とおかさま

とりももにく

第1話

古いイ草と防虫剤の匂いに混じってすべてを飲み込む赤錆と海水、腐った汚泥の放つ悪臭。そんな中にぼくはいた。


「大丈夫、大丈夫じゃけぇね」


後ろからぼくをぎゅっと抱きしめ、何度も何度も『大丈夫』と掠れた声で囁くおねえちゃんの白い腕は酷く冷たい。


「なしてじゃ、なしてあのこが、っ、あがなええこが、」

「婆さま、もぉやめ……わしらが口出し出来ることとは違う。気持ちはいてぇほど分かる、分かるが罰当たりじゃ」

「ほじゃけどあんた!」

「『とおかさま』の思し召しにゃあ逆らえん。受け入れるしかないんじゃ、分かってくれ」


締め切られた襖の向こうから漏れ聞こえるおばあちゃんとおじいちゃん、おじさんやおにいちゃん達の声。梅雨入りしたばかりの今、虫干しもされていない和室はじめじめと湿度が高く不快な熱でぼくを苛む。どうにも耐え難くてひんやりと冷たいおねえちゃんの肌にすりすりと頬ずりをすれば、頭の上でおねえちゃんが笑った気配がした。


「おねえちゃん、何があったん?」

「あんたは気にせんでえぇ」

「とうかさんの話しとる、いっしょに行けるん?」

「違う、あれらが言うとるんは『とおかさま』。一緒にしなや」


とうかさんと、『とおかさま』。一体何が違うというのだろう。ここ数日、小学校はとうかさんの話題で持ち切りだった。どんな浴衣を着て行くか、お小遣いはどれだけ貰えるか、何をして遊ぶか、そんな話でみんなの頭はいっぱいだった。もちろんぼくだってそう、お父さんとお母さんからお小遣いを多めに貰って、初めて行くとうかさん。なんたって今日がその日なのだ。


『知っとるか坊。とうかさんはねぇ、すんごい古いお祭りなんよ!……ええっと、あっこのお寺さんがやっとって……母さん何年やっとん?』

『お父さんはも~、よぉ知りもせんとから知ったげに言わんの!……ええっと、さんびゃ、多分四百年くらい……?』


おねえちゃんが袖で額の汗を拭ってくれる。薄暗い中でもはっきりと見えるそれはどう見ても浴衣で、暑さ不快さに勝る申し訳なさが募って少し泣きたくなってきた。


「ごめんねおねえちゃん、ぼくのせいで浴衣汚れちゃった」

「ええよコンくらい。それより大丈夫?水くらい飲ましたげれりゃええんじゃけどね。あんたに飲ましてええもんがないけ」


ええ子じゃけ、我慢してぇね。おねえちゃんはそう言ってまたぼくをぎゅっと抱きしめる。おねえちゃんは花のような、古い木のような香りがする。この部屋からする匂いとは全く違う、安心する優しさを含んだ懐かしい香り。襖の外では起伏の激しいお経のような何かとおばあちゃんの嗚咽が反響して喧嘩する耳障りな音がうわんうわんと五月蝿く響いているのに、この部屋の中は、おねえちゃんのそばだけは、とても静かで居心地が良い。


「おねえちゃん、ぼくらいつまでここにおればええん」

「もおちょっとの辛抱じゃけえね。それまでおねえちゃんとお話しよこ」

「暑いよぉ……アイス食べたい……お外でお話しよおやぁ……」

「今お外に出たらいけんよ。これが終わったらとうかさんに行けるけん。そしたらおねえちゃんがかき氷買うちゃる」

「ほんまに!?」

「おん、いちごがええか、めろんがええか」

「ブルーハワイ!」

「ありゃ、大人じゃねぇ」

「おねえちゃんは?」

「おねえちゃんはなんでも抹茶味がすきよ」

「ぼく抹茶きらぁい」

「がきんちょめぇ」


大きな太鼓のような低い音、お皿を洗う時に鳴るような高い音、沢山の人が傷んだ床板を踏み鳴らして軋む音、何かが割れる音、笑う声、叫ぶ声、泣き叫ぶ声、笑う声。……おばあちゃんの、悲痛な声。みんなすごく、楽しそう。


「どうか、どうか、そのこだけでも、そのこだけでも……!」


何も聞こえないふりをして、何も気にしていないふりをしてたわいのない話をだらだらと続けても、ぼくを抱きしめているおねえちゃんには全部ばれてしまう。


「怖い?」

「……外、うるさいね」

「…………ほうじゃね」

「ねえ、なんでお経なんて唱えてるの」

「あれはポエトリーリーディングよ。後ろできゅっきゅきゅっきゅ言うとんのはターンテーブルじゃね。召喚儀式専門のDJを雇っとるから流石に腕がええ」

「ぽえ……とり……?」

「おねえちゃん、今バトルを挑まれとるところなんよ」

「ぽえ鳥の?」

「ううん、ラップの。ポエトリーリーディングは戦う為の武器と違う。自分の気持ちを伝える為の……言わばお手紙。つまり今は戦いの前段階。果たし状を手渡されよる最中なんよ」

「受け取るの?」

「受け取りとうないけん居留守使うとる」


どうやらおねえちゃん曰わくぼくらは今、『韻で韻を洗うラップバトル』に巻き込まれない為に果たし状を無視している最中らしい。知らなかった。


「やっぱりおねえちゃんとぼくじゃ勝ち目はないん?」

「五分五分」

「熱い勝負になりそうじゃ」

「そら命かかっとるけんね」


ぴっちりと閉ざされた襖のほんの僅かな隙間からきらきらした強い光が差し込んでは明滅する。おねえちゃんは「こんな日本家屋でミラーボールなんざ回しなや」と呟いて、目が悪くなるからと片手でぼくの目を塞いだ。


「なあ、あんたぁ、土着信仰って知っとるか」

「どちゃ……多分まだ習っとらん」

「今後も習わんけ安心しぃ、ほんじゃ宗教は分かるな?」

「うちはぶっきょーっと!にち……れ……?なんじゃったっけ」

「まだ詳しいことは分からんでええ。ほじゃけど、宗教はこがにちいこいあんたでも知っとる、人間の暮らしに根付いとるんよな。人間は宗教がそばにのぉたら生きてかれん生き物じゃ。ほいたらその宗教はいつどこで生まれて、いつどこで広がっていくんじゃと思う?」

「ひ、ひとそれぞれだし宗教もそれぞれ……?」


おねえちゃんはくすくす笑って壊れ物を扱うように頭を撫で、ぼくの正面……ちょうど襖を遮る位置に座り直した。そしてそのままそっと引き寄せられて、ぽすんと額を胸元に預ける形となってしまう。おねえちゃんは今まで一度も見たことがないくらい、とてもとてもとても綺麗なひとだから向かい合うと少しどきどきする。


「ええか、宗教はなんでもないとこから生まれたりもするもんじゃ。……や、ちょいちごたな、人間の『信仰心』はなんでもないとこから、宗教を生み出すもん、が正しいかぁ?」

「しんこーしん」

「それが何なんか、自分じゃあよお分からんもんをそれでも信じる心のこと。見た目が不気味なきゃらくたぁ、流行り病や憧れの人。己の頭じゃ理解や知覚が出来んもんを尊いもんとして祭り上げる。そうして始まる信仰も確かにあるんよ」

「むずかしい」

「今は分からんでも知っといたらええ。いつか分かるよぉになるけん」


おねえちゃんがぼくの頭をぎゅっと抱えてまた笑う。


「もうそろそろじゃね、あと五分とかからんよ。よお我慢したなぁ。おねえちゃんなあ、辛抱強い男は好きなんでぇ?」

「からかわんといて」


時間が経つにつれて外はどんどん喧しくなる。みんな「出来上がっとる」状態にあるらしく、お経……ぽえ鳥もきゅっきゅも何重にも重なって、酷く耳障りな騒音にしか聞こえない。


「儀式の最中に泥酔するほど酒呑む馬鹿の集まりで良かったわ……」

「すっごい五月蝿いからやだ」

「……ほんま、『五月蝿い』で済んで助かった」


あんたに『これ』が聞こえんで良かった、おねえちゃんは心底ほっとしたような声で囁いて、ぼくを抱きしめる力を強くした。


「『とおかさま』は、とうかさんと何が違うの」

「なんもかも。あらぁそもそもお寺さんどころか仏教すら関係ないずぅっと南の方の島の、ほんまもんの土着信仰だったはずなんじゃけどね。どこで混同されて力をつけたんやら……ターンテーブルを木魚に、ラップを経に見立てて同化を狙ったらしいわ」

「南の島の『とおかさま』が、なんで広島に?」

「そらあんた、陸も海もすっ飛ばして直線距離で移動出来るつぅるが最近出来たじゃろうが」


いんたぁねっと、じゃったかいね?おねえちゃんは舌足らずに首を傾げてぼくに尋ねる。ネットが出来たのは多分最近じゃあないと思うけど、おねえちゃんがそうだと言うならきっと最近なんだろう。


「人間の口をつとうて、言葉をつとうて、文字をつとうて、いんたぁねっとに出会でおうて、とうかさんに出会でおうて、ほんでそのねぇむばりゅぅに便乗したんじゃ。地方の祭りじゃ言うても、広島の人間なら誰でも知っとるでかい祭りじゃけえね……『とおかさま』が元々おった島よりよっぽど多く人間がおる」

「でもなんでとうかさん?知名度がほしいんじゃったらもっと大きいお祭りはいっぱいあるのに」

「名前が似とるから。それだけよ。それだけが、大きな意味を持つ」


おねえちゃんはその白く細い指でぼくの汗ばんだ髪を梳く。


「ほじゃけど、それが不幸中の幸いじゃったよ。ほうでもなきゃ、わてはあんたを見つけられんかったけ」


梳いた指が耳の裏を悪戯に擽って、そのまま滑らかな手のひらがぼくの耳を覆った。


「きた」


耳の奥でごうごうと血が巡る音がする。一人分の心臓だけがばくばくと跳ねて騒がしい。深く息を吸い込めば部屋に満ちていたおねえちゃんの甘い花と古い香木の匂いが肺一杯に入ってきて、吐き出してしまうのが少しもったいない。


「………ッ………?………、……ぁ……………ま………!…………!」

「う………、……い……………!………………、………い」


襖の外から聞こえてくる音が、少し変わった気がする。けれどおねえちゃんに耳を塞がれているせいでよく聞こえない。だからもしかしたらぼくの気のせいかもしれないけれど、さっきまでと違ってなんだか楽しそうではない……気が、するのだ。


「……!………ぇ……………!………ぁ………ぇ……っ……」

「…………と………ぅ…………ぃ゛…………!………」


「おねえ、ちゃん」

「大丈夫よ」


「……んで……………お…………、……………………て!………ぅ……さ、」

「しょ…………………、…………………!!!……………………、い…………え…………………」


おねえちゃんはぼくの耳を塞いだまま、額にちゅ、ちゅ、と唇を当てて宥める。抗議しようかと思ったけどひんやりと冷たくて、心地良く清浄な空気を吸い込むとどうにも大人しくしたほうが良い気になって結局黙った。


「この部屋、もう変な匂いはせんか」

「……?ええ匂いする」

「変に暑うないか」

「涼しいよ」

「この部屋に、不快なもんはなんもないか」


おねえちゃんが突然変なことを聞いてくる。変な匂いなんてしないし、暑さもない。おねえちゃんみたいな良い匂いでいっぱいだし、おねえちゃんみたいにひんやりと気持ち良い涼しさがぼくの頭をすっきりさせてくれる。急にどうしてそんな……あれ。


「しゃきっとしてきたか」

「お、おねえちゃ、さっきまでずっと、変な匂いしてた……ずっと、蒸し暑くて苦しくて、アイスが食べたくて、っ、あれ?」

「大丈夫、もう大丈夫じゃけ、落ち着きんさい」

「おねえちゃん、ここどこ」


古いイ草と防虫剤の匂いに混じってすべてを飲み込む赤錆と海水、腐った汚泥の放つ悪臭。頭が茹だるほどの異常な湿気と暑さ。見覚えのない狭い和室。そんな中にぼくはいた。確かにさっきまで。靄のような何かで無理矢理隠されていた正常な思考と危機感が雪崩のようにふわついた思考を押し潰していく。


「おねえちゃん」

「うん」

「あの、外の」

「うん」

「おじいちゃんと、おばあちゃんと、おじさんと、おにいちゃん達」

「うん」

「だれなの」


知らない場所、知らないひと。ぼくは、お父さんとお母さんと三人でとうかさんに来たはずで。花火をうんと近くで見るために双眼鏡を首から下げていたはずで。いっぱい歩き回れるように履き古したスニーカーを履いていたはずで。Tレックスがプリントされたお気に入りのTシャツを着ていたはずで。

こんな部屋知らない。こんな、こんな真っ白な浴衣知らない。何も知らない。


「ゆ…………、ゆ……………!………………に…………………!」


「おねえちゃん」

「うん」

「だれなの」


「ど……、ど……、いけ……………、や…………………………」


「良かった。よぉやっとこっちに戻ってこれたか」


おねえちゃんは力が抜けたようにへにゃりと笑ってまたぼくの額に唇を押し付けた。


「………けに………………」

「………………え……ッ………ぉ………………ぇ」

「……い……………!…………て」


ふと、襖の隙間から差し込んでいた強いきらきらが目を刺激して来ないことに気が付いた。少しずつ、少しずつ外が静かになっていっていることにも。


「おねえちゃん、とうかさんには、一緒にいけるの」

「かき氷を食べ終わるまでなら」

「あとどれくらいかかるの」

「うーん」


きらきらが消えたのかと最初は思ったけど、違った。ぼくの視界より上、大きな襖のうんと高いところからきらきらが入り込んで来ている。途切れているだけだったのだ。途中で、何かで塞がれたように不自然に。


何かが、そこにいる。


「………………………てぇ」

「………………………………テ、エ゛」


どおん、と襖が揺れる。


「おねえちゃ」

「大丈夫、大丈夫じゃけぇね」

「ねえ、あとどれくらいで帰れるの」

「うーん」


おねえちゃんの優しい手のひらが耳を伝って、頬を撫でてからそっと離れていく。ほんの少し名残惜しくてその手を手で追った。


どおん、と襖が揺れる。


襖の外、すぐそばからおばあちゃんの声がする。


「そんなええこ、そんな『ええ仔』二人とおらんのです」

「その仔以上は、そうそう見つからんほどええ仔なんです」

「ですけぇ『とおかさま』、『とおかさま』、どぉか、どぉか、その仔だけでも、」

「その仔一匹だけでも、どぉか、許してつかぁさい……!!!」


どおん、と襖が揺れる。おねえちゃんがほっとしたように溜め息を吐いた。


「あと一人じゃけ、待ちんさい」


「たすけ、エ゛」








『しょうかんのぎしき』が失敗した、らしい。


「よぉ頑張った、ほんによぉ頑張った。あんたぁ将来えぇ男になるよ」


良い子でいっぱい頑張ったご褒美だからと、おねえちゃんはかき氷だけでなくお好み焼きとフランクフルト、林檎飴まで買ってくれた。ぎゅうぎゅうのベンチの隅っこに並んで座って、きゃあきゃあ花が咲いたようにはしゃぐ人混みを眺めるだけの時間がこんなにも楽しいだなんて知らなかった。


「父ちゃん母ちゃんと連絡とれたか」

「うん!すぐ迎えに来てくれるって!」

「すまほ、すごいんじゃなあ」


お腹が空いてお腹が空いて仕方なかったぼくがあつあつのお好み焼きを頬張っている間に、おねえちゃんがかき氷をつつきながら林檎飴を器用に割ってお好み焼きの容器の蓋に並べてくれる。


「あのおうちは、何だったん」

「『とおかさま』を信じとる人間が集まって住んどったとこ。そこをフェス会場に指定して、召還専門の踊り子やらDJやらラッパーやらを雇って、あんたをいけ……目印に『おいでませ広島~♡』って寸法よ。兎にも角にも『とおかさま』より先にわてに見つかったんがあれらの運の尽きじゃった。失敗したと思うて焦ったんじゃろうなあ……あの時点じゃあまだ機会はあったんにね」

「おねえちゃん、何したん」

「目印をあんたからあれらに移しただけよ。時間かかってしもうたけどね」

「『とおかさま』って、神様なん」

「だった、じゃね。土着の神さんがその土地を離れてしもうたら、もう神さんじゃあおられんくなる。因果は巡るがありゃあとうにただの怪異……おばけじゃ」

「どうして、神様じゃなくなるん」

「元々、神さんじゃあなかったからじゃろ」

「神様だったんじゃないん」

「神さんじゃったよ。その土地では、確かに」

「むずかしいね」

「むずかしいなあ」


おねえちゃんはぺろっと舌を出して、底に残った抹茶のシロップまで飲み干した。ちょっと行儀が悪いけど、今ここにお母さんはいないから誰もおねえちゃんを叱らない。


「おねえちゃんは、何なん」

「ないしょ。ええ女は秘密が多いもんじゃけ」

「……おねえちゃん、もうおうち帰っちゃう?」

「父ちゃんと母ちゃんが来るまで一緒におるよ」

「またいっしょに遊べる?」

「会いとぉて会いとぉてもぉやれんようになったら呼びや。それまで我慢しぃ、ね」

「うん」

「えぇ子じゃ。辛抱強い男はわての好みよ」

「他には?」

「抹茶が好きな男」

「分かった頑張る」


おねえちゃんの細い指がぼくの汗ばんだ髪を梳く。梅雨入りしたばかりの夜は蒸し暑くて、ひんやりと冷たいおねえちゃんの体温が心地良かった。


「今日起きたこと、お父さんとお母さんにはないしょにしとく」

「しゃべってもええよ?」

「ううん、ぼくもないしょを作る。……あれがなんだったんか、自分でも分からんのんじゃもん」

「分からんでええよ。おねえちゃんもよぉ分からんもん。なしてEDMとラップとラッパーが木魚と経と坊主の代用としてまともに機能しとんのかとか聞かれても、そりゃ見てみい実際機能しとるじゃろうがとしか答えれんしな」


呆れたように乾いた笑いを漏らしたおねえちゃんはぼくの口についたソースを躊躇うことなく袖で拭って、ぼくが謝るより早く林檎飴を食べさせてくれる。かき氷を食べた後でも冷たくて甘くて酸っぱくて、すごく美味しい。


「りんごあめがこんなにおいしいなんて知らなかった」

「おねえちゃんが食べさせたけぇ美味しいんよ」


多分そんなことはないけど、おねえちゃんがそう言うならきっと本当にそうなのだと思う。


「かわいいかわいい林檎のほっぺ、神仏なんぞおらんと宣う不届きな連中もどうやったって奥底に宗教が根付いとる。人間は信仰から逃れられん。それでも、歩く道を選ぶことはできる。歩けるはずの道を隠して塞いで無理矢理道を一本に定めようとしてくる奴を信じるな、よっておねえちゃんの言葉も眉唾物として聞ぃとき。なんもかんもは知らんでええからそれだけちゃんと覚えときや。今のあんたはそんくらいが丁度ええから。ええな?おねえちゃんと約束できる?」


おねえちゃんがそう言うならきっとそうなのだと思う。思うけど、それを信じるかどうかは、明日のぼくが決めることなのだとも思う。


「あっいた、母さんいたよぉ~!」

「っ~~~!!!あんたぁどこいっとったんね!!?」


遠くから、ぼくを呼ぶお父さんのどこか呑気な声とお母さんの今にも泣きそうな高い声がした。ぼくは聞こえた瞬間咄嗟にそっちの方向を向いてしまったから、おねえちゃんの方へ向き直った頃にはきっともう隣に誰もいないだろう。根拠は無いけどそんな気がする。だからまだ振り返らない。おねえちゃんがそこにいることを信じて、約束の代わりに宣言しておく。


「抹茶味、食べれるようになるけん待っててね」


おねえちゃんが、頭の上で笑った気配がした。

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とおかさま とりももにく @toritorimanju

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