05 雨に呑まれる星明かり

 リーシアは呆然と、青年――ラシリスのことを見つめていた。彼女の両親も、驚いたような表情を浮かべている。僕もまた、衝撃を受けていた。


 次の言葉を紡いだのは、リーシアだった。


「そんな……きっと、違います。だってわたし、ここにいるお父さんとお母さんの子どもです。ね、そうだよね?」


 リーシアは自分の隣にいる父親と母親を、交互に見つめる。観念したように、彼女の父親が口を開いた。


「すまない、リーシア、ずっと話せていなくて……お前は俺たちの、本当の子どもじゃないんだ」


 それを聞いたとき、リーシアの表情が確かに歪んだ。


「幼いお前が血だらけで森の中を彷徨っていたのを、俺が十四年前のこの日に、見つけたんだ」

「そんな……」


 俯いたリーシアに、ラシリスは追撃するかのように言葉を掛ける。


「ラミティル。貴女は昔、王政反対派の組織に拐われたのですよ。……本当に、生きていてくれてよかった」

「……でも、わたしとよく似た人かも、」

「いえ。貴女が〈ホシの眷属けんぞく〉であることが、何よりの証拠です」


「〈ホシの眷属〉……?」

「ええ。僕たち王族の多くは、〈ホシバミ〉と言葉を、意思を交わすことができる――その力を用いて、僕らは民衆を統治してきたのです」


 ラシリスの言葉に、僕は唖然あぜんとする。


〈ホシバミ〉と会話できる者は、リーシアだけだと思っていた。でもそれは間違いで、世界には〈ホシバミ〉と意思疎通できる者が、他にも存在していたのだ。


「……用いて、って……もしかして、隣町が〈ホシバミ〉に襲われたのって、」


 リーシアは震えた声音で、言う。ラシリスは微笑った。それはいつものように優しげではなくて、獰猛どうもうさを微かに感じさせるような、笑い方だった。


「さあ、どうでしょうね。……さて、ラミティル。貴女へのお願いは一つです。王家に帰って来てください」


 リーシアはラシリスを睨み付けながら、少しの間沈黙していた。それから、口を開く。


「……わたしが、嫌だ、と言ったら」

「別に、強制はしませんよ。……でも貴女は、それに耐えられるのですか? 民衆の世界で生きていくとして、貴女が王族の人間だと露呈ろていした際、どうなるかおわかりですか?」


 ラシリスはそう告げて、紅茶を飲み干した。ティーカップをテーブルの上に置くと、鞄を持って立ち上がり、微笑う。


「今日はこれで失礼します。また来週にでも、答えを聞きに伺いますね。……ああ、それと。〈ホシの眷属〉の話はどうかご内密に。破った場合、きっと凶暴な〈ホシバミ〉が、この村を襲いに来るでしょうね」


 そんな脅迫めいた言葉を残して、ラシリスは去っていく。


 暫く、重い静寂が場を満たしていた。


 やがてリーシアがばっと立ち上がり、駆け出した。僕は少し逡巡してから、彼女の両親に一礼して、遠ざかっていくリーシアの後ろ姿を追い掛けた。




 外では霧雨が降っていて、水の香りが世界を満たしていた。


「リーシア!」


 僕は、彼女の名前を呼ぶ。走っていたリーシアは段々とその動作を緩め、やがて肩を上下させながら立ち止まった。振り向いた彼女の表情は、本当に悲しそうだった。


「……ミナセ」


 雨に濡れてしまった彼女に近付いた。リーシアは首を横に振って、俯いた。


「……わたし、王族だったんだね」

「…………」

「やだな……わたしね、ずっと、自分はこの村で生きていくんだと思ってた。村の皆が、大好きだから。……でも、もう、ここにはいられないね。だって皆、王族を憎んでいるもの」


 雨の中でも、彼女の瞳から落ちる涙の透明だけは、一際美しくて。


「でもわたし、王家に戻りたくもない……〈ホシバミ〉を用いて人を殺すなんて、許せない。わたしはこの力を使うのなら、殺すんじゃなくて、救いたいよ……」


 もう隠すのは終わりにしようと、思った。

 僕はもう一歩彼女に歩み寄って、華奢な体躯をそっと、抱きしめた。


「……え、」


 耳元で聞こえた彼女の声が、愛おしかった。


「ミナセ、」


 愛おしくて、堪らなかった。


「僕が、君の居場所になる」


 そう、囁いた。


「どこか遠くへ行こう。それで、二人で暮らそう。僕はリーシアが王族だからって、〈ホシの眷属〉だからって、嫌ったりしない。そんなことはどうでもいい。……僕はずっと、君のことが好きだった。君はいつだって尊い人だった。……だから、悲しまないで」


 リーシアの嗚咽が聞こえた。僕はそっと、彼女の背中をさすった。


「……ありがとう。わたしもずっと、ミナセのことが、好きだった……」


 返ってきた言葉が堪らなく、嬉しくて。


「ミナセは、本当に、優しい人だね……」


 そんな彼女の言葉を、僕は心の中でこっそりと、否定する。


 優しくなんてない。こうして君が深く悲しんでいるにも関わらず、僕は君を自分だけのものにできたということに、心の奥深くで喜んでしまっているから。それほどまでに僕は君のことが好きで、君のためなら狂ってしまってもいいと思えるくらい……好きで。


 石鹸と花の濃い香りが、する。

 僕たちは流れる時間に置いていかれてしまったかのように、お互いを抱きしめ続ける。


 やがて身体が離れてから、僕は袋に包まれていたヘアピンを取り出して、彼女の前髪をそっと留める。


「お誕生日おめでとう、リーシア」


 僕はようやく、その言葉を口にすることができた。

 銀雪の髪を桜色の花飾りに彩られながら、彼女は嬉しそうに微笑んで、ありがとうと言った。

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雨に呑まれる星明かり 汐海有真(白木犀) @tea_olive

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