第43話 「和解」
これは、全ての夢が覚めた後の話だ。
もう二度と来ないと誓っていた古ビルを訪れた。この湿っぽい事務所の空気を吸うとは思わなかった。まあ、僕の意思で来たんだけど。
ランさんは僕の訪問に目を丸くさせていた。
「浅葱くんから来るなんて珍しいねー」
「話したいことがあったので」
「驚いた、嫌われてると思ったからねー」
「嫌ってますよ。ランさんの思惑通り」
「えー、もしかして口説きに来た?」
足を組んで、顎を手の甲に乗せて、色っぽい声で言った。ふざけているが僕が何を言うのか予想出来てると思う。
もったいぶらずに、さっさと本題に入る。
「ランさん、全部分かってましたよね」
「全部とは?」
わざとらしく首を傾げる。
「全部は全部です。深瀬先輩が消えたのも、僕がビデオを見続けるのも、心配した露草が正体を現すのも」
「まさか、あたしを買いかぶりすぎじゃないー?」
「今までが過小評価だったんです」
「え、褒められてるー?」
「いえ、底知れないなって思っただけです」
「それが大人の女の魅力ってもんよー」
魅力どころか魔力だよ。子供を翻弄することに長けているズルい年の功ってやつ。
「怒ってるんで、『そーか』で片づけたこと」
「えー、やー……それは確かに冷たすぎるとは思ったんだけどさー。その、申し訳ないなーとは……」
ランさんは気まずそうに視線を泳がす。一応、負い目を感じるような発言だったと自覚はあるらしい。
これでもまた開き直るようだったら、僕は本気でランさんのことが嫌いになってしまったと思う。
「怒るのやめました」
「えー、なに? 手の平返し早くないー?」
「露草の味方だったんですよね、ランさんは」
体が弱く、現実を嫌った少女の支えになってたんですよね?
「言ってましてよ、露草が。夢に溺れなかったのはランさんのおかげだって」
「専門家としての判断だっただけー」
「それでも助けたことには変わりありません」
「あたしのよーになってほしくなかっただけだよ」
ランさんは、あやしい雰囲気を漂わせながら言った。深瀬先輩が時々纏う空気感とそっくりだった。
心に抱えているものがあるって分かってしまうような、寂しいものだ。
だから少し心配になった。
「何かあったんですか?」
「女の過去を探るもんじゃないぞー」
にゅっと前から腕が伸びてきたと思ったら、ペチンと額のデコピンをお見舞いされる。
「いたっ」
痛くはないけど、反射的に声が出た。
それを見たランさんは満足そうに笑う。ソファの背もたれに体重を預け、ぐーっと大きな伸びをした。
「でも良かったー。変にこじれた関係が続かなくて」
「こじれた原因はランさんにあるんじゃないですか?」
「いやー、悪いとは思ってるんだよー。でも、浅葱くんを躍起にさせるような方法が最善だと思ったんだよー」
「ちゃんと白状してくれたので、もう気にしてませんよ」
「いやー、心が広いねー」
「惚れたとかふざけても言わないでくださいね?」
「高校生の子供なんかに惚れるわけないでしょー」
生活のためなら仕方ないと身体を差し出そうとしたのは、どこの誰だ?
じいっと視線で訴えかけるも、当然届くことはない。
「これから浅葱くんは、どーするのー?」
「どう、とは?」
「藍は目覚めていなくなった」
「そうですね」
「藍の元になった千草のことを振ったんでしょー?」
「まあ……」
あれ、もしかして僕怒られる?
大事な姪の好意を無下にするな! ってお説教ルートに入る?
自分じゃ分からないけど、もしかしたら死ぬほど怯えていたように見えたのかもしれない。ランさんはゲラゲラ笑いながら、僕の肩をポンポン叩く。
「そんなにビビらなくていーよ。千草との今後の関係について、叔母として気になるってだけ」
「それは決まってますよ」
「ほー?」
「先輩の夢を叶える手伝いをします」
僕の言葉にランさんは首を傾げる。
「え? だって藍は……」
「露草だって僕の先輩ですよ、一応」
「まーそうだけどさ」
「あの時、僕は一言も深瀬先輩のなんて言ってません」
「えー、もしかして気付いてた?」
ランさんはニタァッと悪い笑みを零す。
「どうでしょうかね」
あの夢を見るまで一切分からなかったことくらい、ランさんなら見透かしているだろう。
でもデコピンの仕返しとして黙っておいてやろう。
さて、言いたいことも言えたし帰るか。
事務所を出る前にランさんに呼び止められた。
「気を付けてねー、夢はそこらへんに転がってるから」
「ご忠告どうも」
僕は半分聞き流していた。
転がっている夢に躓くのは、また別の話。
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