首輪に従う黒狗-4-
ざわり――胸騒ぎがしたのと同時に脳の片隅に疼痛が走ったのはほんの一瞬のことだった。生死を賭けた男性の尋問に緊張したのか、或いは好々爺然とした柔和な見目にも拘らず隙を感じさせない男性の完全性に躊躇したのか。双方共に原因の追及には至らぬほどのもので、それが何だか腑に落ちない。然れど束の間に迸る神経系の激痛に、僕は片膝を着いてぐっと蹲るを得なくなってしまった。
判事の目前で醜態を曝すなど、一体僕は何をしているんだ? 瞬く間に鳴り止んだ頭痛の正体など、今この場において気に留めている暇などない。「大丈夫?」と心配の声が掛かる中、「気にしないでください」とだけ答えてすっくと立ち上がる。
「お、初にお目にかかります。……えっと、閣下……?」
先の失態を取り繕うべく、苦笑いで場を切り抜けんと目論む。すると眼前では6つ釦ダブルの高級スーツを身に纏った40前半の男が首を傾けていた。オーダーメイドと思われるスーツを着熟し、貴紳の雰囲気を醸し出す人物の前で、何とも無様な恰好を見せてしまったことは、汗顔の至りである。
「具合が良くなさそうだが、これからの長話に耐えられそうかい?」
「軽い目眩です、本当にお気になさらず。それよりも閣下、話を続けましょう」
「君は僕の部下でも何でもないからね、閣下と呼ぶ必要はない。普通に『おじさん』と呼んでくれても構わないよ」
「い、いえ。初対面の方におじさん呼ばわりは失礼なので。それは遠慮したいです」
「随分と律儀な子だね、関心関心。最近の若い子は、すぐに40台をおじさんおばさんと呼びたがる気がしてね。君もその部類かと決めつけてしまっていた。これは失敬」
「40台男性は十分に『おじさん』の部類に所属するものと小官は思量致しますが」
「少佐、君は黙ってて頂戴。現に彼は僕を『おじさん』とは呼ばなかったんだから、断じて僕は『おじさん』じゃない。分かるかい?」
存外よく喋る男性に、僕は少し親しみを感じた。が、親しみなど今は不要だと切り捨てる。何故なら隣に佇むこの銀髪の男もまた、邂逅直後近い距離感でこちらの波長を乱してきたからだ。後から恐怖を演出する、なんてことが今後あり得るのだとしたら、不用意に親しみなど持たぬ方が良い。この数時間で学んだ教訓である。
「僕は
第一級接触禁忌種厳重管理区域監査官総括役、
この重鎮は、まず手始めにとでも行きそうな勢いのまま僕の名を尋ねるが、
「君の名は、と。……ああ、そういえば今の君は記憶喪失なんだったね」
「何で知って、……ああそうか。あの白い窓の外から全部見てた、んですよね」
次いで訪れる申し訳なさそうな言葉に対し、「あの暴力行使を見ても助けてはくれなかった癖に」と、少し暗鬱とした感情が胸の内で蟠るのは仕方のないことだ。
「銃弾で肩と腿を撃ち抜かれるなんて初めてのことだろうけど、傷口はもう大丈夫だろうか。すまないね、ウチの馬鹿犬が。君に与えた苦痛が許されるとは思わないが、あれも命令通りに動いただけで悪意はないんだ。許してくれなど簡単に言える身ではないのは十分承知の上、どうか一思いに恨まないでやって欲しい」
「そんな、簡単に言われても。――無理がありますよ……」
卒然と飛び出した言葉は、赦免たるものではなかった。そりゃそうだ。悪いことをしたという自覚がないまま暴力による制裁を受けたのだから。今要求するものは謝罪でも贖罪でも何でもない。ただ唯一、欲しいのは――。
「まず状況の説明を願えますか、
そう。今必要とするのは、右も左も分からぬ環境から脱するための状況把握。何故訳も分からぬまま禁足地に放り出され、何故訳も分からぬまま暴力を行使され、何故訳も分からぬまま生死を左右される被告人の立場に立たされているのか、その理由が欲しいのだ。これまで何の説明もないまま、言われるがまま、されるがままにこの身を預けていたが、既に意味不明な状況に曝されるのも限界であった。
「そうだね、こんな状況だ。事情を説明しようか。君の処遇はそれから決めよう」
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