明日を落としても
Unknown
明日を落としても
誰からも誕生日を祝われなかったから、誕生日から2日が過ぎた頃にようやく私は自分が39歳を迎えた事に気がついた。
私は1人っ子で両親は既に他界していて、親戚付き合いも全く無いし、誕生日を祝ってくれるような友達も1人もいない。彼氏だって何年もいない。というか、そもそも39歳の誕生日なんて誰からも祝われたくない。私はこれから老いていく一方なのだから。
◆
2時間の残業を終えて退社して、車に乗り、1Kの安いアパートに帰宅した私は、さっさと化粧を落としてお風呂に入った。
お風呂から上がって、洗面所の鏡を見ながら化粧水と乳液を付け、ドライヤーで髪を乾かす。
私は自分の顔を見るのが苦痛だ。
もう39歳。完全におばさんになってしまった。顔は疲れて憔悴しきっている。
ほうれい線が深くなってきた。顔のシミやシワも増えてきた。ついでに白髪も増えてきた。面倒でしばらく行ってなかったけど、そろそろ白髪染めの為に美容院に行かなきゃいけない。
髪を乾かして部屋に戻った私は、子供の頃からずっと大切にしている古い“リカちゃん人形”に話しかけた。
「この先、どうなるんだろう。私は一生孤独に生きていくのかな。もう孤独死ルートに入っちゃった? 私、これから先ずっと独りぼっちなの……?」
直後、私は、リカちゃん人形を手に持って小さく揺らしながら、裏声でこう言った。
「加奈子ちゃんは1人じゃないよ。だって私がいつもそばにいるもん」
そして私は地声でこう言う。
「ありがとね。リカちゃんがいてくれてよかった」
直後、無性にバカバカしくなって、私は1人で苦笑した。
そして溜息を吐いた。
「はぁ……39歳にもなって何やってんだろ、私……」
昔から結婚願望なんて全く無かったのに、最近は独りでいる事が寂しくて、人恋しくて、婚活でもしようかなと少し悩んでいる。でも私みたいな人の事を誰が好きになってくれるんだろう。
私は、なんとなく、スウェットの袖をまくって、左腕に目をやった。
私の左腕は、若い頃の自傷のせいでズタボロになっている。33歳まで私はいつも刃物で自傷していた。長期間、精神科に入院した事も何度かある。
39歳の現在は寛解しているが、私は16歳の頃からずっと双極性障害(いわゆる躁鬱病)と戦ってきた。
病気が落ち着いてきたのは本当にここ数年の話だ。
それに、いつどんなきっかけで病が再発するか分からない。ほとんどの精神病に同じ事が言えると思うが、一生の付き合いなのだ。
今でも私は精神薬を服用している。
「はぁ……」
無意識のうちに溜息を漏らした私は、部屋のエアコンをつけて、暖房を効かせた。人恋しくなってしまうのは冬の寒さが原因だろうか?
ここ数日は最強寒波が到来していて、とてもじゃないが暖房無しでは過ごせない。
私はテーブルの上に置いてあるアメリカン・スピリットの箱と100円ライターに手を伸ばし、火をつけて、吸い始めた。アメリカン・スピリットの水色が1番タール値が高くて美味しい。
タバコは、大昔に付き合っていた彼氏の影響で始めてしまったものだ。辞めたいとは思っているのだが、ストレスが溜まるとついタバコを吸ってしまい、禁煙が長続きしない。体質的に飲酒が全く出来ない私にとって、タバコは唯一の癒しかもしれない。
今思えば、私が大昔に付き合っていた彼氏は本当にクズ人間だった。精神を病んでいて、いつも自殺を仄めかしていて、ろくに働きもせずに毎日酒浸りで、デートはいつも汚い居酒屋で、酔っ払うと泣きながら私にキレて、パチンコやパチスロばかりして、いつも私からお金を借りていた。だが、1度たりとも私にお金を返してくれた事はない。最終的に私は彼氏にお金を渡す為に一時期は風俗で働いた。
それでも私は、彼氏がプレゼントしてくれた安物のピンクの花のピアスを、とても大切にしていた。勇気を出して耳たぶに穴を初めて開けた私は、ピアスをみんなに見せびらかすようにして街を歩いていた。
今思えば、彼氏が毎日浴びるように酒を飲んでいたのは、寂しさを埋める為だったのだろう。彼氏はいつも笑いながら私に“友達”の話をしていたけど、私は彼の友達なんて1度も見た事がなかった。きっと全て作り話なのだ。あの人には友達なんて1人もいなかった。彼は常に孤独だった。そばにいるのは私だけだった。
彼はいつも酒を飲んでいたけど、私がさよならを告げた時だけ、彼はシラフで泣いていた。
「あいつ、今も生きてるのかな」
私はポツンと呟いた。
今も自己肯定感は低いが、昔の私はもっと自己肯定感が低かった。だから、私はあの人と長く付き合ってしまったのだろう。「この人は私がそばにいないと駄目だ」「この人は私がいなくなったら自殺してしまう」みたいな事をいつも考えて彼氏と接していた気がする。
今、彼はどこで何をしているのだろうか。
もう全て過去の事だ。正直、彼がどうなっていようが、どうでもいい。
「でも、やっぱり独りは寂しいな……」
私はタバコの煙を口から吐いて、そう呟いた。
それから私はスマホでユーチューブの動画を眺めながら、ずっとタバコを吸っていた。特に面白くはない。
食事は適当にカップ麺で済ませた。残業をした後に料理をする気力なんて無かったのだ。
そういえば2週間後に職場の健康診断がある。
もし重篤な結果が出たとしても、私は特段ショックを受けることはないだろう。この寂しい生活が一生続くくらいなら、病気が見つかって早く死んだ方がマシな気がする。
「私も、お酒飲んでみようかな……」
私は体質的にお酒が全く飲めない。少し飲んだだけで顔が真っ赤になって、頭が痛くなって、すぐに気持ち悪くなってしまう。アルコール度数3%のお酒ですら全く飲めないレベルだ。
だからお酒で現実逃避できる人が昔からとても羨ましかった。
お酒を飲めば嫌な事や孤独感を一時的に忘れる事ができるなんて、最高じゃないか。
「……」
魔が差した私は、マスクを着けて、コートを着た。
目的地は徒歩2分の場所にあるコンビニだ。
◆
「寒っ……」
アパートのドアを開けた瞬間、冬の風が私の体と心を冷やした。
私の住んでる部屋は3階の角部屋だ。いちいち階段を上り降りするのは面倒だが、このアパートに住んでいて騒音が聞こえた事は1度も無い。鉄筋で、造りが頑丈なのだろう。
そんなどうでもいい事を考えているうちにコンビニに着いた私は、真っ先にお酒のコーナーに向かって、冷蔵庫を開けて、度数9%の350mlの缶チューハイを1本手に取り、そのままレジに持って行った。
ちなみに店員は若いイケメンだった。大昔の彼氏に目元が少し似ていた。
◆
アパートに帰った私は、少し高揚した気分で缶チューハイを1人で開けた。もうお酒なんて15年は口にしていない。もしかしたらその間に私の体質が変わっていて、お酒を飲めるようになっているかもしれない。
そんな淡い期待の中、お酒を飲んでみたら、ほんの一口だけで頭が痛くなって、気持ち悪くなってしまった。
「はぁ……やっぱり駄目だ。気持ち悪い」
私は独り言を呟いた後、近くにいるリカちゃん人形をそっと手に取り、裏声でこう言った。
「だから言ったでしょ? 加奈子はお酒なんて飲めないの!」
「ねぇリカちゃん。私はどうすれば幸せになれるの?」
「そんな事、あたしに聞かれても分かんないよ」
「そっか。そうだよね……」
「ペットでも飼ってみたら? そしたら加奈子の寂しさが薄れるかもよ」
「でも、このアパートはペット禁止だよ?」
「鳴かない動物だったら大丈夫だよ」
「リカちゃんはどんな動物が飼いたい?」
「熱帯魚か、金魚がいい」
「わかった。実は私も熱帯魚か金魚が飼いたいの」
「じゃあ今度買いに行こうよ」
「うん」
◆
会社が休みの日、私はホームセンターに併設されているペットショップに入って、金魚を1人で眺めていた。
「らんちゅう」という種類の金魚が丸くて可愛かったので、らんちゅうを1匹購入した。そして飼育に必要な物を店員さんに訊ねて、それらも全て購入した。
1匹しか買わなかった理由は、子供の頃、父が飼っていた金魚が共食いを始めてしまい、それがトラウマだからだ。
車で帰宅した私は、早速らんちゅうを水槽に入れて、泳いでいる姿をぼんやりと眺めた。
「かわいい」
私は自然と微笑んでいた。
名前はどうしよう。らんちゅうだから「ランちゃん」にしよう。我ながら、かなり安直なネーミングだ。
「ランちゃんは今日から私の家族だよ。よろしくね」
ランちゃんは尾ひれをヒラヒラさせて、水槽の中を縦横無尽に泳いでいた。
ランちゃんの為にも、私は生きなきゃ。私がいなくなったら、ランちゃんは死んでしまうから。
「あ」
私は気付いてしまった。
私はランちゃんと、大昔の彼氏を、重ねているんだ。
──私がいなければ死んでしまう。
◆
休日は、いつも何もせずダラダラしているだけで終わってしまう。そして日曜日の夕方あたりからは明日の仕事のことばかり考えてしまい、憂鬱で仕方ない。
日曜日の夜、私は無意識のうちにスマホで自殺関連の検索をして、いろんなネット記事を漁っていた。自殺について検索すると、心の相談の電話番号が上に出てくる。
私はそれを鬱陶しく思いながら、色んなページを開いた。
その中で私は、“電車に轢かれても死ねずに脚を切断した人”のブログ記事を見つけた。
それを読んでいるうちに私は死ぬ事が怖くなった。
自殺する勇気なんて無いくせに、どうして私はいつも自殺の事ばかり調べてしまうんだろう。
「明日、仕事行きたくないなぁ……」
だけど、仕事を辞めたら生きていけなくなる。
仕事なんて、やりたくてやってる人なんてほとんどいないだろう。大半の人は、生きる為に仕方なく働いているだけだ。
だが、仕事をしてまで生きたいかといえば、別にそうでもなかった。私が仮に死んだって誰も困らない。
私は、水槽の中を泳いでいるランちゃんを見つめた。
私は自分が生きる理由を作る為に金魚を購入したのだ。私のエゴだ。
「私、なんで誰からも必要とされてないのに生きてるんだろ」
生きる事は私にとって、とても苦しい。それでも生きなきゃいけない。だって死ぬ勇気が無いんだから。
単純な事だ。死にゆく勇気が無いのなら、生きるしかない。
もしも、私の人生が小説やドラマや漫画だったら、ちゃんとした起承転結があって、大きなイベントが何個も起きて、最後はきっと幸せになれる。
でも現実はそうじゃない。
現実は常に不明瞭で、薄らぼんやりとした不安が曇り空のようにずっと遠くまで続いているだけだ。“奇跡”なんて私の人生には起きない。
私だって、39年も生きていたから、幸せを感じていた時期はある。だけど、人生にハッピーエンドなんて無い。私が知りたいのは、幸せなハッピーエンドの、その先だ。幸せな映画のエンドロールの、その先だ。
「……」
気が付くと、私は静かに涙を流していた。
泣きたくもないのに。
◆
落ち込んだ私は再び、スマホで自殺について検索していた。すると、何故か「カクヨム」という小説投稿サイトの、とある文章に辿り着いた。
「なにこれ?」
私はページを開く。たまたま発見した文章の作者は「Unknown」という人らしい。その人は自殺や精神疾患についての文を中心に書いていた。私は、なんとなくUnknownの小説やエッセイを適当に読んでみた。どうやらUnknownの性別は男で、年齢は26歳。そして精神障害者で、アパートで1人暮らしをしているらしい。
(この人、私にちょっと似てるかも。でもUnknownっていう人の文章、大して面白くないなぁ。このレベルだったら私でも書けるんじゃない?)
そう思った私は、Unknownとかいう人の真似をして、実話を元にした小説を書いてみることにした。小説なんて読んだ事も書いた事も無いけど、もしかしたら私の文章を日本の誰かが読んでくれるかもしれない。
明日は仕事だが、私はその晩、一睡もせずに短編小説を書き上げた。
そしてカクヨムのアカウントを作り、スマホのメモからコピペして小説を投稿した。
まぁ、どうせ私の書いた小説なんか誰も読んでくれないだろう。
◆
朝、私は眠気に耐えつつ、エナジードリンクを飲んでから、憂鬱な気分で出社した。月曜日の朝にタイムカードを押す瞬間は憂鬱で仕方ない。
そのまま仕事が始まり、12時になると昼休みになった。
私は自分で適当に作ったお弁当を車の中で食べていた。
車の中で適当にスマホをいじっていると、突然、カクヨムから通知が来た。
【●●●●さんが応援しました】
私はその通知に驚いた。私の文章を読んでくれた人がこの世にいるなんて。
私は初めての経験に、少しだけテンションが上がった。
そして少しの時間が空いてから、その人から★を貰った。更にその人はコメントまでしてくれた。
【はじめまして。素晴らしい小説を書いてくださってありがとうございます。今後も応援しています!】
私は賞賛のコメントが来た事が嬉しくて、つい舞い上がって、すぐ返信してしまった。
【こちらこそ読んでくださってありがとうございます。嬉しいです】
私は、無意識のうちに少しだけ笑っていた。
そして私はこう言った。
「よし、午後の仕事も頑張ろう!」
〜終わり〜
【あとがき】
「明日を落としても」っていうタイトルは、syrup16gの曲名から取りました。
小説の内容は、神聖かまってちゃんの「そよぐ風の中で」って曲から着想を得ました。
明日を落としても Unknown @unknown_saigo
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