笑う門にはとろぴかる

弓長さよ李

母さんのこと

 海に波が寄せて、じいちゃんたちがもうラップバトルを始めていた。

 キラキラした空の星に負けないくらいにキラキラと色んなフルーツの提灯が光っていて、胸の奥から幸せな気持ちが溢れてくる。今日は島中がキラキラしている。マフィアのお兄さんたちが湘南乃風を歌って、カンナビスのお香がもくもくと焚かれて──今日はお祭り。大切な大切なお祭りの日。

 そして、とろぴかる様が、やってくる日だ。


「お、ユギか。アゲテコ」


 島独自の挨拶が聞こえてくる。


「はい、アゲテコ!」


 僕はそう言って笑った。

 

◆◆◆

 

 初めてのお祭りの記憶は5歳の頃だった。生まれてすぐ海難で父を亡くした僕は、けれど島のおおらかなみんなや雄大な自然──何より、大好きな大好きな母さんに慈しみを持って育まれていた。毒蛇や獣の多くいる島ではあったけど、チョウセンアサガオやカンナビスを育てるために住んでいるマフィアのお兄さんたちや屈強な警察の人たちが守ってくれて、大きな怪我をすることもなかった。


 そんな島のジリジリと暑い、本当にもうとびっきり暑い、暑い暑い日に。お祭りは開かれた。島中に、うわついた空気が広がって、森や家々から香る果物の匂いに幸せの熱のようなものが宿るような、そんなお祭り。

 僕の頬を優しく撫ぜる母さんの優しい手が、その日は僕の手を強く握っていた。

 

「ユギ、一人で歩いちゃダメよ。祭りにはも混じるからねぇ」


 昔話によく聞くような、悪戯な精霊とか、そういうことだと思って素直に怯える僕に母さんはクスリと笑った。


 耳元をそっとくすぐるように、「だから、離れんでね」と囁かれたのが妙に印象に残っている。母は僕に何か言い含める時こうする癖があった。耳に当たる冷たい息にむずがりながら、なにか胸の奥が締め付けられるような気持ちになった。母さんの髪からはココナッツの匂いがする。


 いつも陽気な島だったけどお祭りはそれでも別世界で、煌びやかな提灯と屋外に設置されたミラーボール、みんな派手でほとんど裸同然の服を着て、喧嘩したり笑いあったり、そこらへんで賭博をしたりラップバトルをしたり、EDMが響き、木彫りのお面を被ったお年寄りのhip-hopダンスパフォーマンス、島の学校の先生たちのロック、警察の人たちのオーケストラ、年長さんや小学生たちによる昔話の演劇──この時母さんに「ユギも来年はやる?」と聞かれて、自信はなかったのだけど首をブンブンと縦に振ったのだった。きっとカッコつけたかったのだろう──極彩色の山車は当時人気のアニメキャラクターのパチモンや怪獣に恐竜、ドラゴンを模していて、マフィアのお兄さんたちの屈強な手足がそれを運ぶ様は本当に圧巻で──それから一番楽しいフルーツ投げ!宮司さんや巫女さんが熟したバナナやマンゴーを島民に投げつけるのだけど、だんだんヒートアップして島のみんなも投げ返して──宮司さんたちの白い服がカラフルになって──僕の顔は甘ったるいどろどろに濡れて、それが本当に本当に全部楽しかった。


「お祭りって楽しいね母さん!」

「うん。ユギが楽しくてよかったなぁ。……このお祭りはね、島の神様に──とろぴかる様に感謝と笑顔を捧げるためのものなのよ」

「と……ろぴか、るさ、ま。えっと、昔話の?」


 それはよく聞く神様だかお化けだかわからないものの名前だった。いろんなフルーツでフサフサの、不思議なモノ。

 よく、島の人たちは泣いてばっかりいるととろぴかる様に呆れられるぞ、と言ったものだ。

 

「本当に、いるの?」

「うん、いるよ。このお祭りも見ているのよ」

「見守ってるの?」

「うん。とろぴかる様は島の人を助けたりはしてくれないけれど、いつもいつも見ているの」

「助けてくれないの?」


 神様なのに。


「うん、助けてはくれない。でも私たちはとろぴかる様に恥ずかしくないように、一生懸命楽しく笑って生きるの」


 母さんの言葉はよくわからなくて、僕はマンゴー飴を買ってくれるようにせがんだ。

 

 お祭りは三日三晩続いて、熱狂がようやく収まって来た時、母さんが僕を抱きしめて、「ほんとに楽しかった?」と聞いたので、僕はほんとに楽しかったよと答えた。会場から少し離れた森の入り口で、ぎゅうと母さんの体温を感じていると、お祭りは楽しかったけど、幸せなのは今の方だなぁなんて感じて。


「この森の奥にね、とろぴかる様の祠があるんだよ」

「そうなの?でもみんな森には入っちゃダメって」

「子どものうちはね。分別のつく大人になったら、きっとユギも見ることになるよ」


 細い指が僕の手を撫でて、細い手が僕の首や頬に当たる。冷たくて、気持ちいい。


「ユギが大人になってもお祭りを楽しめるようにしないとねぇ」


 頭の上で、母さんの声がする。


「僕、きっとずっと楽しいよ。今日もこんなに楽しかったんだもん」


 なんとなく、母さんが笑ったのを感じた。少しだけ母さんの方に体重を預けると、すごく懐かしいような感じがする。


 しばらくそうしていたけれど──森の中から見たことのない男の人が出てきて、会釈をして去って行ったので僕たちは慌てて体を離した。見たことのない男の人。外国人だろうか?島のマフィアの人たちとよく似た──けれどもっと底冷えするような、島いっぱいに溢れる果物の匂いとは全然違うどろりとした匂いのする人だった。母さんが、震えている。


 ──も混じるからねぇ。


 その言葉を思い出して、今度は僕から抱きしめた。

 

「僕がさ!何があっても母さんを守るからね!」

 

 カッコつけたかったのだろう。今思えば馬鹿馬鹿しい話だ。母さんは目を丸くしていた。


「ありがとう、でもしばらくは母さんにユギを守らせてほしいな」


 そう言って泣き笑いする母さんが、あの頃の僕にはとても不思議だった。


 それから毎年──あるいは僕は知らないだけで4歳や3歳の時も言っていたのかもしれないが──お祭りに行った。


 劇もやった。悪いドラゴンの役や、高校生探偵の役や、南方仁の役(当時ちょうどドラマがやっていたのだ)や、ドラ○もんとかピ○チュウの役もやった。どれをやっても母さんは目を細めて耳元でそっと「カッコよかったねぇ」と言ってくれて、面白かったとか可愛かったと言って欲しいような役どころの時も、母さんの「カッコよかったねぇ」が一番嬉しかった。小学校の授業で山車の案を出したりもした。僕は妙に真面目な子だったから村の昔話の英雄を案として出して、マ○オに負けたりして、それが悔しくて悲しくて、でもお祭りで母さんと一緒に実際に引かれている山車を見るとまぁいっか、と思えた。


 10歳の時には、半成人の祝いで挨拶回りに島中を練り歩いて、それから一週間もしないうちに劇をしたものだったから後々酷い筋肉痛になったりもした。あの時、学校休んで母さんに撫でてもらったなぁ。膝枕、気持ちよかった。


 熱気。EDMの音。甘い香り。歌声。ダンス。

 母さんの、細い指。


 年を重ねるごとに、知らない男の人たちを見ることが多くなって、その人たちと島民が喧嘩をしているところを見ることも多くなって──でも幼い僕はそれをただ不安に思うことしか出来なかった。

 それよりも、キラキラしたものを見ていたかったのだ。

 

 お祭りは僕にとって本当に大切で、楽しくて、幸せで。

 

 でもある年──僕が12歳の時を最後に母さんとお祭りに行くことは無くなってしまった。

 母さんが、亡くなったから。

 

 が来たのだ

 

 以前森の入り口で見た男たちは、島の外のマフィアだった。この島のマフィアのお兄さんたちにとって代わって、ここを根城にしようとする海外の悪党ども。


 後になって知ったことだけれど、この島の位置は何かにつけて悪さをするのに有利だったらしくて──そうでなくても麻薬の原料にはこと欠かないのだ──連中が密漁や投棄、人攫いをしては島のマフィアや神職、警察の人たちと揉めることも多かったらしい。殺し合いみたいになることも少なくなくて、半ば治外法権だったこの島ではその火種はどんどん大きくなって──とうとうその年、たくさんの人が死ぬような大規模な抗争が頻発するようになってしまった。

 

 それで。

 それで、祭りの片付けの時に母さんが撃たれた。

 肩だった。強がってはいたけど、すごく痛そうで、傷口はじゅくじゅくになっていて。

 撃ったやつは、逃げた。


 それから母さんは傷口から病気が入ってひどい熱を出して──最期は、一緒にいることもできなかった。みっともない。何が僕が母さんを守る、だよ。馬鹿じゃないのか。


 島の人たちが母さんや他の怪我人を元気づけようと集まって、EDMをかき鳴らして、酒盛りをして歌を歌って、お医者さんも必死で、それはもう当時の島の中では一番の医療で必死で治そうとしたけれど、いつのまにかもう、とても静かだった。母さんの顔は、生きている時とは全然違う痩せこけたもので、僕はそっとその口に耳を近づけたけど、もう囁いてはくれなかった。


 のべ37人の、子どもや女の人も含めた島の人たちが亡くなって、警察の人はほとんど殉職して、死ななかった人たちも百数人が後遺症を残した。必死で応戦して、敵のマフィアたちの頭をかち割ってやったりもしたけど、それでもまだ奴らは数人残っていて──みんな、元気になろうとはしていたけど、絶望していたと思う。

 

「申し訳ありませんでした!!自分たちがいながら外の奴らの侵入を許してしまうなんて……本当に!!本当に申し訳ありませんでしたぁ!!」


 島のマフィアの一人が、地面に頭を擦り付けて泣いていた。顔に刺青を入れた、まだ高校生くらいに見えるお兄さん。みんな、彼を責めることはしなかった。彼は彼で、たまたま生き残ったようなものの土手っ腹にひどい傷を受けていて、それなのに焼きゴテでそれを閉じて無理やり看病に出ていたのだ。

 初めて見るような、沈痛な空気。


「祭りじゃ」


 お年寄りの一人が言った。乾いた声だった。


「祭りじゃ祭りじゃ。辛気臭くっては死んだ奴らに恥ずかしい」


 別のお年寄りも言った。

 みんな笑ったふりをしながら、踊った。ラップバトルをして、即興劇エチュードをして、果物を持ってきて投げ合って。怪我人も後遺症が残った人もみんな笑いながら、血だらけになって踊った。


 僕は、泣いた。


──泣いてばかりいると、とろぴかる様に呆れられるぞ。


 知るか、と思った。


──助けてくれないの?

── うん、助けてはくれない。でも私たちはとろぴかる様に恥ずかしくないように、一生懸命楽しく笑って生きるの。


 笑って生きて、なんなんだよ。

 結局、助けてくれないんじゃないかよ。

 クソッタレ。馬鹿馬鹿しい。何もかも馬鹿馬鹿しかった。馬鹿馬鹿しいのにちっとも笑えない。こんな状況で踊ってる島の人たちや、なんにもしてくれないとろぴかる様。きっとまだ母さんを殺したやつも、その仲間も生きているのに。


 悔しい。

 悔しい。

 腹立たしい。


 悪い奴らはみんな苦しんで死ねばいい。

 それが出来ないのが、悔しくて腹立たしくて──悲しい。


 でも。


 その時、お母さんの声が聞こえた気がした。

 いつものように、耳元でそっと「ヨギ、泣いたらダメ」と。

 

 僕は走った。

 馬鹿騒ぎをするみんなの中から抜け出して、走って、島にある森の中に入って、叫んだ。あのマフィアたちがまだ潜伏しているかもしれない森。母さんと、入口で抱きしめあった森。


 もし神様がいるのなら、たった一回でいい。それだけでいいから、奴らを殺して欲しい。


 殺して、苦しめて殺して欲しい。


 でも、本当はそれよりずっと──みんなを守って欲しい。

 

「とろぴかる様!お願いします!母さんが死んじゃって、それで、お願いします、助けてください、助けてください」

 

 僕は泣いて泣いて泣いて、それから、笑って。

 手足がもげるくらいに、陽気に。

 馬鹿騒ぎを始めたみんなみたいに踊り始めた。

 

──祭りじゃ祭りじゃ。辛気臭くっては死んだ奴らに恥ずかしい。


 僕は今、とろぴかる様に呆れられないためではなく、母さんに呆れられないために踊っています。それは、ごめんなさい。でも、どうか、どうか、どうか。助けてください。


 踊って、踊って、笑って、笑った。悲しいのか楽しいのかわからなくなるくらい馬鹿みたいに。

 気分がやけに高揚して、心がくちゃくちゃになる。


 足が血だらけになって、気づいた大人たちが血相を変えて森の中に入ってきた時。

 

──なはは、死ぬのも生きるのも一緒だよぅ。アゲテコ?


 大きな何かがぶわりと浮き上がるように、空気が揺れた。EDM。ギラギラとしたミラーボール。果物の匂い。

 大きなもの。神様。大きなそれは静かにゆったりと動いて、森の奥から悲鳴のようなものが聞こえた。静かに静かに、ゆったりと。


──あ、竜。


 内臓と果物でできた、原始生物のようなそれを、僕はなぜかそう形容した。


 それが月を覆い隠すように空に登っていくと──見知らぬ男たちの、花まみれになった死体が落ちてきた。目から、鼻から、口から、腹から、手足から、ブーゲンビリア、ハイビスカス、ポイセンチア、モカラ、クルクマ、アンスリウム──内臓と溶け合ったそれらは、残酷なほど綺麗に咲き誇っていて、男たちの体はあちこちに大きな裂け目が刻まれていた。傷口が、じゅくじゅくしている。

 不思議と蹴り飛ばすような気持ちにはならなかった。

 ぱかっ。

 男の一人の胸骨部が音を立てて開くと、そこにはバナナの腐ったようなものが詰まっている。まるでお祭りのフルーツ投げで使うみたいな──脳内を母さんと一緒に行ったお祭りがフラッシュバックする。


 ──アゲテコ、アゲテコ


 ゆったりとした声が響く中、僕たちはただ茫然とした後、無性に笑いたくなって腹から笑った。


◆◆◆


「祠を壊して祟られたんじゃのう」


 お年寄りの一人が言った。初めて見た森の中の祠は、無惨に潰されていた。怒りか、戯れか、あるいは単に邪魔だったのか、今となっては理由はわからない。


「全く、ワシらの祈りが通じたのかと思ったわい」

「トロピカル様はそんなことはしてくれませんよ」

「ちょっとー!おじいさんたち世間話しないの!」


 あの時謝っていた島のマフィアの一人がいう。警官たちも、教員たちも、生き残ったものは男も女も関係なく、僕たちは亡くなった人たちを森の中に運んでいる。すでに外のマフィアはほとんど溶解していた。


 円陣の形に死者たちを並べると、その周りを花で飾る。やがて彼ら彼女らは微生物に分解され、島の一部となっていくのだ。初めに首から上と内臓が分解される。そして一週間ほど抜け殻の胴体が残るので、僕たちはそれを“魂が旅立った”のだと解釈するようにしていた。大切な人たちの魂が楽しく旅立てるよう、歌や踊りを交えて祈る。


「アゲテコ」


 弔いを終えて森から出る途中、僕が親指を立てた。


「ああ、アゲテコ」

「アゲテコアゲテコ」


 まだ苦しくて、そんなふうには言えない人たちもいたけれど──でもみんな前を向いて笑おうとした。


 その日の夜は村長の家でいつに無くしめやかな、でもどこか踏ん切りのついたような空気で弔いの酒盛りをして、少しだけ涼しくなった熱帯の風が心地よかった。母さんが死んでしまったことに、まだ現実感はない。どこかで、生きているのではないだろうか。そんな気がしてしまう。


──ユギ、笑って生きてね。


 ふとまた、母さんの声がした。他のみんなも家族の声を聞いたように、泣き笑いしている。思わず外に出ると──そこには、首から上と内臓のなくなった、森の中に安置したはずの遺体があった。


 そっと、近づく。


「わぁっ」


 僕は仰天した後、少し笑った。

 遺体の空洞の中には、たくさんのフルーツが詰まっていたからだ。母さんの遺体の中からそれを一つ、とってかじる。


「ははっ、甘い……」


 なんだか、母さんの味がした。


◆◆◆


「いやぁー、あんなことがあったけれど、今年もまた祭りをやれてよかった!」


 一夜目が終わり、お年寄りの一人が言う。この人も奥さんを亡くしたのだけど、何か吹っ切れたようだ。


「ねぇ。今年は僕も山車を引いたし、明日は演劇やりますし……母さんに恥ずかしくないように頑張らないと!何より、強くならないと……ですよね」


 13歳。中学校に上がった僕は腕を曲げるポーズをして見せる。もう二度と大切な人を失わないように、島を守れる人になりたい。


──なははは。立派だなぁ、アゲテコ


 ぬるい風が吹いて、のんびりした声が聞こえた。

 そしてそれからしばらく間を置いて。


──ユギ


 僕は、また少し泣いて笑った。

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