33 元の世界へ……


 前にいる男の手が触れて意識が引き戻された。

「ナナミ、浄化してくれ。何だか気分がおかしい……」

「エラルド……?」

 どうしたんだろう、エラルドの顔が青くなって、額に脂汗を浮かべ歯を食いしばって苦しそうにしている。

「うふふ……、その男の手で殺されたいの?」

 聖女が笑っている。

「ほら剣を構えて、逃げられないように足から刻んでいくのよ」

「なっ、この人、何?」


 菜々美は周りを見回した。

 どうなっているのかその場にいる連中は誰も聖女を咎めない。黙って薄笑いをして見ているだけだ。


「あんたには魅了が効かないようね、まあいいわ。さあ、この子の足から刻むの」

 聖女がエラルドに命令する。


 ちょっと待って、魅了って、魅了って──。

「あら、ヒロインは魅了が使えるのよ。知らないの?」

 立ち上がるエラルド。ゆっくりと剣を抜く。

「聖女でヒロインなの。最強よね。うふふ……、あーーはははーーー」

 聖女の哄笑が響く。

 菜々美はエラルドを振り仰ぐ。目が合った。


 手を祈りの形に組み、

 菜々美はゆっくりと歌うように言葉を紡いだ。


「清く美しき精霊よ、彼のものを救い給え。祓い給え」


「何を小癪な、早く刻んでお仕舞い」

 エラルドは抜いた剣を聖女に向かって構える。

「お前……」

 意外な顔をする聖女。

 エラルドは額に脂汗を浮かべ、蒼い顔で耐えている。


「清め給え。無垢なる身に帰し給え、浄化!!」


 大広間に菜々美の祈りの言葉が広がって行く。

「ぐああーー! 貴様何をーー! うわああぁぁーー!!」

 国王陛下が、司教が、貴族達が、騎士達が、そこここで頭を押さえて叫ぶ。


 聖女はまだ立っている。

 余裕のある表情は崩れて、怒り狂った憤怒の形相で叫んだ。

「くっ……、聖女の真の実力を甘く見るんじゃないわよ。伊達に聖女として召喚されているんじゃないんだ。聖女の実力を思い知れ!」

 聖女の手が光る。光を集めている。


(ヤバイ!)

 菜々美は結界を張った。

「シャインブライト──」

「結界、結界、結界、結界、結界っ、結界、結界、けっ……」

「ダイヤモンド! 光の断罪!!!」


「きゃあーーー!!!」

 菜々美が断罪を食らって弾き飛ばされる。

 庇っているエラルドも一緒だ。

「くっ!」


「ふっ、さすが雑魚ね。この程度で転がってどうすんの」

 一歩、二歩、と詰め寄って来る。


(聖女がラスボスなの?)

 貫禄は十分である。

「もっと強力なのをお見舞いしてあげる。光となって砕け散れ──」

 聖女の手が上がる。


(ダメ!! イヤ!!)

「お前なんか、お前なんか、あっちへ行けーーー!!!」


 菜々美の心の叫びが炸裂した。

「何を──」

 聖女が無様に転んだ。


「お前なんか帰っちゃえーーー!!」

「そっちのイケメンの王子達も行っちゃえーーー!!」

「ぎゃあああーーー!!!」

 王子達が転んで聖女に吸い寄せられる。


 不意に大広間の重厚な扉がバアンと開いた。

 そこは召喚の間への入り口だった。

 ぐるりと回った階段のその下に魔法陣がある。


 聖女が召喚の間に吸い込まれて行く。

 王子二人も一緒に吸い込まれる。

「ぎゃああぁぁーーー」

「うわああぁぁーーー」

 召喚の間の魔法陣が輝いている。起動している。

 聖女と王子達は魔法陣の光に飲み込まれる。


「ぎゃあああぁぁぁーーー…………」


 光に飲まれて消えて行った。

「あ、ホントに帰ってる。えーーー! 何で?」


 菜々美の身体が召喚の間の扉に向かって引き込まれる。

「わっ、巻き込まれる! エラルドッ!!」

「ナナミ!」

 菜々美とエラルドが手を伸ばす。手だけを繋いだまま二人はズルズルと召喚の間に引き寄せられる。

「きゃああーーー!」


(帰るの? 帰れるの?)

「ナナミ!」

 ああ……。

 菜々美のもう一つの手が伸びてエラルドの手と繋がる。エラルドが菜々美を抱きしめる。しかし、そのまま二人一緒に召喚の間に引き摺られる。

 ずるずると──。


(一緒に行くの?)

 エラルドの顔を見上げる。エラルドは扉の方を見ていた。菜々美をしっかり抱えると手を伸ばした。


「帰さんぞ」

 ヨエル様がいた。エラルドの手を掴む。

「ヨエル様、巻き付きますわ」

 ルイーセ様が両手をヨエル様の身体に巻き付ける。その胴体は長く伸びてラーシュが掴みクレータが熊になって掴んでさらにウスリー村の誰彼とか、少年とか犬とか銀髪の男とか侍女とか、見知らぬ兵士達とかぞろぞろと──。


(ああ……、巻き込んだ人が沢山……)


 魔法陣はひときわ眩く輝いた。

 そしてそれを最後に、シュンと収束して段々光を失った。


 必死で引っ張っていた人々はその場に投げ出された。



「余の加護を受けたそなたの本気の力を使えば、帰ることが出来ると分かった。しかし、余は帰って欲しくなかった。そなたとこやつを一緒に帰すなどもってのほかじゃ」

(そっちなのかー)


 見ると菜々美たちを引っ張っていた人々は消えて、召喚の間にはラーシュとクレータとヨエル様だけがいる。ルイーセ様もいない。

「彼らの気持ちだけを繋げたのじゃ」

 ヨエル様が当然という風に告げる。

「俺の一派のイェルケル達もいたようだが」

「こちらに向かっておられます。今度こそ合流できるとよいのですが」

 ラーシュが報告する。


「もう一度、出来ないの?」

(エラルドと一緒に帰れるなら……)

「嫌じゃ」

 菜々美は縋り付くようにヨエル様にお願いしたが、にべもない返事であった。

 エラルドが引き寄せて頭を撫でる。

「ナナミ、こっちに居たのでいいではないか。お前の力が必要な者はまだまだ沢山居るぞ。それに帰らないと言った」

「うー」

 俯いていた菜々美はふと顔を上げる。

「帰れるってことは、向こうの私の痕跡は消えていないの?」

「いいや、消えている」

「そんなん……、私のこと、誰も覚えていないの?」

「うむ」

 縋るように妖精王を見るが、何を聞いてもつれない返事であった。

「はあーーー」

 菜々美の帰りたいと思う気持ちが萎んだ。

「うっうっうっ……」

「泣くな、俺がいるだろう」

「ひっく……」




 ゴゴゴゴ……

 床に描かれていた魔法陣がそして床が揺れた。

 召喚の間のあちこちに亀裂が走る。

「ここに居ては危ない」

「逃げるぞ」

「うん……」

 エラルドが菜々美を肩に担ぎ上げて召喚の間から走って逃げる。

「背中に乗るのじゃ」

 ヨエル様の背中に菜々美を乗せてエラルドが飛び乗る。

「こちらです!」

 ラーシュがクレータの背中から叫ぶ。走るクレータの背中をヨエル様が追いかけて走る。



 崩れ落ちて行く。召喚の間が。王宮の聖堂が。


 この世界唯一の、菜々美が元居た世界との繋がりが。

 瓦礫と廃墟になって行く。


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