昼中に墜つ白烏-5-

 だが、ちょっとした意趣返しのつもりで叩いた軽口でも、彼の秀麗な顔ばせは喜怒哀楽のどれに染まろうと崩れやしないらしい。その事実が何だか癪に障る。その反面で、あまり刺激し過ぎるのも良くないだろうと、心のどこかで予見していた。


「何だこいつ。さっきまでビビり散らかしてた癖に、途端に飄々とした態度に一転しやがって。気に食わねえな。殺すか?」


 ほら、【触らぬ神に祟りなし】とはよく言ったものだ。僕の戯言に対する彼の少しピリついた空気を感じ取り、これ以上徒に揶揄うと彼自身の機嫌を酷く損なう可能性を察知した。否、機嫌を損なうだけならまだしも、攻撃性を含む雰囲気を発していることに、本能的な危機感を覚えたのかもしれない。


「いやいや、ただの戯れで一々人の命奪わないで下さいよ。人類根絶やし待ったナシじゃないですか」


「さっきから随分とお喋りな奴だな……ったく。お前の言う通り今回売られた喧嘩は水に流してやるさ――」


 彼が眉根をひそめる程度に済ませてくれたのは幸いであった。しょうもない仕返しを済ませたあの刹那、間違いなく場の凍てつくような緊迫感が漂い、洒落た室内には不似合いな戦慄が走っていたのだから。

 そこから間を置かず、萎縮しそうな雰囲気は雲散霧消する。男は険しい表情で軽く溜め息を吐き、未だカウチソファに着座する僕の隣にどっかと腰を下ろして長い足を組んだ。これまでの言葉遊びを尊大に、鷹揚に、清算するという発言と共に。


 しかし、この一連の茶番の最中においても、本筋を解き明かす態勢を崩すつもりはないらしい。獲物を逃がすまいとする炯眼そのものは、まるで蛇。重要な話題を引き出すまで離すまいと言わんばかりの執着と暗鬱は、蛇によく似ている。

 その蛇に睨まれた蛙宜しく身を竦ませ、玉桂の子プエル・ルナエ第二巻を抱いたままの僕は、今後の言葉遣いに気を付けた方がいいのかもしれないと、改めて立ち振る舞いを戒める。これから起こる何事においても、彼の求めに虚飾なく応じなければならないと。


「――但し、今お前がここにいる理由わけを、そいつを話してくれたらの話だ」


 ほら見たことか。これまで諧謔かいぎゃくを弄んだ清算は条件付きで、という意味だ。


 しかしまあ、ことの次第の把握自体、そう難しいことはない。十中八九彼はここの家主。そして事態の真実を知らない彼にとって僕は不法侵入を犯した不審人物に該当するという寸法だ。

 何にせよこの男、邂逅直後から強大な猜疑と些少な憤懣を宿す眼光を放っていた。不審者相手なら獣のように威嚇するのも当然か。闖入者ちんにゅうしゃを相手取ってなお、全く恐怖心を抱かない点が心做しか疑問だが、彼のその右脚に付属されたレッグホルスターに収まる黒い拳銃を見るあたり、腕に覚えでもあるのだろうと問を完結するのは、正に必定だった。その場合、僕自身の身の危険も問題として浮上するが、今は考えずともよかろうと目を逸らしておく。


 そしてこれは、世辞にも好ましいとは言えない最悪のエンカウント。疑惑を晴らすためにも、ここはまず説明義務を果たすべきだろう。


「弁明する前に最初にお伝えしておきたいんですけど。僕、この通り頭は至って正常・・・・・なので、『それ前提で』説明させて頂けますか?」


「ほう、他人に向かって神様だのと抜かした奴がよく言うね」


「そっそれは忘れてください。僕だって詐欺に遭った被害者の気分なんですから」


「何の被害だ。まあ聞くだけなら聞いてやるさ。嘘偽りなく、詳細に、教えてくれるんだろう?」


 背凭れから背を離して膝の上で手を組む姿は些か偉そうだが、一応話を聞く気にはなってくれるらしい。男の眼差しは真剣そのものだ。


 彼のレッグホルスターに収納された拳銃をちらりと見遣り、下手を打てば殺されるなんてことも想定範囲として、遂には順序立ててことの顛末の弁疏べんそを始めた。一時間ほど前、ベッドで目覚めたことを皮切りに。

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