アンチエイジング

那智 風太郎

アンチエイジング



「あのう、こちらではなんでも整形をせずに本物の若さが手に入れられるとか」


 佳代子はそう尋ねて小太りのドクターに訝しげな視線を送った。


 すると彼は椅子の背もたれを軋ませてからにこやかに答える。


「ええ、もちろん当院はアンチエイジングクリニックですから」


 けれどそれは佳代子の求めていた答えではなかった。


「いえ、そういうことではなくてですね。あの、ちょっと突拍子もない話で恐縮なのですが、こちらではその、いわゆる若返りの魔術のようなものを……」


 訥々とそう切り出すとドクターは髪の薄い頭をぬるりと撫でた。


「奥さんそれ、どなたから」


 口調こそ穏やかだが、その声色にはどこか胡乱げな気配が漂う。


 佳代子はうつむき、しばし逡巡した後、けれど正直に答えた。


「あの、じつは親しくしているママ友さんなんですが、最近、彼女の目元の皺が跡形もなく消えて、肌もくすみがなくなり、なんだかすごく張りも出てきて。お化粧のスキルとかではないんです。でも、整形でもないようだし、理由を聞いてみたんですがなかなか教えてくれなくて。それで私、羨ましくて、どうしてもその方法を知りたくて。だから彼女をお酒の席に誘って、どんどん飲ませて酔っ払わせて。それでも口を割らないのでちょっとだけ、ほんの少量、自白剤も混ぜてみたら、それでやっとこちらのクリニックの魔術のことを……」


 途切れとぎれにそこまで打ち明けるとドクターはあからさまに大きなため息をついた。


「なるほど、そうですか。あなた、どうやら余程の執念をお持ちのようだ」


 その呆れ声に佳代子はきっぱりとうなずく。


 十年前、鳴かず飛ばずだった舞台女優に見切りをつけて起業家と結婚。


 現在四十三歳、二児の母。


 家庭に不満はないが、自慢の美貌が年齢とともに衰えていく様を鏡の中に見続けることにもうこれ以上耐えられそうにない。


「お願いです、先生。お金ならいくらでも。といっても限度はありますけど……」


 そのすぼんでいく言葉尻にドクターは返答を被せた。


「仕方ありませんね。本来、施術には紹介状と審査が必要なのですが、今回はあなたのその執念に免じて特別にお受けしましょう。ただしいただく代償はお金ではなくあなたの持つ欲求です」


「……欲求」


 佳代子が首を傾げると彼はおもむろに頭皮をポンと手で弾いた。


「ええ、私ね、こう見えて悪魔なんですよ。ね」


 するとその頭に矢印のような黒い角が二本生えた。

 そして息を呑んだ佳代子にこう語りかける。


「悪魔に魂を売るなんて慣用句がありますが、買い取る側にしてみればはっきり言ってコスパが悪い。たとえば奥さんだってマグロ一匹丸ごと貰ってもその始末に困るでしょう。それと同じですよ。だから刺身短冊のように欲求を切り売りしてもらった方がはるかに効率が良いのです」


 佳代子はしばし黙考した。

 悪い話ではない。

 いや、むしろ願ってもない話ではないだろうか。

 人は欲求が少ないほど幸せになれると本で読んだことがある。


「そういうことなら大丈夫です。欲求なんて邪魔なだけですから」


 そう胸を張って答えると悪魔はおもむろにほくそ笑んだ。


「いい心がけです。では望みの若返りをなんなりと」


「では、まずこの額と目元の皺を」


「分かりました。代償として承認欲求を貰い受けますがいいですか」


 佳代子がうなずくと悪魔ドクターがは右手をサッと振った。

 すると佳代子の全身が一瞬怪しい光に包まれる。


「ほらどうですか、これで」


 手差しでうながされてそばにあった鏡を覗き込むと、このところずっと気に病んでいた皺がすっかり消えていた。


 佳代子は歓声を喉奥に抑え込み、悪魔に喜色を向ける。


「えっと、ではリフトアップなんかも」


「ええ、簡単ですよ。代償は屈辱回避欲求です」


 彼が右手を振るとまた光に包まれた。

 そして鏡にすぐさま目をやると弛みがちになっていた頬がシャープに持ち上がり、すっきりとした小顔になっていた。


「なんて素晴らしいの」


 うっとりと鏡を見つめる佳代子を横目に悪魔は立ち上がり、こう言い置く。


「満足されたようでなによりです。ただしこのことは他言無用ですのでお忘れなく」


 そして立ち去ろうと歩みを進め始めたそのとき、その白衣の袖口がはっしとつかまれた。


「この程度で満足ですって……ふふ、まさか」


 低く剣呑な声を耳にして、見遣ると彼女の顔には暗い微笑みが満ちている。


 これはまずい。


 悪魔は顔を引き攣らせたが、けれど刻すでに遅し。

 袖口は力任せに引き戻され、まろびて椅子に倒れ込んだ悪魔の前に佳代子が仁王立ちを決めた。


「こんな機会を逃すはずがないでしょう。肌、胸、尻、二の腕。他にも若返らせたい部分は山ほどあるんだから。ああ、そうだ。いっそ私をハタチに戻してちょうだい。ふふふ、それができるなら欲求なんてくだらないもの、いくらでもくれてやるわ」


 不敵に笑う佳代子に悪魔は声を震わせた。


「しかし奥さん、そんなことをしたらあなたは」


「つべこべ言わずにやりなさい。逆らうならあんた、酷い目に遭わせるわよ」


 角を鷲掴みにされ、拳を突きつけられた悪魔は悲鳴を上げながら、闇雲に右手を振った。



「ねえ、見て見て。ほら、あそこ、車椅子の。新しく入所してきた女の人」


「知ってる。あの人、四十三歳だって」


「ウソ。見た目、二十歳ぐらいよね。すごく綺麗だし」


「ねえ。それがどうして若年性認知症なんかになっちゃったんだろ」


「さあ。突然だったみたいよ。ある日出掛けて、別人みたいに若返って帰ってきたら、もう自分ではなんにもできなくなってたみたい」


「でもなんか幸せそうな顔してるよね」


「うん。すべての欲求から解放されたみたいにね」

 

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アンチエイジング 那智 風太郎 @edage1999

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