08 鹿でなければ何なのさ


 大きな獣は二人の前に立つと、その姿がゆっくりと滲んでやがて一人の男になった。

 緩やかにうねる長い金の髪、着ている上着は別珍かビロードか、濃い青味がかった翠色で袖口は金糸銀糸の刺繍があしらわれ、シャツの白い袖がひらひらと零れる。襟もひらひらとフリルとレースが舞いリボンが緩く結ばれている。

 

 そこには大きな獣がいた筈だ。

 なぜ黄金の髪、緑の瞳のイケメンの外人になっている?

「ふっふっふ、余は近頃停滞しておったのだ。それが見よ、この溢れる精気、力が、力が漲る!」

 まるで悪役のように顔を上向きにして叫ぶイケメン。その顔をパッとこちらに向けた。眩いばかりの美形がにっこりと笑いかける。

「そこな乙女──」

「ぎゃああ!!」

 菜々美はものすごい悲鳴を上げてエラルドにしがみついた。

 こんな美形は見たことがない。眩すぎて目が潰れる。こんなイケメンの外人なんて恐ろしすぎる。


「なぜそうなる。この美しい顔を見て、何故だ!」

 美し過ぎるからだが、それを言って分かるだろうか。

「や」

 菜々美はますますエラルドにしがみ付く。

「ん? 何、どうしたんだ?」

「鹿が──」

「鹿ではない。余は妖精の王……」

 イケメンの男はふんぞり返っていたが、菜々美をじっと見て顔を顰めた。

「むっ、貴様。よりによって余を【巻き込まれた鹿】とは何じゃ! 直ぐに認識を改めよ!」

 菜々美はエラルドの後ろにしがみ付いたまま、チラリと怖い顔をしたイケメンに視線を投げる。

「鹿じゃないの? じゃあ馬?」

「キサマ!」

 菜々美の言葉に逆上したようなイケメン。

 何で怒っているのか分からない菜々美。

「まあまあ」と、宥めるエラルド。


「馬ではない!」

「じゃあ、何?」

「ヤギだ!」

「丸くて、白くて、モコモコの──」

「それは羊だ」

「ああ、紙を食べる、メエと言う……。まあ、そうなの。ごめんなさいね」

「何だ、その少しも謝罪の意思のない、誠意の欠片もない、謝り方は!」

 いちいち区切って言われても。

「むう、いけないの?」

 聞いていてバカバカしくなったエラルドが菜々美をたしなめる。

「いい加減にしろ、もう止めろって」

「そなたも苦労するのう」

「はあ」

 同情するように言われてエラルドは曖昧に肯定した。

(何で? どうして? 何がいけないの?)



  * * *


 プレディル砦の様子を見て来たエラルドが言う。

「国境警備兵が来て砦の警備を強化しているようだ」

「じゃあ、砦を通ることは出来ないのですか?」

 せっかくここまで来たのに何てことだろう。もう10日以上森の中を歩いている。虫とか蛇とか虫とか蛇とか……。ちょっと立ち直れない。


「我らが尾根伝いに連れて行ってやろう」

 鹿さん……、名前をヨエル・ヴィーアライネンという。鹿ではなく山岳地に住まうヤギの仲間でアイベックスなんだそうだ。ヤギに何で名字があるのか?

 一族を引き連れこの山脈でながらえる内に、神の啓示に触れ精霊の手助けをし、やがてこの辺りの妖精の頂点に君臨する存在になったという。異世界である。


 何とありがたいことに、妖精王ヨエル・ヴィーアライネンがカラヴァンケン山脈の尾根伝いにクライン公国に連れて行ってくれるという。この辺りはヨエル様の縄張りなのだそうだ。砦の兵士も滅多なことでは手出ししないとか。

 アイベックスに囲まれた時、とっても怖かったし、あれだけ騒いだのに砦の見張りが来ないし。まあ砦は一山離れた所にあるけど、向こうの方が低いので声が伝わりにくいらしいのだけど。


 そういう訳で菜々美とエラルドは獣化したヨエル様の背中に乗せてもらった。


 二人を背中に乗せてくれたヨエル様は、崖を駆け下りたり、岸壁をぴょーんと飛んだり、中々怖い乗り心地だった。何度「ぎゃあああーーー!!」と叫んだか。砦の兵士が不審に思わないか? 二度とお世話になりたくないと、固く心に誓う。


 クライン公国のカラヴァンケン山脈の麓にある小さな村フィンに着いた時にはもうヨレヨレで、エラルドがヨエル様の背中から引き剥がして降ろさなければならなかった。


 フィン村はベージュの煉瓦で作られた壁に、赤い煉瓦の四角い煙突のある家々がポチポチと並ぶこじんまりとした綺麗な村だった。村のすぐ近くを幅3~7m程の小さな川が流れている。途中小さな湖が幾つも三日月の形で連なっていたので、そこから流れて来たのだろうか。



 フィン村の小さな食堂兼宿屋『踊る仔ヤギ亭』に落ち着いた。

 今は春で5月頃だろうか、シーズンにはまだ早く客は殆んどいない。

「そなたは余を信じておらぬから怖がるのじゃ」

「誰が信じられると!」

 胸を張るヤギはこの宿の亭主と顔馴染みであった。


「おや、ヨエル様は可愛い嬢ちゃんを連れて来て」

 睨み合っているヨエル様と菜々美を、宿の亭主がそれとなく取り成してくれる。

「ナナミ、ヨエル様は無事にフィン村まで連れて来てくれたんだぞ」

 エラルドは菜々美の頭をポンポンと撫でて宥める。苦労人だね。

「そうじゃ、有り難がって涙を流しこそすれ、怒られる筋合いはない」

 シラッと文句を言う金髪のイケメン。くそう、顔だけでも負けている。何でヤギがこんなイケメンになるのだ。


 改めてヨエル様を見れば見るほど美しい。

 黄金の髪は緩く波打ち彫像のような顔を縁取り、エメラルドグリーンの瞳は深い森の奥に湧きいづる神秘の泉のごとく深く澄み、引き締まった体躯は柳のようにしなやかで……、疲れた。まあ、見た目はこんなんだ。


「きさま。余を見下しておるのではないか?」

 ヨエル様が言う。

「いえいえ、本当に美しい方だと思っておりますよ」

 菜々美はエラルドに間に入ってもらって、1mは離れている。

「そうであろう、分かっているではないか、それなのに何故だ。これではそなたの手を取って口説くことも出来ぬ」

 1mでも近いと思いながら菜々美は答える。

「私は外人恐怖症なの。怖いの」

「ガイジン恐怖症?」

 エラルドが聞く。


「えーと、人種が違うというか、私が居た国は、私みたいな黒髪で小柄で凹凸の無い顔の人ばかりなの。ヨエル様みたいな大柄で顔の彫りの深い人には、小さい頃から怖い目に遭っているから、ダメなの。エラルドさんは黒髪で中背だから」

「そうか、俺の母はフォリント国の出だからな」

 エラルドは納得したようだがヨエル様は怒る。

「何と、見かけだけで判ずるのでは損をするぞ。怖がらずに少しずつ慣らして行けばよいではないか」

「うーん。それもそうですね。もうこっちの世界にずっと居るんだし、慣れた方がいいわね。ヨエル様すごいね。いいこと言うわ」

「当たり前じゃ。余を誰だと思っている」

 俺様なヤギであった。

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