三十五話 母親の本音

「平くん、優しいよね。なら、有紗の幸せを一番に考えて欲しいの」


 有紗の幸せを考えたら、僕が手を引くのが一番なのか?


 太一と結婚して、有紗は家庭を支え、会社は完全に一つの大手電鉄会社になる。


 お爺様との関係が良好になり、冬月家は近藤家と一緒になるが、後世まで冬月家の家や財産は残る。


 今と同じく何不自由ない贅沢な暮らしが約束される。


 このどれか一つでも有紗の幸せに当てはまるのであれば問題ない。答えは考える前から分かっていた。


 これが有紗の幸せなんて、まやかしだ。もし、有紗が幸せであれば、太一から逃げ出そうなんて思わない。


 ここにある幸せは、お爺様の幸せであって、有紗の幸せではないのだ。


 僕は真剣な表情で有紗の母親を見た。


「とりあえず、これはお返しいたします」


 保証小切手を有紗の母親に渡す。


「なぜ、平くんは有紗のことを一番に考えてくれるんじゃないの?」


「はい、僕は自分のことよりも有紗の幸せを優先します」


「ならっ……」


「もし、有紗が太一との結婚を望んでいるのであれば、僕も応援します。でも違うじゃないですか?」


「それはまだ、有紗が世間知らずだからでしょ。今は分からなくても大人になったら、きっと間違ってたことに気づくわ」


 僕は大きく首を振る。茜さん、違うんだ、あなたは分かってるのに、分かってないふりをしている。


「有紗の男性の条件は対等な関係です。優しい男の子が好きなのもそれが理由です」


「太一くんだって、優しいって……、今は有紗が言うこと聞かないから焦ってるだけで」


「じゃあ、お母さんは太一が、言うことを聞かないから調教すると言って、有紗に実行しても許せますか?」


 お母さんは、僕の言葉に瞳を大きく見開いた。


「太一が自分の欲望のために無理矢理、有紗を自分に引き寄せて抱いたり、痛がってるのに構わず手に力を入れても許せますか?」


 茜さん、気づいて欲しい。山下社長を愛しているあなたなら、分かるはずだ。


 明らかに有紗の母親は目を彷徨さまよわせた。お腹を痛めて産んだ娘だ。有紗のことを政略結婚の道具に使うことに躊躇ためらっているはずだ。


「目を覚ましてください。茜さん」


 有紗の母親の目が電撃を受けたように大きく見開かれる。


「太一が有紗にそんな酷いことをしてるって証拠はあるの?」


「証拠があれば、分かってくれますか?」


 僕の言葉に有紗の母親は、はあーっととても長く息を吐いた。


「わたしも有紗も馬鹿よね。折角、こんな屋敷を手に入れて好き勝手に生きてきたのにね」


「信じてくれるのですか?」


「今、信じる、信じないの判断はできない。ただ、それが真実だと言う前提で話しましょう」


「分かりました」


「なら、……絶対に……」


 母親の目が怒りに震えていた。人がこんなに怒るところを僕は初めて見た。


「絶対、太一とは結婚させられない」


「お母さん!」


「今から私の言うことをよく聞いて」


「はい、分かりました」


「明後日、正式に婚約するために、有紗はお爺様と一緒に近藤家に行くことになってる」


 そうだ、明後日は学校の記念日で休みになっていた。


「明日、学校が終わったら有紗を連れて逃げなさい。しばらくの間、すまないけど有紗をかくまって欲しい」


「本当にそれでいいのですか?」


「太一のことなら、わたしの友人に聞けば全部分かるわ。それにね、君の目を見れば嘘をついてないことは分かる」


「もし、被害届を出されればどうしましょうか」


 有紗の母親は、ふふふっと笑った。


「大丈夫よ、母親のわたしが被害届出さないのよ。一体、他の誰が出すのかしら」


 僕はゴクリと唾を飲み込む。これは僕にとってはとても嬉しいことだ。でも、有紗やお母さんは、今後ここに居られるのだろうか。


「心配そうな顔しないで、大丈夫よ、わたしだって働けるから、ここから追い出されたって生きていける」


「僕の家に来てもらっても構わないんですよ」


「有紗はお願いするわ。もしかしたら少し迎えにいくのが遅くなるかもしれないけども、絶対に迎えに行くからね」


 何か吹っ切れたような表情をしていた。


「もっと、早くに決断すべきだったのよ。あの人にも誘われたんだけどね。有紗の将来を不意にしてしまう気がして、決断できなかった」


 有紗の母親はそれだけ言うと言葉を一度切って、真剣な表情で僕を見た。


「このことは明日まで有紗にも内緒。連れて帰ってから説明してあげてね。服とか衣類は後で送るからさ」


 有紗の母親の言うことは分かる。今、明日の計画が外部に漏れることは絶対に避けなければならない。


「じゃあ、この話はここでおしまい。平くん、有紗を頼むわね」


「分かりました」


 僕が返事をするのと同時に正門のベルが鳴った。


「有紗が帰って来たわ。お昼ご飯一緒に食べていくよね」


「はい、お願いします」


 有紗はリビングに入ってきて、母親に香辛料を手渡す。


「ねえ、お母さん。今まで平くんと何を話してたの?」


「うーん? 有紗のこと可愛いねって褒めてたのよ。そうよね、平くん」


「そうだよ」


「えーっ、絶対嘘だっ」


 有紗がほっぺを膨らませて、僕を睨む。


「後で教えてもらいますからねぇ。それにしてもお母さん、どうしたの? なんかいつになく嬉しそうなんだけどさっ」


「そうかな。きっと、それは有紗が可愛いからだよ」


「えーっ、そんな理由じゃないよねっ。教えてよ、お母さんってばっ」


「ははは……」


 有紗のお母さんの一番大切なものは家柄でも、お金でも、世間体でもなく、有紗だと知って僕は正直嬉しかった。



―――――


 有紗良かったね。本人まだ無自覚ですが。


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