第34話 「唯一の証明」

 結局、先輩がいなくなってしまったあの日。僕はランさんの部屋の前で気絶するように眠ってしまったみたいだった。

 目が覚めたら外が明るくなっていたから、ここで一夜を過ごしたって分かった。

 ここに来ていないか気になって、扉を叩いたが無反応のままだった。


 仕方ないから家に帰った。

 軽くシャワーを浴びて制服に着替えて、遅刻ながらも学校に行った。もしかしたら、ばったり会うかもしれないと一縷の望みにかけて。


 学校で先輩を探し回ったがいなかった。

 放課後、先輩が所属してる三年一組に行った。

 もう夢は覚めている。先輩がクラスでどういう立ち位置であるのか知らない。でも、調べられることは全部知っておきたかった。


「すみません、深瀬藍先輩っていますか?」


 教室から出てきた、おさげの女の人に声をかけた。

 おさげの先輩は、いきなり話しかけてきた僕に怯えた様子を見せつつも、


「い、いません」


 と答えてくれる。


「欠席ですか?」

「い、いえ。そんな人、うちのクラスにいませんよ?」


 頭がおかしいを通り越して、非実在少女を探す僕を怖がっているようだった。


「……そうですか。ありがとうございます」


 お礼を言って、僕は学校を出た。

 放課後にランさんのもとを訪ねたが、留守のままだった。

 一週間くらい、そんな生活をしていた。

 そのくらい経つといい加減、現実を見始めた。ぽっかりと大きな穴が開いているみたいだった。


 受け入れると前に進むって似ているようで全然違うものだって、十六年生きて初めて知った。

 何を言われても響かなくて、何をされても気にならなくて、生きる屍ってこういうことを言うんだなって自分のことなのに他人事みたいに考えた。


 ノートも真っ白、頭の中も真っ白、過ごした青春も真っ白……いや、全部無くなってしまったから透明ってほうが正解かもしれない。

 そういえば初対面の時、言われたな。


―「君の青春は名前の通り、透き通ったものになると思うよ」―


 あれは、全てを見越したうえでの言葉だったのかもしれない。

 初めから姿を消すつもりで、僕に近づいたのかもしれない。


 本当に透明な青春になっちゃいましたよ、なんていう相手はもういない。


 例えば卒アルの真っ白な寄せ書きページを見て「自分の青春はこれだった」と悲しむ人がいるけれど、今の僕からしたら「白って色があるだけマシだ」って思う。

 深瀬先輩という大きな存在を無くした僕には一日の境界線がなくなって、緩急も凹凸もない学校と自宅を行き来する生活になった。


 もしかしたら、全部夢だったのかもしれない。

 先輩に出会ったのも、再会したのも、ランさんを知り合ったのも、先輩と出かけたことも、透明な青春を受け入れたくなかった僕が見た甘い夢だったのかもしれない。

 本当は全部無かったことなのかもしれない。


 もはや操り人形状態で、ランさんの事務所に足を運ぶ。

 インターホンを押そうとした時、小さな何かがくっついていた。

 SDカードがセロハンテープで乱雑に付けられてきた。

 ああ、そうだ。

 ランさんから貰いそこねていた、先輩のビデオデータ。


―「だって藍に夢を見せたいんでしょー? それなら必要だよ」―


 確か、そんなことを言われた気がする。


「なんで今さらコレを、なんで手遅れになってから……」


 行き場のない怒りが口から漏れ出た。


「ふざけんなよ! おい、僕が来てるって知ってんだろ! だから、こんなもの貼ってんだろ!」


 扉をめいっぱいの力で殴った。今すぐ壊してランさんの店に殴り込んでやろうかと思った。でも鉄製の扉は穴が開くどころかキズ一つ付かない。

 僕の拳を一方的に痛めつけるだけ。それなのに手が止まらなかった。


 もっと早く貰っていたら、先輩は消えなかったかもしれないのに。

 先輩の夢が覚めることはなかったかもしれないのに。


 そんな思いが僕を突き動かしていた。

 でも、殴れば殴るほど虚しくなった。こんなことをしたって先輩は帰って来ないのにって、分かってたから。

 SDカードを引き剥がして、ビルから出た。


 家に帰って、着替えることもせずSDカードをカメラに差し込む。中には、いくつかの映像データが入っていた。


 SDカードは夢じゃなかったという貴重な証明だった。

 僕は一番古いものを再生した。

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