首輪に従う黒狗-2-

 そんな折、彼の知り合いらしき人物が声を掛けてきたのはこの見世物状態において酷く異質なものだった。金髪碧眼で剛健実直、あたかも階級持ちの士官といった出立ちをした男が、「おーい」と大きく右手を振りながら駆け寄って来たのである。


「おはようルディ。珍しく第四隊舎を特徴ある黒服が闊歩してるもんで何かと寄ってみれば、貴殿ではないか! 随分と面白い秋田犬犬ッコロを連れてるようだが、傍から見ればまるで名犬ルディと忠犬ハチ公だぞ!」


 彼を【ルディ】と呼んだ男は、人好きする笑みで僕らを揶揄った。どこか憎めないその子供染みた姿は、前後左右に蔓延る野次馬達のような他人ひとを囃し立てる厭らしさや煩わしさはなく、気立ての良さが見え隠れする。


 顔を突き合わせるなり「親しいペットに付ける名称で私を呼ぶのは貴様くらいだ。即刻辞めろ」「しかし名前がないと連携に差し支えるであろう?」と軽口を叩き合うのが聞こえて、二人の仲睦まじさが垣間見えた。軍人たるもの、二人が交わす言葉遣いは堅苦しいものだが、それでもある程度戦地で相互理解を深めた賜物か、そのやり取りは昵懇じっこんの間柄を想起させる。何より金髪の軍人を邪険に扱いながらも男が苛辣な反応を示していないというのが、二人の関係性を示しているかのようだ。


 だが、それと共に名高い狼を意味する【ルディ】という名が、男の本名でないのだと早々に合点がいく。ここまで来て未だ男の名前すら分からぬとは、彼の正体隠秘の徹底振りに肝を抜かれる。彼と共に時間を過ごしてから二時間が経とうとしていた今ですら、第一級接触禁忌種ということ以外の個人情報は伏せられたまま刻々と時だけが経過している。

 中々正体を話し出さない男に感心する反面で、自分ならば好奇心と社交性が勝り、見ず知らずの人物と親睦を深めんと、積極的に関係を築こうとしていたのではないかなんて、ふと考える。それも、己の素性を要らぬところまでペラペラと喋っていたであろうほどに。まあ実際のところ、僕自身自らについて語れる記憶・知識などという代物は一切合切持ち合わせていないので、会話が成立しない哀れ極まる状態。どちらにせよこの鬼畜軍人と初対面で井戸端会議を押っ始めることは疎か、問答無用で圧制された身である。おまけに現在は決め事も相俟って、道中コミュ障宜しくせざるを得なかったせいで、これまで銀髪との間の無言は避けられなかった。だからこそだろうか。颯爽と現れては、冷然とした態度を受けてまで【ルディ】と仲良さげに物怖じもせず話し掛ける軍人を、少しばかり尊敬したのは。


「大体私は貴様より階級が上なんだ。少佐を付けろ、コールマン大尉。頭が高いぞ。それと今私は任務中だ、不用意に話しかけるな」


 少々刺々しい物言いで金髪の軍人――コールマン大尉を退けようとする彼は、邪魔だと言わんばかりにしっしと左手を払った。しかしこれが男――少佐の通常運転たる塩対応なのであろう。大尉は然して気にした様子もなく、話を続けた。


「これは失礼、野暮な真似をしたな少佐殿。いや、第一級接触禁忌種あの軍部最高峰の要塞厳重管理区域たるパノプティコンに侵入者が入ったみたいなんだ。念のため貴殿にも情報を共有しておこうと思ってこうして呼び止めた訳なのだが。どうだ、もう知ってるネタであったか?」


 この大尉という男は、噂を嗅ぎ付け逸早く仲の良い上官に情報共有せんとばかりに馳せ参じたという訳だ。ぎくり、僕の肩が跳ねる。男は「余計な動作をするな」とでも言わんばかりに僕を乱暴に担ぎ直したが、僕の心臓は口からまろび出そうなほどに脈拍数を稼いでいた。いくら何でも己の不法侵入罪が白日の下に曝され、軍部市場に出回るのが早過ぎやしないか、と。


「……いや初耳だ。流石は軍部随一の地獄耳を持つ男と称されるだけはあるな、情報が早い。で、その侵入者とやらは捕まったのか?」


 白々しい嘘と同時に、更なる情報を大尉から引き出そうとする男。どこまで情報が洩れているか確かめるため、彼は慎重な面持ちでそれを探ったに違いない。再び僕が下手を打たないよう、僕の両足を支える男の右腕に力が入っているのが、しかと痛覚に伝わってくる。


「いや、それがまだらしい。あの厳重管理区域に侵入してなお逃亡中とは、中々骨のある奴ではないか。今頃どこをほっつき歩いていることやら」


 軍一の地獄耳という奴はいやはや恐ろしいものである。僕が件の侵入者と知らないにも拘らず、タイミイング良く僕達二人に駆け寄り、ホットな話題を仕掛けてきた。実際は逃亡中でなく拘束されているのが事実だが、まるで襤褸ぼろを出すまで揺するかのようだ。とはいえ、男がその程度の会話で動じる訳もないことは自明である。


「貴様のそのどこからともなく嗅ぎ付ける情報屋としての素質の方が、私よりも余程染みてるな。ここは貴様の方が【ルディ】に相応しいのではないか?」


「褒めるな褒めるな。貴殿に称賛されるだなど思いもせなんだ。年甲斐もなく照れてしまうだろうが」


 無論、誠実を体現したような男である大尉が、揺するだなんて真似をするとは言わない。ただでさえ上官の皮肉を気にも留めない寛容さが滲み出ているのだから。たまたま嗅ぎ付けただけの噂で、まさか自ら吹聴した相手が事件の当事者とは、彼も思うまいて。

 キラキラと輝く微笑みを携えながら、「では、また合同任務の時は宜しく頼む!」と走り去る大尉の後ろ姿に、「まるで嵐だな」と独り言つ男は、彼を邪険にする態度を取りつつも、満更でもない様子だった。


「と言う訳で、お前の名前は今日から【ハチ】だ。忠犬宜しくお行儀良くしろよ」


 僕に聞こえる程度の小声でそう告げる男。おめでとう、今から僕は名無しの権兵衛ジョーン・ドゥから忠犬を捩るハチ(命名・コールマン大尉)へと昇格ランクアップしたのであった。名高き孤狼ルディと忠犬ハチ公。不名誉な大型犬コンビが爆誕した瞬間だった。

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