第2話 婚約者はやはり美しかった

「喜んでもらえると良いんだけど」


 薄い水色のリボンがついた小箱を差し出して、輝く金の髪をした少年は微笑んだ。海のように青い瞳は、ほんの少し不安げに揺れている。


「開けてみてよ」


 促されてリボンを解く。蓋を開けると、ふんわりと甘い香りがした。

 整然と並んだ小さな焼き菓子に、自然と笑顔になる。

 貝の形をした焼き菓子には、レモングレーズがかけられている。その隣の舟形のタルトには、アーモンドキャラメルとスライスが、マーガレット型のタルトにはイチゴが美しく飾られていた。

 

「お母様の宝石箱みたいだわ」


 きれいと笑顔のまま答えると、ラーシュの金色の長いまつ毛が幾度か上下する。


「そ……っ、それは良かった」


 よほど意外な反応だったらしい。ラーシュの青い目がまぁるくなっている。

 そうか。

 これまでのリヴシェなら、お菓子程度で喜ぶことなどなかったんだろう。


(ツンデレ気質のリヴシェ、かわいいんだけどね。

 でもまあ、わかりにくいかも。

 特にお子様には)


 我が事ながら、記憶が戻る前のリヴシェにはため息が出る。

 本当にきれいで美味しそうなお菓子、これを見て悪態をつけるなんてかなりのへそ曲がりだ。


「食べても良い?」


 さすがにその場で箱に手をつっこむのはまずいだろうと、上目遣いに許可を求めてみた。

 するとなぜだかラーシュは口元を手で覆い、顔を背ける。


「ラーシュ?」


 どうしたのだろう。まさかおやつの時間までお預けとか?

 確かにリヴシェのおやつは王女付きの栄養士によって、厳しく管理されている。決められた時間以外に予定外の甘いものは、禁じられていた。

 でもこんなに綺麗なイチゴ、明日までおいておいたら萎びてしまう。もったいない。


「今日は特別だって、お母さまにお願いしてくるからっ。

 ね、良いでしょ?」


 引き続きの上目遣い。できれば一緒にお願いしてくれれば、もっとありがたい。

 母はラーシュに甘いのだ。


「食べてもらうために持ってきたんだから。

 好きなだけ食べてよ」


 顔を背けたまま、ぼそぼそと答えるラーシュの耳が赤いような気がする。風邪でもひいているのだろうか。そういえば、いつもよりずっと口数が少ないような。


「ラーシュ、どこか具合が悪いの?」


 ラーシュは大丈夫だと首を振ってくれたけど、相変わらず顔は背けたままだ。

 いきなりは反則だとか、どうして急に変わったんだとか、落ち着けとか、ぶつぶつ独り言を言っている。

 さすがにリヴシェも気づいた。

 これは前世でいうところの、ギャップ萌えというやつか。

 以前のリヴシェの悪態に慣れたラーシュにしてみれば、一般的には普通の今の反応がとても新鮮に見えるに違いない。そしてそれはとても好印象のようだ。

 

 小説の中のリヴシェは、やや直情的過ぎるがけっして意味なくわがままで残酷なわけじゃない。

 いわゆるツンデレなんだとは、前世のリヴシェを愛でる同志たちの間ではコンセンサスのとれたことだった。

 小説の中の男どもは見る目ないよね、これも共通認識で。

 その見る目のない男の一人、それも少年時代のラーシュには、あまりツンツンしてはいけない。その点は確かに気をつけたが、特に変わったことはしていない。

 それなのに!

 この程度、普通にしているだけでギャップ萌えしてくれるとは。

 なんというか……チョロ過ぎる。

 少し冷めた目でラーシュを見てしまうが、いや油断大敵と唇の端を大きく上げて笑顔に戻す。


「じゃあ、一緒にね?

 わたくし一人で食べてたら、後でお小言をたっくさんいただくことになるわ。

 だから、ね?」


 こくりと頷いてくれたので、給仕のメイドに取り分けてもらった。

 イチゴ。

 この中から1つ選ぶなら、絶対にイチゴだろうと思う。

 ナパージュで仕上げられたつやつやのイチゴタルトは、本当に綺麗で美味しそう。甘酸っぱい香りもたまらない。

 ラーシュの前にも同じものが出されていた。


「いただきます!」


 この世界の製菓レベル、すごく高い。小説の中にはなかったけど、これは本気でヤバい。レモンのマドレーヌもきっとおいしいはず。

 すっごく食べたい。

 箱の中をガン見していると、ラーシュがくっくっと楽しそうに笑っていた。


「本当に気に入ってくれたんだね。

 嬉しいよ。

 初めてだ、こんなリヴシェ見るの」


「美味しいものは美味しい、綺麗なものは綺麗。

 嬉しいは嬉しいって、言わなければ伝わらないんですって」


 さも教えられたように言ったけど、前世23歳まで生きていれば、その程度のことはわかる。

 まあ、わかるのとできるのは違うんだけど、幸い今のリヴシェは子供だからある日を境に変わることだって、そう不自然じゃない。


「うん、そうだね。

 ほんとはね、今日もまた喜んでもらえないんだろうなあって思ってたんだよ。

 だからこうしてリヴシェが喜んでくれて、僕今日はとっても嬉しいんだ」


 うわっと声に出さなかった自分を、リヴシェは褒めてやりたい。

 なんだ、この麗しい生き物は。

 金髪碧眼、聖堂の天井に描かれている天使でさえ、ラーシュの微笑の前には裸足で逃げ出すんじゃないかと思う。そのくらい胸にきゅんとくる、汚れなく愛らしい微笑だった。

 

「ずっとそのままでいてくれる?」


 強請るような表情で請われれば、頷くしかない。

 こくこくと首を縦に振りながら、ああラーシュ推しに宗旨替えしようかと思うリヴシェだった。

 

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