24 紡績工場


 坂道を登ってウスリー村に行ってみると、村人の状態は悪化していた。

 家の内外で苦しがってのた打ち回っている。

「ううう……」

「だ、だれか……うがあ──」

「ぐああーぐああぁぁーーー」

 こ、これはラーシュが苦しがっていた時と似ている。


「瘴気に犯された後、ナナミの聖水の浄化を中途半端に受けたようじゃ。半分瘴気抜けの苦しい状態になっているのう」

 ヨエル様がじっと村人を見て診断を下す。

「あの時は苦しかったです」

 ラーシュが喉の辺りを押さえて苦しそうに言う。


「浄化した方がいいの?」

「村人のすべてが元に戻るという保証はないが」

「え、そうなんですか、ヨエル様。元に戻らなかったらどうなるんでしょう」

「気が抜けたままじゃのう」

 薄ぼんやりの状態のままなのだろうか。

 しかしこのままでは、元気なのはこの少年だけだ。このまま状態が悪化して村人が暴れたり魔物になったらいけない。

「浄化するしかないですわね」

 クレータが背中を押してくれる。

「分かったわ、頑張る」

 エラルドが菜々美の手を取った。熱をその手に流して受け入れる。

 菜々美は村の中心に立ち一度空を見上げ、それから両手を組んで祈りを捧げる。


「清く美しき精霊よ、彼のものを救い給え。祓い給え。清め給え。無垢なる身に帰し給え、浄化」

 ラーシュを浄化した時よりももっとソフトに、もっと優しく、範囲も村限定で、隅々まで届けと願う。美しい気配が村全体を包んだ。


「うがあーー!」

 それでも苦しくて暴れて、菜々美に襲い掛かろうとするのをみんなが手分けして遮る。

 やがて村人たちの様子が落ち着いてきた。


「うああ、俺は何をしていたんだ?」

「ああ、頭の靄が晴れたようだ」

「苦しいのが治まった……はあはあ」

 村人のほとんどが正気に戻った。老人か女子供ばかりだ。


 その時、村の広場の正面にある大きな家から男が出て来た。

「カイじゃねえか、そちらはどなたさんだ?」

 白いひげを生やした姿勢の良い矍鑠とした老人だ。広場を見回してカイを見つけて声をかけた。

「あ、元村長。このお姉ちゃんは聖女様です」

「あら違うわよ」

 菜々美は慌てて訂正する。

「でも、祈ってくれて浄化してくれたんだ」

 カイの言葉に老人は驚いて頭を下げた。

「何と、それはそれはありがとうございます。お陰様でわしも今まで調子が悪かったのが嘘のように治まりました」

 どうも今この村にいる人間の中で、この元村長という男が一番上の責任者のようだ。正気に戻った村人が「村長様──」と集まって来る。


「我々はこの村の工場に行きたいんだ。そこにこのカイの親兄弟がいると聞いたのだ。カイがひどく心配している」

 エラルドが聖女疑惑をぶった切って聞く。ヨエル様も先を急かす。

「案内してくれぬかのう」

「はいはい、もちろんでございます」

 元村長は頷いた。カイの言った事で何事か思う所があるらしい。


「取り敢えずここの腑抜けた者どもはここの者が世話をしてやってくれ。工場にも同じようになった者が出るだろう。手の空いたものは工場に行って手伝って欲しい」

 エラルドがてきぱきと指図する。

 元村長が村人を工場に行くものと残る者に分けてから、先頭に立って案内する。

「こちらでございます」



 村の横を通って丘を一つ越えると入り江があって、工場はその手前の湖に突き出た岬の突端の小高い丘に建てられていた。手前に木造の倉庫みたいな建物がいくつかあってその向こうに岬にせり出すように立派な建物が建っている。

 高台で水の被害は受けていないみたいだが。


 近付くと工場の内外で人々が村と同じような症状で苦しんでいる。工場の真ん中で菜々美が浄化すると、村と同じように正気に戻った者と腑抜けたものとが出た。

 正気に戻った者が元村長の指図で腑抜けたものを一か所に集めて世話をする。


「ここは何の工場だ?」

 ラーシュと一緒に工場をぐるりと探索したエラルドが聞いた。

 見回すと、糸巻きとか糸車がある。隅に積んであるのは綿花の袋だろうか。

「紡績工場でございます」

 工場に働きに行っていた村人が答える。


「帝国から綿花の交易商人が来て此処に工場を作ったのだ。何でも手巻きでなく、一度に何本も紡げる装置が出来たとかで」

 元村長が苦い顔で説明する。

「わしの甥が喜んで手を貸したようだが、村人を休みも与えずこき使って」

 どうもこの工場はブラック企業のようだ。


「仕事も大変なのに昼夜こき使っておまけに工場排水は垂れ流しとか、話にならないわ。休みもなしにこき使うなんて労働環境が劣悪過ぎる、許せないわ」

 菜々美が眉を逆立てて言うと「何処もこのようなものだが」とエラルドが返す。

「えー、酷い!」

 誰に文句を言っていいか分からなくてそのままエラルドに言う。

「働いてくれる人は大事なのよ。労働時間と休憩時間と休日をちゃんと決めて、仕事に見合った報酬を渡さなきゃあ」

「俺に言われても」

「あ、ごめんなさい」

「いや、俺も似たような立場だったし辛いのは分かる」

 その言葉に菜々美は驚いてしまう。仮にも王子様なのにどんだけひどい待遇を受けていたんだろう。それなのにこの人は優しいと菜々美は思う。

 菜々美みたいな金太郎でいいんだろうか。少し心配になった。


「父さんたちがいない」

 カイが泣きべそをかいて言った。

「反抗的な奴は牢に入れられて、見せしめに酷い責め苦を──」

 村から工場に連れて来られて、無理やり働かされていた男が言う。

「んな、酷い」

「牢は何処にある」

「工場の地下だ。俺が案内する」

 正気に戻った男の一人が、菜々美たちを案内すると申し出た。

「わしも行こう」

 元村長も行くようだ。苦虫を噛み潰したような顔である。


  * * *


 工場で働いていた男に案内されて地下に行く狭い階段を下りると、牢に入れられた者たちは鎖に繋がれて傷だらけでひどい状態であった。

「鞭やら棒で折檻されたんじゃ」

 案内して来た男が言う。

「何という事を──」

 元村長は絶句している。


「カイ……」

 一人の男が顔を上げて、鎖に繋がれた傷だらけの手を伸ばして来た。

「兄ちゃんっ!」

 カイは牢の鉄格子に縋り付いた。他の繋がれた者は顔だけを向けた。話す気力もないらしい。

 菜々美はもう見ていられなくて、さっさとヒールをかける。


「癒しの精霊よ我らを包め、聖魔法ヒール!」


 苦しそうにしていた人々の怪我が治って、ほうと息を吐く人、ぐったりとその場に蹲る人。

「ああ……」

「ありがとう、ありがとう」

「ありがたい事じゃ」


 エラルドたちが牢のカギを壊し、繋がれている人たちの戒めを外している。自由になってもその場から立ち上がることも出来ずにいる人々。傷は治っても、体や心に受けたダメージはゆっくり休んで体力と気力を取り戻さなければ治らないだろう。

 何とも言いようのない口惜しさに菜々美は唇を噛む。エラルドがその頭をポンポンと撫でる。


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