雨の日、コインランドリーと文鳥

Tempp @ぷかぷか

第1話

 ひどく憂鬱な気分で傘を閉じ、一歩踏み出すと音もなく扉が開いて僅かに驚いた。清美隆由きよみたかよしのイメージでは、その扉はガララと横に引いてあげる古いタイプのものだったからだ。そして覗き込んだその店内が、思ったより清潔なことに気がつく。


 隆由はこのコインランドリーには初めて入る。というより、この街に引っ越してきてからまだ5日ほどだ。

 見回すと、コンクリート打ちっぱなしの灰色の壁の左側一面には布団が丸ごと入りそうな大型の機体が四台、並びにはやや小型の一人か二人用の機体が六台、その向かいの右側一面には家族用サイズの機体が八台あって、その間には正面には三台ほどの自販機と、スニーカー用とか特殊用途の機体が何台か。

 とりあえずキョロキョロと眺めまわして手近で空っぽの洗濯乾燥機に肩にかけていたスポーツバックから洗い物一式を突っ込み、コインを入れて閉じて時間でも潰そうかと外を眺めて怖気づく。先程より雨足が強まり、バラバラと散弾銃のような音をたてている。


「本当に嫌だよね、雨」

「え?」

 隆由が声に驚いて振り返ると、同年代ほどに見える男がすぐ近くの椅子から隆由を眺めあげていた。まず目に入ったのは、左まぶたの下に入れた小さな青いピアス。黒に近い青に見える瞳から伸びる鼻梁はくっきりしていて、全体的に彫りが深い。ナイロンの白い前開きパーカーに灰色のTシャツ、ハーフサイズのデニムとスニーカー。両腕をパーカーのポケットに入れていた。

「あんた初めて見るな」

「最近引っ越してきたんだよ」

 男の涼やかな声は豪雨に怯んだ隆由の心にするりと入り込んできた。

 隆由はこの4月から近くの大学に入学するために引っ越してきたばかりだ。借りたマンションに送られるはずの家電の中に洗濯機が入っておらず、注文しても配送は来週、仕方がなくスマホでランドリーを検索してここまでやってきた。

 なんとはなしに、そんなことを話していると、男の洗濯が終わったようだ。自前のビニールバックに詰めている中身のおおよそは女性ものだった。


「彼女と住んでるんですか? ええと」

「うん? ああ、俺はフィンチって呼ばれてる」

「フィンチ?」

「そう。文鳥とかそういう人に懐く鳥。それでこの洗濯物は今住まわせてもらってる人のものだけど、彼女というわけでもないな」

 隆由の頭に疑問が浮かぶ。今住まわせてもらってる? 彼女ではない? そうするとルームシェアというやつだろうか。隆由は親しい友人とのルームシェアというものに憧れを持っていた。もし隆由と同じ大学近辺に友人が入学するなら申し込んでいたと思うほどだ。けれども残念ながらそんな相手はいなかった。

 だからルームシェアかと聞くと、フィンチは眉を下げて困ったような表情をした。

「残念ながらそんな上等なもんじゃなくてさ。まあ上等に言えば何でも屋だし、率直に言えばヒモ?」

「ひ、ひも?」

 隆由の頭の中の辞書では、ひもとは女性に養ってもらっている男。けれども隆由が見るフィンチは爽やかで、多少影はありそうなものの、そんな胡乱な雰囲気ではない。今も衣服の類は簡単に畳んでからバッグに詰めている。むしろその透き通るような声は海のように澄んで、美しさすら滲ませている。


「まぁ驚くよね。でも俺は働けないんだ」

「ああいたいた。フィンチ。次の住むとこ見つけてきたよ」

「ありがとうございます、あかねさん」

「次の住む所?」

 突然ランドリーの扉をガラリと開けて入ってきたのは灰茶色の髪の背の高い、二十代後半くらいの女性だった。洗濯物も何も持たず、片手に小さなクラッチバック、反対の手にスマホを持っている。そしてフィンチの奥に座る隆由を見て目を瞬かせた。

「あれ、ひょっとしてその人がクアッセル?」

「いや、今日たまたまここであった人」

「そっか、あんたも入る? 文鳥愛好会」

「文鳥愛好会?」

「茜さん、それじゃ何がなんだかわからない」

 茜と呼ばれた女性は隆由の隣に座る。隆由はフィンチと茜に挟まれる格好で、少し落ち着かない。茜が隆由に体を寄せるように胴を捻ったから黄緑色のワンピースの隙間からは胸の谷間が少し見えて、少しドキリとした。


「そこのフィンチは記憶喪失なんだ」

「記憶喪失?」

「うん、気がついたら俺はこのランドリーのベンチで倒れていてね。その前のことは何も覚えちゃいなかった。名前も出身も」

「ここに?」

 頷くフィンチに、隆由はそんなことが本当にありうるものなんだろうか、と思わざるを得なかった。けれどもフィンチの瞳を見ても、嘘をついているようには思えない。というか嘘というにはありふれていて、且つ荒唐無稽な部類の話だ。

「最初にフィンチを見つけたのはみつるっていう子でさ。たまたま洗濯機が壊れててここで頭を抱えてたフィンチに会って話しかけたんだ。行くところがないようだからフィンチを家に連れて帰ったんだよ。それで私とか友達にどうしたらいいかって声がかかってさ」


 最初は茜もフィンチの言うことを全く信じていなかった。だから警察とか病院に行くことを勧めた。それはフィンチの左腕には殺すとか殺されるとかいったたくさんの物騒な断片的な内容とともに『絶対クアッセルから事情を聞くこと』と殴り書きのようにペンで書かれてあったそうだ。まるで探偵小説のような展開。

「クアッセル?」

「それが人の名前なのかもよくわからないけど、そのメモを見たときに俺はそうしないといけないと思ったんだ。それが何だか全然わからないのにね。俺は俺が誰だかわからない。メモの内容も物騒だ。だから警察に行くと捕まるかもしれない。けれど俺はクアッセルを探したいんだ。それが俺にとってとても大切なことだと思うから」

「でもさ、フィンチは今のままじゃ名前もわからないんだよ。身分証も何もないから働けないし家も借りられないんだよ。スマホの契約もできないしね。だからまぁ、当面フィンチの面倒を持ち回りで見てるんだ。それが文鳥愛好会」

「なんで文鳥なんですか?」

「フィンチとかカナリアってのは歌が歌えるんだよ。ほら、フィンチ、歌えよ」


 フィンチは少しばかり目をさまよわせた後、頷いてその大きめの唇を開き歌を紬ぐ。それは聞いたこともない外国語の歌。艷やかで深みのあるバリトン、伸びのある声は閉め切られたランドリーの中を踊るように舞い、月夜に潮が満ちるようにこの空間をたゆたゆと何かが浮かび上がる。そして最後の高音が過ぎて、潮が引くようにそのさざめきはすっと溶けて元のランドリーの姿が浮かび上がった。

 それはあたかも、このコインランドリーがこの世界から切り取られ、別の世界と交換されたかのように感じさせるものだった。

「凄い……」

「な、凄いだろ」

「俺にできることといったら雑用くらいしかないからな。いくらでも歌うよ」

 なぜだか得意げな茜の声に、少し申し訳なさそうにフィンチは呟く。

「あんたも文鳥愛好会に入らないか、ええと」

「隆由です。えっと、愛好会って具体的に何をすれば?」

「おい、あんた」

「そうだなぁ。今の人数だと月に2日ほどフィンチに部屋を間借りさせてご飯を奢って貰えれば十分だ。食材があれば料理も作ってくれるし掃除もしてくれるから、男の一人暮らしには便利だと思うよ」

「茜さん、便利って」


 隆由はルームシェアに憧れていた。そしてフィンチの声に一目、いや、一耳惚れしてしまっていた。そうすると、フィンチと月に何日か暮らすということは、隆由にとってすでにとても魅力的に見えていた。フィンチとはまだ会ったばかりだというのに。

 そんな経緯で隆由は十日ほど後、ビニールバックにわずかな着替えと歯ブラシだけを詰めたフィンチを迎え入れた。けれどもそれが思いもよらない事件に巻き込まれる結果に繋がることを、その時隆由は知る由もなかったが、それは別の話。


Fin

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