三十四話 有紗のお母さん

「10時に門の前に来てねっ」


 昨日、有紗はそう言って屋敷に帰って行った。


「ちょ、平どうしたの?」


「なにそれ、兄貴むっちゃイケメンなんだけど」


 家に帰ると母親と妹から凄く驚かれた。驚きが一段落すると今度はいじられる。外見が変わったからと言って、中身まで変わることはない。


 僕は九時に目覚ましをセットして早めに寝た。起きるとすぐに洗面台に立つ。有紗に買ってもらったヘアスプレーで、昨日のセットに整え、歯磨きをして顔を洗った。


 水の冷たさが気持ちいい。いつもの日常が今日ばかりは凄く特別なように感じた。


 有紗のお母さんに気に入ってもらえるだろうか。意識すると心臓が高鳴ってくる。少し早いが玄関で靴に履き替えた。


「あれ、兄貴。今日もどっか行くの?」


「今日は冬月さんのお母さんに呼ばれてるんだ」


「うえっ、それ大変じゃん」


「今からドキドキしてるよ」


「だよねえ、あのお屋敷見ただけで、わたしなら帰りたくなるわ」


「僕もだよ」


 笑顔で僕の背中を強く叩かれる。少し痛いが心地良い。


「がんばれ!」


「ああ、頑張るよ」


 僕はそれだけ言うと扉を開けた。六月に入ったばかりで、梅雨はまだ先だ。外は陽光に包まれ、カラッと晴れ渡っていた。


 さあ、行くぞ、僕は手を強く握り、有紗の屋敷に向かって歩く。いつもならば、門の前で待つことはあっても、屋敷の中に入ることはない。すでに門の前には有紗の姿があった。


 ピンクの足先まであるワンピース。昨日と違って清楚感が漂う服装だ。


「おはようっ、来た来たっ。待ってたよっ」


 有紗はそれだけ言うと僕の手を握った。門の中まで引っ張られる。


 外から見たことは何度もあるけれども、中に入るのはもちろん初めてだ。門の中には大きな庭園が広がっていた。


「こっちだよっ。来て来てぇ」


 僕に手招きして、前を歩く。これから有紗のお母さんと会う。意識するだけで緊張してくる。きっと有紗のお母さんは、僕に好意的ではないはずだ。


「大丈夫だよっ、いつも通りでいいからさっ」


 僕が緊張してるのに気づいたのか、こっちを振り返りニッコリと微笑んだ。


 僕と有紗は広い庭を抜け、お屋敷の離れに向かう。有紗が言うには有紗たちが住む離れは、お爺さんの住むお屋敷の向かいにあって、滅多に顔を合わせることはないようだ。


 離れと言っても普通の家の4倍くらいある豪邸だ。有紗が玄関ドアを開けると目の前に有紗を大人にしたような清楚な女性がいた。


 自分の母親と同年代だが、とてもそうは見えない。お母さんと言うよりもお姉さんと言った方がしっくりくる美人だった。


「本日は呼んでいただきありがとうございます。これは手作りですが、もしよろしければどうぞ」


 有紗の家はお金持ちだから、店で売ってるお菓子よりも手作りの方がいいだろうと、昨日母親が作ってくれたのだ。有紗の好きな苺ケーキだった。


「ありがとうございます。佐藤さんでしたっけ。有紗、お付き合いしてるなんて、全く言わないから、ご挨拶が遅れてすみませんでした」


 有紗の母親は軽く会釈すると、僕をリビングに案内する。苺ケーキを小分けにして、コーヒーと一緒にテーブルに置いてくれる。


 有紗のお母さんは僕と有紗を目の前に座らせ、じっくりと僕を見た。


「ふうん、有紗が男の子を連れてくるって言うから、どんな子かと思ったけども、可愛い子だね」


「うんっ、凄く優しくてパパみたいなんだっ」


「確かに、どことなくパパの面影があるね」


 この娘、何も言わないから、と笑いながら僕をじっと見つめる。その瞳は優しげではあるが、僕を品定めしてるのがハッキリと分かった。


「どっちから声を掛けたのかな?」


「声を掛けたのは、わたしだよっ。あのね……」


 有紗が好きになるに至ったエピソードを嬉しそうに母親に話し出す。風船をとってあげた話から、おばあさんをおぶったり、僕が今までしてきた事だ。


 有紗はこんなにも僕のことを知ってた、と今更ながら驚く。


「ふうん、その話聞いてると、やはりパパみたいだね」


「でしょう。パパがいるみたいでね」


 有紗のお母さんの顔は笑っているけれど、目は笑ってはいない。


 有紗が僕を好きになったエピソードを聞き終わると、そうだ、と手を叩く。


「有紗、ごめんだけどね。今、お昼ご飯食べてもらおうと、料理してたんだけどね。香辛料を買い忘れちゃったんだ。ちょっと買ってきてくれないかな」


 有紗の方を向いて、美味しいご飯作るから、とごめんのポーズをした。


「買い物ならば、僕が買ってきましょうか」


「平くん、ダメだよっ。今日はお客様なんだからねっ」


 有紗はそれだけ言うと、買ってくる香辛料の名前を聞いて離れから出て行く。有紗が出ていくと、有紗のお母さんは僕の方を見て、小さく溜息をついた。


「ごめんなさいね。君とふたりで話したかったんだ」


 何となく、そんな気はしていた。有紗のお母さんの表情は笑顔だが、目が全く笑っていない。僕に心を許してないのだ。


「有紗のこと、好き?」


「はい、大好きです」


「勉強、頑張ったんだね。太一くんに勝つなんて驚いたよ」


「調べたのですか?」


「うん、有紗にも聞いたけども、学校に確認を取ったの。有紗のことどれだけ好きかはそれだけでも分かる」


 一呼吸をおいて、僕を真剣な表情で見る。もうさっきのように笑ってはいなかった。


「パパも手を貸したみたいだけど、それだけで、太一くんを超えるなんて凄いよ。普通なら超えれない。でね、わたしから一つだけお願い」


 有紗のお母さんは目の前の席から、数歩歩いて有紗が座っていた隣の席に座った。


「わたしもこんなこと言いたくないんだけどね。失礼なのは分かってる」


 有紗のお母さんはそこで一旦話を止めて、じっと僕を見た。その瞳にはとても困っていることが見てとれた。


「あのね、有紗と別れてくれないかなっ。もちろん、ただとは言わない」


 それだけ言うと有紗のお母さんは、保証小切手を取り出した。そこには3,000万円と書かれ、銀行の印鑑が押されていた。


「小切手なんて古臭い方法だけどね。これは銀行が発行する保証小切手。お金と同じ。これと通帳を持っていけば、預金口座にこのお金が入るわ」


 有紗のお母さんは、やはりお嬢様なんだ、と気づかされる。お金で全てが解決できる、と信じている。


「どうして、こんなことを?」


 僕は震える声でやっとの思いでそれだけを聞いた。


「許嫁の話さ。もう引き戻せないところまで来てるの。本当にごめん」


 有紗のお母さんに深く頭を下げられる。どうしたら良いのだろう。喉がカラカラになっていることに気づき、僕は一口コーヒーを口に含んだ。


「平くん、優しいよね。なら、有紗の幸せを一番に考えて欲しいの」



――――



えらいことになってきました。

この局面をどうやって切り抜けるのでしょうか。


いつも読んでいただきありがとうございます。


良いね、フォロー、星なんかいただけると嬉しいです。


よろしくお願いします。

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