練兵に倣う灰滅-5-

 約束通り約一時間が経過したところで、治療は終わりを迎えた。太腿に散らばった銃弾の断片処理で随分痛みを生じたが、何とか無事処置が完了して内心ほっとする。鎮痛剤も注射されたので、痛みも大分軽減した。これなら何とか歩けそうだ。


「ありがとうございます、テオさん。まだ少し覚束ないですが、これなら何とか自分一人で歩けます」


「常人ならまず歩けないんだけどね。ともあれ、問題ないなら良かった。まあ今回金は取らないけど、もしハッチが少しでも俺に義理を感じて何か対価を払いたくなったら、出世払いってことで何か旨い飯でも奢ってよねー」


 カラカラと笑うテオさんは、別段報酬を期待している様子でもなさそうだ。無償でやると決めたからこその発言だろうが、わざわざこちらの気持ちを汲み取って謝礼の指定をしてくる辺り、僕がお返しに何を渡すべきかと考える手間を省いてくれていたのだと気付く。こういうところが好感を持たれる部分で女誑しっぽい彼がモテる要素の一つなのか、と考えたところ。曲がり形にも命の恩人たる彼に何かお返しをすべきかなと多少なりとも感じたのは、彼の心象操作だろうか。果たして自分が出世できる立場なのか以前に、給与をもらうに値する立場なのかさえ不明だが、少しでも収入を得た暁には何か美味しいものでも奢って恩を返そうという気概はあった。


「テオ。一つ聞きたいんだが、ハチが通常通り走り回るには今日から大体何日安静にしていればいいか、概算でいいから教えてくれないか?」


大凡おおよそで見ると、か。……まあ、普通の治癒速度で言えば早く見積もっても約6ヶ月かかるところだけど、名医たるこの俺の見立て上、ハッチの治癒能力は健常人のそれを約60倍は上回る計算だ。つ・ま・り、3日は安静期間ってことになるかな!」


「――3日、ね……。サンキュ、参考にさせてもらう。さあ、行くぞハチ」


 レンさんが忽如として告げる。僕は緊張した面持ちで頷く。それは正しく鬼の訓練が始まると身構えたが故の硬直であった。

 世界屈指の歩兵部隊直々たる訓練なのだから、想定以上に厳しい教練が要求されるだろうと、容易に予測が付くのは然ることながら。この負傷を回復した直後でどんな過酷な演習が待ち受けるのかと連想すればするほど、恐々と肩に力が入ってしまう。

 硬い表情をした僕を見てレンさんは少しキョトンとした後、ふっと笑った。「緊張しなくても、今さっき3日の待機期間を要請されたんだ。座学からのスタートだよ」と、振り向き様に見せる笑顔。あの鬼のような惨状を繰り広げた張本人と同一人物とは思えない、まるで天使のような微笑みを浮かべる。あまりにも厚情に占む瞳をするものだから、視力が大幅に低下したのかとさえ錯覚した。

 何てったってあの流血沙汰を生んだ暴漢だ。そんな男が天使の笑みを湛えるって、そんな馬鹿な話ないだろう。極端な二面性というよりは多重人格か、なんて疑いすら出てくるのは、当然の流れだった。


「何惚けてる。……ははーん、もしや何か失礼なことでも考えてるな?」


 ぎくり。期せずして肩が跳ねる。「何だこの男は。読心術でも心得ているのか?」と馬鹿らしくも疑うが、そんな観念的なことがあり得ぬというのは馬鹿でもわかる。偶々こちらの心の声を言い当てただけだと疑念を振り払い、僕は言い当てられた心情を隠すようにして言葉を取り繕う。


「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。僕はただ、あの暴虐の王たるレンさんが珍しく見た目相応に神様らしく笑ったなと思っただけです」


「いやいや、ハッチ。ハルちゃんが笑うのは確かにレアもの案件だけど、神様らしく笑うってのは一体何のことよ?」


「ええい! 話が稚児しくなるからその話は今じゃなくていいだろ!」


 テオさんを巻き込んで話を有耶無耶にできたのは想定外だったが、結果として上々だ。テオさんが「何? 二人して内緒話? 俺だけ仲間外れ?」と更に執拗に食らい付くから、どんどん失礼なことを考えていた事実が曖昧になっていく。よし、これで上手く誤魔化せたぞと、僕は一人北叟笑む。


 そんなやり取りをしている中、これから行われる座学の講師役をレンさんが務めるのか、なんてふと疑問を抱いた。塾の講師姿が俄然似合わないレンさんの姿を想像し吹き出しそうになったが、またもや心を読まれては堪らない。面白過ぎる偶像が現実かどうかまずは確かめてからリアクションを取らなくては。そう決意して、僕は一つ尋ねた。


「座学の講師役は誰がするんですか。もしかして、レンさんが?」


「俺が? やる訳ねえだろ! 講師役として教え上手な部下がいるんでな、そいつに頼むつもりだ。まあその前に部下二人と自己紹介でもしてもらう予定ではあるが」


 残念ながら面白い偶像は現実とはならなかった。が、レンさんを除くK-9sケーナインズ第一部隊隊員二人との顔合わせと聞いて、正直不安を禁じ得ない感覚に捕らわれる。何故ならレンさんという野放図な人間の部下となると、彼らも上司同様放埓な人間達なのではないかと考えてしまうからだ。昔から類は友を呼ぶというし、同族というものは集団を形成しやすい生物だ。第一部隊隊員達の人間性を悪い方向に予想してしまうのは、K-9sケーナインズ面子メンツのうち変人二人と関わりを持ってしまったからであろう。


「テオさん、僕達そろそろ失礼致します。銃創の治療をして頂いたことと、記憶喪失について専門的なご意見を頂いたこと、ありがとうございました」


「いいよいいよ。俺も何だかんだいって珍しい臨床事例にお目にかかれたから、知識欲的には大満足だしね」


 ひとまず彼との会話はここで終了だ。いつ発行されるかも知れない第一部隊と第十部隊との合同任務の時にはまた世話になるかもしれないが、その時は彼が件の内通者かどうかを確かめるべく密偵として接しなければならないので、今日のように何も気にせず会話はできないだろう。何より互いの腹を探り合う中で、殺伐とした関係性になるかもしれない。そうなれば、貴重な有識者による記憶に纏わる情報源を失うこととなる。願わくば彼が内通者でないことを祈るばかりである。


 テオフィル・クンツロール少佐が実権を握る第十部隊医学研究棟を後にして、僕は自力でレンさんと肩を並べて第一部隊の執務室へと歩を進めていた。消え遣らぬ両足の痛みを抱え、ずりずりと引き摺るようにして、レンさんに後れを取ることなく前進する。第一部隊の面々との相見に気怖じしつつも、前へと進行する決意は揺らぐことなく。

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