているわけではなく、言外に「楽にしてもらっていい」と伝えるためである。


 しかし、代表者はあくまで折り目正しく名乗った。


「事件を担当する、カルメラ・カーンスタインです。よろしくお願いいたします」


「ユイト・サトウです」


 同世代か、少し年上くらいだろうか。背はすらりと高く、体つきは豊満である。相手が勇者なので愛想よく振る舞ってはいるが、目つきの鋭さは隠しきれていない。元の世界で言えば、キャリアウーマンという風な容姿だった。


 もっとも、カルメラはヴァンパイアなのである。外見が三十前後ということは、実年齢は三百歳前後ということになるだろう。少し年上どころの話ではない。


「勇者様のご高名はかねがね伺っております。毒入りワイン事件の解決はお見事でした」


「人間の間では結構有名な知識ですから。最初に僕のところに話が来たってだけですよ」


 握手を交わしながら、二人は同時にそんな会話も交わしていた。


「毒入りワイン事件というのは何でしょうか?」


「…………」


 ルドルフの質問に、カルメラは何も答えなかった。彼の声の大きさから言って、聞こえなかったとは思えないが……


 結局、ジョシュアが代わりに説明を始めていた。


「パーティーで振る舞われたワインにニンニク類の毒が混入されていて、参加者の多数が亡くなったという事件だよ。

 参加者全員が中毒の症状を訴えたことから、当初は外部犯の仕業か、内部犯による一種の無理心中だと思われていた。けれど、参加者の中に一人だけ、複数人の相手を殺す動機を持つ男がいて、しかもその男の症状は比較的軽い方だった。

 そこで憲兵隊が勇者様に事件について相談したところ、犯人が生き残った方法を考え出してくださったんだ」


 最初はなから推理する気がないのか、推理できないと即断したのか。ルドルフはすぐにユイトに尋ねる。


「一体どんなトリックだったんですか?」


「ルドルフ君は『ニンニクの吸収を阻害するから、口臭対策に牛乳を飲むといい』って話を聞いたことがない?」


「それじゃあ、もしかして……」


「犯人は事前に牛乳を大量に飲んでいたんだよ。それで毒の吸収をある程度抑えたんだ。

 牛乳が具体的にどれくらい有効か検証されてるわけじゃないから、犯人にとっても半分賭けだったようだけどね。それがかえって憲兵への目眩ましになったみたい」


 ただし、それも一時しのぎにしかならなかった。憲兵の捜査により、実際に容疑者の男が事件直前に牛乳を大量に購入していたことが発覚した。この事実を根拠に尋問したところ、男は最終的に罪を認めたのである。


「ヴァンパイアの警護をするなら、これくらい勉強しておきなさい」


「すみません」


 ジョシュアに説教されて、ルドルフはばつが悪そうな顔をする。


 たとえば、ヴァンパイアがうっかりニンニク類を食べてしまった時でも、牛乳を飲ませれば中毒症状を和らげることができる。ジョシュアが言うように、生死を分かつような場面で役に立つ知識だと言えるだろう。


 そんな二人のやりとりを聞いて、カルメラらヴァンパイアたちの間からは失笑が起こっていた。雰囲気からいえば、嘲笑と言ってもいいくらいかもしれない。


「皆さんと比べたら、ルドルフ君はずっと若いですから」


 そう言ってヴァンパイアたちをたしなめたのは、説教をしたジョシュア本人だった。


「それでは勇者様のご案内が済みましたので、我々はこれで失礼させていただきます」


 ジョシュアはまたそうも言って、半ば強引に話を打ち切ってしまう。


 まるでルドルフが再び嘲笑の的になるのを防ごうとしているかのようだった。


「事件に関して、いずれお話を伺うことがあるかもしれません。その時はまたよろしくお願いします」


「そうならないことを祈っていますよ」


 すぐに事件を解決してほしいという意味なのか、それとも自分に疑いを向けるなという意味なのか。ジョシュアは曖昧な答え方をする。


 ユイトは前者だと受け取っておくことにした。


「早期解決できるように努めます」


「勇者様なら可能だと信じております」


 ジョシュアはきっぱりとそう断言した。今度の返答には、皮肉や嫌味は込められていなさそうだった。


「ルドルフ君、行こう」


「は、はい」


 ジョシュアの歩調に合わせて、ルドルフも足早に馬車へと乗り込んだ。


 また、そんな二人につられたように御者たちも出発を急ぐ。誰も彼もこれ以上長居をして、ヴァンパイアと争いになるのを避けたがっているようだった。


 しかし、ジョシュアら人間たちが去ったところで、この場からヴァンパイアの忌み嫌う異種族がいなくなったわけではなかった。


「そちらがウェアウルフの?」


「ロレーナ・タルバートです。この度はどうぞよろしくお願いします」


 そう名乗って、ロレーナはカルメラに右手を差し出す。


「ああ、よろしく」


 ユイトに対するものと比べて、カルメラの口調はあからさまにおざなりだった。握手に至っては完全に無視していたほどである。


 その上、カルメラはすぐにユイトの方を向いたのだった。


「到着したばかりで申し訳ありませんが、国の一大事ですから勇者様にはすぐにでも捜査に取りかかっていただけたらと思います。まず入国のために検問でチェックを受けていただけますか?」


「検問はヴァンパイアであることを証明するものですよね? 異世界人の僕はどうしたら?」


「勇者様であることを証明していただければ」


 魔王を討伐した時の話でもすればいいのだろうか。ユイトはそんなことを考えたが、この予想ははずれだったらしい。カルメラは部下たちに合図を送っていた。


 数人がかりの大荷物が、ユイトの前に運ばれてくる。けれど、上には布が被せられていて、具体的に何かまでは分からない。


 カルメラが布を取ると、四つの眼がユイトを睨んだ。


「ダークドラゴンの首です」


 黒い鱗に、灰色の肌、白く尖った牙。四つもある眼はどれも赤く不気味に輝き、死してなおおどろおどろしい視線を向けてくるのだった。


「ご存じかとは思いますが、ダークドラゴンは非常に硬い鱗を持ちます。この首も精鋭たちが束になってやっと切り落としたものです。

 しかし、魔王の闇魔法で改造されたモンスターであるために光魔法が弱点です。本物の勇者様なら簡単に破壊できることでしょう」


 光魔法は闇魔法に対して特効力を持つ。また、勇者の他には使い手がいないとされている。確かに、勇者であることを証明するものとしては十分だろう。


 魔王討伐の旅をしている時には、ダークドラゴンと一対一で戦って、勝利を収めたこともあった。生きている個体ですら倒せたのだから、死体が相手なら苦戦する理由はない。


 と言いたいところだが……


「どうだろう。久しぶりだからなぁ」


 魔王戦以来、ずっと戦闘から退いていた。それも魔王戦で後遺症を負ったことが原因だった。かつてダークドラゴンと戦った時よりも、今回の方がむしろ難易度は上がってしまっているかもしれない。


 そんな弱音を吐きながら、ユイトはついていたステッキを掲げる。このステッキは仕込み杖になっていて、中に剣が収められているのだ。


 ステッキから細身の剣を引き抜く。剣を構えた状態で一呼吸置く。


 そして、真っ直ぐに振り下ろした。


 白刃の閃きは、光魔法の輝きを伴って、いっそうあたりを明るく照らす。


 あたかも闇に光が差したかのように、ユイトの剣はダークドラゴンの頭を一刀両断せしめたのだった。


「おおっ!」


「お見事!」


「さすが勇者様!」


 ヴァンパイアたちの間から、大きな歓声と拍手が湧き起こる。まるで優れた舞台劇を観終わった直後のような反応だった。


「申し訳ありません。見世物のような真似をさせてしまって。部下たちがどうしても勇者様のお力を見てみたいと申すものですから」


「それなら尚更上手くいってよかったです」


 後遺症からユイトが使用を控えていること。孤立主義からヴァンパイアたちが国外に出ないこと。この二点が合わさって、彼らが光魔法を目にする機会はめったになかった。


 そのため、今回の試し斬りにはよほどの期待をかけていたらしい。謝ってきたカルメラですら、笑みを浮かべるのを抑えきれていなかった。失敗せずに済んだことに、ユイトは内心安堵する。


 ユイトのチェックが済んだので、今度はロレーナの番になった。


 公国に入国するために、ユイトは自身が勇者であることを証明した。だから、ロレーナは同じことをするべきだと考えたようだった。


「私はウェアウルフであることを証明すればよろしいでしょうか?」


「そうなるな」


「では、狼に変身しましょうか?」


「ああ、それで芸でもしてもらおうか」


 カルメラが揶揄するように命じる。途端に、ヴァンパイアたちからは哄笑が起こった。


 ウェアウルフを犬扱いするのは、人間を猿扱いするようなものである。あるいは、リザードマンをトカゲ扱いしたり、トレントを木扱いしたり、ハーピーを鳥扱いしたり、マーメイドを魚扱いしたりするようなものである。文脈にもよるが、基本的には侮辱的な表現になると考えていい。


「お望みなら穴でも掘りましょう。コウモリは穴蔵が好きですからね」


「貴様!」


 コウモリ扱いはヴァンパイアに対する侮辱表現である。だから、当然カルメラはいきり立っていた。


 しかし、激昂しているのはロレーナも同じだった。


 爪が長く鋭く伸びて尖る。指や手が銀灰色の体毛に覆われる。腕だけを狼のそれに変身させたのだ。


「それとも、どてっ腹に穴でも開けて差し上げましょうか?」


 脅しをかけるように、ロレーナは腕を突き出して狼風の爪を見せつける。


 だが、その腕をユイトが掴むのだった。


「ロレーナ君、いくら相手が先に挑発してきたからといって、暴力に訴えるのはよくない」


「…………」


 第三者からの忠告を受けると、さすがに多少は冷静さを取り戻したらしい。ロレーナはばつが悪そうに腕を下ろす。変身も解除していた。


 けれど、この様子を目にしたことで、カルメラらヴァンパイアたちの間からは再び哄笑が起こるのだった。


「カルメラさん、あなたもですよ。あなたたちに協力するために来たロレーナ君に対して、差別的な言動を取るというのは一体どういうおつもりなんですか」


「これは失礼いたしました」


 カルメラはすぐにそう謝罪する。しかし、その言葉は明らかにロレーナではなく、ユイトに向けられていた。彼女は『勇者様』の機嫌を損ねたことに対して謝っただけだったのだ。


『今でこそ牧畜に切り替わっているけど、ウェアウルフは元々狩猟を中心にして暮らしていたからね。生活スタイルも、昔は狩りをしやすいように夜型だったんだ。

 だから、同じく夜型のヴァンパイアとは争いになることも多くてね。その時の遺恨が現代でも残ったままなんだよ』


 ヴァンパイアと人間の関係は決して良好とは言えない。だが、ヴァンパイアとウェアウルフの関係はそれよりもさらに酷いものだった。


 この世界で、人間は最多数派の種族である。ヴァンパイアがどれだけ嫌厭しているとしても、かかわりを一切持たないようにするのは不可能に近い。そのため、人間に対してはある程度友好的に振る舞うしかなかった。


 しかし、ウェアウルフが相手なら話は別である。ヴァンパイアよりは人口が多いものの、それでも人間に比べればずっと少数だから、かかわりを持たないようにできる。それどころか、人口の差によって不利になることがないので、仮に対立が深まって戦争になったとしても大して問題にならないのだ。


 これはウェアウルフの側からも同じことが言えた。人間と違って、ヴァンパイアは敵に回してもさほどの脅威にならないため、差別的・好戦的な態度を取っても構わない相手だと認識されているのである。


 ゆえに、ヴァンパイアとウェアウルフの間には、取り除きがたい大きな不和が存在するのだった。


 そのことはユイトも理解しているつもりだったが、まさかいきなり揉め事が起こるとは思ってもみなかった。おかげで、早くも先行きが不安になってしまう。はたして、まともな捜査ができるのだろうか。


 それぞれ勇者とウェアウルフであることを証明した二人は、カルメラから検問所を通過してもよいという許可を受ける。


 しかし、入国する前に、ユイトは一度上を見上げていた。


 そばに立ってみると、改めて実感させられる。


 夜の国を覆う壁は、高く、厚く、巨大なものだった。

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