1-8 孤立派と融和派

「議員のジョシュア・ハーヴィーです。どうぞよろしくお願いいたします」


 男たちの内の一人は、丁寧にそう名乗った。


 自己紹介を済ませると、今度は腕を差し出してくる。でっぷりとした太い腕で、手の平や指まで丸みがあるくらいだった。


 この握手の求めに、ユイトは笑顔で応じていた。


「お久しぶりです。今回もお世話になります」


「おお、勇者様に覚えていていただけたとは光栄ですな」


 今回の事件の被害者であるヴラディウスから、魔王討伐の旅の資金援助を受けたため、ユイトはそのお礼参りをしに行ったことがあった。その際に、トランシール公国への入国を仲介してくれたのがジョシュアだったのである。


「お体の方はお変わりありませんかな?」


「ええ、おかげさまで」


「私はあれからまた太りましてなぁ」


「僕に見分けがついたくらいですから大丈夫でしょう」


 もっとも、ジョシュアはもう五十歳近かったはずである。いい加減、体重の管理に気を配らないと、本当に健康に支障をきたしかねないだろう。少なくとも、その程度には彼は肥満体だった。


 二人のやりとりが終わったのを見て、次はロレーナが挨拶をした。


「よろしくお願いします」


「……ええ、どうぞよろしく」


 帽子姿のロレーナに何か思うところがあったらしい。一瞬、間を置いてから、ジョシュアはやっと彼女と握手を交わすのだった。


「僕はルドルフ・ラーフと言います!」


 もう一人の男は、はつらつとそう名乗った。


 年の頃は、まだ二十歳前後というところだろうか。単に顔つきだけでなく、表情まで健康的で若々しかった。


「勇者様にお会いできて感激です!」


「それはよかった。来た甲斐がありました」


 ルドルフが子供のように激しく腕を振って握手するので、ユイトは微苦笑を漏らしていた。


 ユイトのあとに続くような形で、ロレーナも手を差し出す。しかし、今回もジョシュアの時と同じことが起こった。


 ルドルフもまた、すぐには握手に応じなかったのだ。


「ロレーナさんはウェアウルフだと伺ってますけど……」


「ええ」


 軽く帽子を取って、ロレーナは狼風の耳を見せる。


 すると、これを目にした瞬間、ルドルフは彼女の手を取るのだった。


「ウェアウルフの方とは初めてお会いしました! 感激です!!」


「は、はぁ……」


 ジョシュアと似たような反応をすると思い込んでいたのだろう。激しい握手をしてくるルドルフに、ロレーナは困惑を隠しきれていなかった。


「来てよかったねぇ」


「…………」


 ユイトが呑気のんきなことを言うと、ますますロレーナは反応に困ってしまったようだった。


「ルドルフ君はその若さで議員に?」


「僕は憲兵です」


 一般的には議員の方が立場が上だろう。だが、ユイトの誤解を、ルドルフは恥じる様子もなく訂正していた。


「ヴァンパイアは弱点が多いですから、国から出てきた時にいろいろ不都合が生じることがあって。要人警護の一環として、僕が食事や宿の手配なんかを担当することがあるんです」


 日光やニンニクはヴァンパイアにとっては致命的だが、人間にとっては身近なものである。これらを避けるようにするというのは、神経を使う大変な仕事に違いない。


 しかし、ルドルフの口調は、自分の職務を嫌っているようには聞こえなかった。それどころか、むしろ誇りを持っているような響きさえあった。


「君はもしかして融和派かな?」


「そうです。ヴァンパイアの方ともっと交流を深められたらと思っています」


 融和派とは、ごく簡単に言えば、異種族同士が共生することを理想とする立場のことである。


 だから、異種族への差別の撲滅や種族間の対立の解消などが、融和派の目標ということになる。特にヴァンパイアとの関係について言えば、国境にある検問を撤廃する(=自由にお互いの国を行き来できるようにする)ことを目指している者が多い。ルドルフもそうなのだろう。


「ジョシュアさんは確か孤立派でしたよね?」


「ええ、まぁ」


 孤立派とは、異種族同士が可能なかぎりかかわりを持たずに生きていくことを理想とする立場のことである。


 そのため、融和派とは反対に、孤立派は検問を維持することを目指している。中には渡航制限をさらに強化すべきだと唱える者までいるくらいだった。


 孤立派の目標は、あくまでも異種族同士が不干渉状態になることであって、決して差別や対立を推奨しているわけではない。ただその理念から、排他的・差別主義的な思想の持ち主が属する派閥であることも否定はできなかった。


 事実、先程ジョシュアはロレーナと握手することを躊躇っていた。それは彼女が人間ではなく、ウェアウルフだからだろう。


 しかし、ジョシュアはそのロレーナに話を振っていた。


「ウェアウルフのお嬢さんは、どうしてヴァンパイアが異種族を避けているのかご存じですかな?」


「異種族との戦争になった場合、ヴァンパイアは非常に不利だからです。そのため、そもそも外交的な問題が起きないように、交流をなるべく断っているんです」


 ヴァンパイアが自国からほとんど出ず、また異種族の入国を検問によって防いでいるのは、異種族への差別感情による面もある。だが、それだけで済むような単純な話ではなかった。


「戦争で不利というのは?」


「特に致命的なのは日光に弱い点ですね。日中の活動がどうしても制限されてしまいますから」


 一方、人間を始めとする多くの異種族は、日中はもちろんのこと、夜間に活動しても特に何か問題が生じるわけではない。夜目の利かなさに関しても、強化魔法である程度補うことができる。そのため、夜戦だからと言って、特別ヴァンパイアが有利になるということはないのだ。


「また、異種族に比べて人口が少ない点も不利です。ヴァンパイアは寿命が長い代わりに、繁殖力が低いですから」


 ヴァンパイアは強化魔法も属性魔法も得意で、戦闘能力が非常に高い。一対一の戦いで、ヴァンパイアに敵う異種族はまずいないだろう。しかし、それでも兵士の数に差がつけば、体力切れ魔力切れを起こして押し負けてしまう。


 対して、人間は能力こそ平均的なものの、子供は比較的生まれやすい。おかげで、まず単純に兵士の数を増やせる。それに加えて、人口に比例して、突然変異的に優秀な兵士が誕生する可能性も高くなっているのである。


「他に、ダンピール――人間とヴァンパイアの混血の問題もあります。ダンピールはヴァンパイアの長所だけを受け継いで、短所は受け継ぎません。つまり、『強化魔法や属性魔法が得意なのに、日光が効かない』という強力な種族ということになります」


 これも人間が持つ数少ない長所だった。


 人間以外の異種族同士の子供――たとえばヴァンパイアとウェアウルフの子供は、『日光に弱いものの、狼に変身できる』『日光には強いが、属性魔法は不得手』といったように、両親の種族の長所と短所をランダムに受け継ぐ。


 しかし、人間と異種族の子供は違う。ヴァンパイアとの子供なら、『再生力が高い上に、銀で傷つけられても再生力が落ちない』という風に、異種族の長所だけを受け継ぐことになるのだ。


「そのため、ダンピールが敵に回った場合、ヴァンパイアの人間に対する優位性が意味をなさなくなります。このことから、古い時代には、ダンピールは対ヴァンパイア戦の尖兵、ヴァンパイアハンターとして活躍していたほどです」


 こういった過去の戦禍の教訓から、ヴァンパイアの国は今なお異種族、特に人間とのかかわりを必要以上に持たないようにしている。国家ぐるみで孤立派という立場を取っているのである。


「よく勉強されているようで」


「勇者様の講演を聞いたばかりですから」


 本心なのか、孤立派に対する反発なのか。ジョシュアが素直に褒めても、ロレーナの態度は冷淡そのものだった。


「それに私はウェアウルフですしね」


「ああ、それもそうでしたな」


 ジョシュアが納得したように相槌を打つ。ユイトにとっても予想通りの理由だった。


 だから、話についていけなかったのはルドルフだけだった。


「どういうことですか?」


「ウェアウルフはヴァンパイアと対立しているんだよ」


 ジョシュアにそう説明されても、ルドルフはまだピンと来ないようだった。


 今日が初対面というくらいだから、ウェアウルフには馴染みがないのだろう。それでユイトが補足を加える。


「今でこそ牧畜に切り替わっているけど、ウェアウルフは元々狩猟を中心にして暮らしていたからね。生活スタイルも、昔は狩りをしやすいように夜型だったんだ。

 だから、同じく夜型のヴァンパイアとは争いになることも多くてね。その時の遺恨が現代でも残ったままなんだよ」


 狼は夜行性の肉食動物である。そのため、狼に似た姿のウェアウルフもかつては夜型の生活を送っており、また今でも肉を好んで食べる文化があった。


 一方で、ヴァンパイアも日光に弱いので夜型である。しかも、彼らの鋭い牙は血や肉を食べるために発達したと言われている。


 そのせいで、あたかも肉食獣が縄張り争いをするように、ウェアウルフとヴァンパイアは古来から対立してきたのだった。


「話を戻しますが、人間からしてもヴァンパイアは脅威です。いくら人口で勝ると言っても、ヴァンパイアほど魔法が得意な者はそうそう生まれないですからな。

 ダンピールにしたってそうです。彼らがみな人間側につくという保証はまったくないわけですから」


 ジョシュアの話は事実だった。かつての戦争では、人間側からもかなりの数の死傷者が出ていたという。ヴァンパイアを数でねじ伏せたということは、言い換えればそれだけの兵士を犠牲にしてしまったということなのだ。


「また、魔法によって、後天的にヴァンパイアにされることへの恐怖もあります。これまで通りの生活を送れなくなるというのは、誰しもが避けたいことでしょう。

 それに、ダンピールと同じように、後天的ヴァンパイアがヴァンパイア側につく恐れもありますな。こうなった場合、ヴァンパイアの欠点である繁殖力の低さをカバーされてしまいます」


 このことから、ヴァンパイアはもちろん、人間側も検問の維持を求める孤立派がほとんどのようだった。それどころか、自分たちの街にヴァンパイアが来訪することすら嫌がる人間までいるくらいである。


 立場や年齢的に弱いせいか、融和派のはずのルドルフは、これまでジョシュアに対して反論らしい反論をしてこなかった。しかし、最後の主張だけは見過ごせなかったようだ。


「意図的に後天的ヴァンパイアを作り出して、ヴァンパイアと戦わせようとしたのは人間の方でしょう!」


「非人道的だから実行されておらんよ」


「それは人間の都合を考えてでしょう! ヴァンパイアに配慮したわけじゃない!!」


「その通りだよ」


 差別主義者と罵られたようなものだが、ジョシュアは平然とルドルフの言葉を認めていた。


「このように、ヴァンパイアと人間は反目してきた歴史があります。ですから、ヴァンパイアの孤立は、お互いのためなんですよ」


 自分たち孤立派の正当性を主張するため、そして多数決で相手を言い負かすためだろう。ジョシュアはルドルフではなく、ユイトとロレーナに対してそう呼びかけていた。


「でも――」


「先方がお待ちです。議論はまたの機会にして、トランシールへ向かいましょう」


 ルドルフの言葉を遮って、ジョシュアは馬車を指し示した。


 孤立派にとって都合のいい結論が出たところで話し合いを打ち切ったことで、あたかもそれが正しいかのような雰囲気が漂う。理念の是非は別として、舌戦としてはジョシュアに軍配が上がったと見ていいだろう。年季の差が出たかな、とユイトは分析するのだった。


 ユイトたちの乗るものとジョシュアたちの乗るもの、二台の馬車がバーナの街をあとにする。


 エスター市からバーナの街までは一面の草原が続いていたが、バーナの街を出ると徐々に木々が目立ち始めた。馬車を走らせるほどにあたりの木の数は増え続け、最終的に一行は森の中へと入っていくことになる。太陽が沈み始めたこともあって、行く道はどんどん暗くなっていった。


 そうして暗い森の中を進む内に、トランシール公国が見えてきたのだった。


 ヴァンパイアは繁殖力が低く、人口が少ないからだろう。国というよりも、まるで大きな都市のようだった。


 それも単なる都市ではない。城塞都市や城郭都市と呼ばれる種類のものに近かった。


 致命的な弱点があることやその弱点のせいで戦禍に苦しんだ過去から、ヴァンパイアは人間を始めとする異種族の排斥を望んでいる。


 そのため、トランシール公国は、異種族が入ってこれないように、周囲を高い壁で覆っていたのである。

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