わたしの吸血鬼

くれは

キラキラと星がまたたくような

 幼馴染の星見夜つきなし織葉おりばが貧血で倒れた。

 わたしは織葉の教室に行く。

 織葉のリュックを持つ。

 保健室に向かう。

 それはいつものこと。


 保健室の先生がわたしの姿を見る。

 いつものようにうなずいてくれた。

 そして視線はベッドの方に。

 カーテンが引かれてるのは奥のベッド。

 わたしは軽く頭をさげて保健室に踏み込んだ。


 白いカーテンを揺らす。

 その奥に入り込む。

 ベッドの上。

 白い寝具に包まれて目を閉じている織葉。

 その周囲には星がまたたくような輝きが、キラキラとゆらめいている。

 織葉の顔色はいつもよりいっそう青白い。


 枕元に近づいて、そっと顔を覗き込む。

 白い枕カバーに落ちる真っ黒い髪。

 長いまつげ。

 青白い頬。


 その周囲にキラキラと輝く黄金きん白銀ぎんの光。

 この光は、織葉の体調が悪ければ悪いほど綺麗にまたたく。


 織葉のこの光は、普通の人には見えないらしい。

 わたしに見えるのは、わたしが魔女の血を受け継いでいるから。

 そして、織葉は今日もキラキラと輝いていた。


 そんなに体調が悪いのか。

 指先でそっと青白い頬に触れた。

 織葉はもともと体温が高い方ではないけど。

 今はいっそう冷たく感じてしまう。


 織葉のまつげが震える。

 深い黒い闇のような瞳。

 少しの間、織葉はぼんやりしていた。

 かと思うと、わたしの指先は払われてしまった。


 わたしは大人しく手を引っ込める。

 織葉は両手で顔を覆って大きく息を吐いた。


「不用意に触るなって言ったよな」


 顔を隠した織葉に、わたしは軽い口調で返す。


「ごめん。顔色悪かったから心配で。

 あ、キャンディ必要かと思って持ってきた」


 いつも通りに明るい声で。

 織葉のいらだちには気付かないフリ。

 持ってきた織葉のリュックを持ち上げて、ベッドの上に乗せる。


 織葉はもう一度大きく息を吐いた。

 顔を覆っていた手をだらりと下ろす。

 のろのろと上半身を起こす。


 織葉の手がリュックのポケットを探る。

 出てきたのは透明なセロファンに包まれたキャンディ。

 くるりとセロファンをむいて、キャンディを口に放り込む。

 織葉は眉を寄せて顔をしかめた。


 その表情に、わたしもキャンディの味を思い出してしまう。

 このキャンディは織葉にとっては薬だ。

 口にしやすいように調整されてはいるけど、味はお菓子とは程遠い。

 甘いよりもしょっぱくて、鉄のにおいがして。

 その味を一言で表現するなら「血の味」だ。


 織葉が口の中でキャンディを転がす。

 きっとキャンディはゆっくりと溶けている。

 周囲に見えていた星のまたたきのような光が、だんだん数を減らしてゆく。

 どうやら織葉の体調は少し落ち着いてきたらしい。


 それでもまだ、顔は青ざめている。

 目を伏せて、わたしの方を見ようとしない。


「こっちこそごめん。心配して来てくれたのに」


 小さな声だった。

 わたしも小さく首を振った。

 気にしてないよ、と態度で示す。


 織葉とはもう長い付き合いだ。

 だから、このくらいどうってことない。

 それでも織葉は優しい。

 わたしにいらだちを見せるたびに、自分が傷ついたような表情をする。


 わたしはリュックの隣に座った。

 何気ない態度をよそおって、織葉の方を見る。


「最近、多くない? 大丈夫なの?」

「大丈夫。今日のはただ……調理実習で指を切って」

「え! それ大丈夫じゃないよね!?」


 あわてて身を乗り出すわたし。

 それを押しとどめるように、織葉は両手のひらをわたしの方に向けた。

 その骨ばって細い指先。

 傷跡も手当ての跡も見当たらない。


「俺じゃないよ。同じ班のやつ。ちょっと切った程度。ただ、血が見えて」

「つまり、人の血を見て貧血?」


 織葉はわたしに見せていた両手を降ろした。

 キャンディでふくらませた頬で、そっぽを向く。

 そこにはただ白いカーテンが揺れている。


「仕方ないだろ」


 わたしはその横顔をつくづくと眺める。

 周囲にまたたいていた光は、今はもうほとんど見えない。

 青ざめていた顔色も、少し良くなってる。


 それでもまだ、透き通るように白い肌。

 成長途中のどこか少年めいた輪郭りんかく

 ほっそりした首筋。

 同年代の男子に比べて華奢きゃしゃな肩と胸板。


「成長したら良くなるかもっておばあちゃんは言ってたけど。

 なかなか良くならないね」


 かりっと、キャンディをかむ音がひびく。


「一生このままだよ。治るものじゃないんだからさ、吸血鬼なんて」


 織葉はこっちを見ようとしない。

 なんだか拗ねてるみたいに。

 わたしはその顔を覗きこむ。


「吸血鬼じゃなくて、わたしが言いたいのは、貧血が良くなると良いねってことで」

「それだって同じだろ。吸血鬼なのが原因なんだから」


 そっぽを向いていた顔が、ちらりとわたしをにらむ。

 そしてすぐに、痛みをこらえるような顔になった。

 そのまま織葉はうつむいてしまう。


 わたしはさらに身を乗り出した。


「だとしても、もう少し楽になる方法があると良いんだけどね」


 織葉が顔を上げる。

 わたしの顔をじっと見て、何度かまたたきをする。

 ほとんど収まっていた小さな光が、また増えてゆく。

 織葉を取り囲む光が、キラキラとまたたく。


 またたく星の中で織葉は、怒ったような顔をした。


「そんな簡単なことじゃないだろ。どいて、教室戻るから」


 でも。

 その顔は、どこか泣きそうにも見えた。


 わたしは大人しく立ち上がる。

 織葉は布団をどかして上履きに足先を入れる。

 少しだけ動きを止める。


「キャンディありがとう、助かった。

 でも、もう放っておいてくれて良いから、俺のこと」


 織葉はわたしの方を見なかった。

 リュックを持つ。

 ベッドから降りる。

 揺れるカーテン。

 織葉は一人で行ってしまった。


   ★


 織葉おりばは吸血鬼だ。

 先祖の誰かが吸血鬼だったのだそうだ。

 彼のご両親は普通の人。

 でも、彼はその遠いご先祖様の性質を受け継いで生まれてしまった。


 ご両親は困ったそうだ。

 それで、幼い織葉を魔女のところに連れてきた。

 その魔女というのが、わたしのおばあちゃん。


 わたし、葦原よしはら果乃かのの境遇も、彼と少し似ている。

 わたしは祖母から魔女の性質を受け継いで生まれた。

 目に見えるもの、見えないもの。

 存在するもの、しないもの。

 幼い頃のわたしは、そういった区別がうまくできなかった。

 それでわたしの両親は、わたしを魔女の、おばあちゃんのところに連れてきた。

 わたしは幼い頃から、おばあちゃんの家で暮らしていた。


 織葉は週に一回くらいおばあちゃんの家に通ってきた。

 それで顔を合わせるうちに、わたしたちは仲良くなった。

 幼いなりに、わたしたちは自分たちの境遇を理解していた。

 そんな境遇をお互いに教えあった。

 一緒に庭の花をながめて、その名前を教えあったりもした。

 隠れている妖精を探す遊びもした。


 妖精探しは、あとでおばあちゃんに叱られたけど。

 うっかりいたずら好きの妖精に連れていかれると戻ってこれないよ、と。

 危ないことなのだそうだ。

 妖精の誘いにはこたえちゃいけない、とも言われた。


 それはともかく。

 織葉とはお互いに事情を知っている仲。

 気安い間柄。

 わたしの方は、その頃からずっと変わっていないつもりなんだけど。

 織葉はいつからか、わたしと距離を取るようになった。

 わたしに突き放すようなことを言うようにもなった。

 そのくせ、冷たいことを言った後に、自分で傷ついたような顔をする。


 わたしは、そんな織葉を放っておけない。


   ★


 家に帰ると、おばあちゃんに織葉のことを聞かれた。


「今日も貧血で倒れてたよ」

「そろそろキャンディが失くなる頃合いだと思うんだけど、大丈夫かしらねえ」


 織葉はぎりぎりまでキャンディを取りに来ない。

 それはきっと、わたしを避けているのだ。

 そう思うと、わたしの心はちょっとだけ、つきりと痛みだす。


 ひょっとして。

 織葉が本当にわたしのことをうっとうしく思っているのだったら。

 そうならどうしよう。


 でも、織葉のことは心配だ。

 心配で、放っておけない。

 だから自分の痛みには気づかないフリで。


果乃かの、織葉のところにキャンディを持っていって。ついでにハーブティとクッキーも持っていって、具合も見てきてちょうだい」


 おばあちゃんから荷物を預かる。

 それでわたしはいそいそと織葉の家に向かう。


 もしかしたら、魔女のおばあちゃんには、わたしの心配も全部お見通しなのかもしれない。


   ★


 玄関先でキャンディを受け取った織葉おりば

 そのままドアを閉めようとする。

 その隙間に体を滑り込ませた。


 わたしを追い返そうとする織葉。

 それに抵抗するわたし。


「なんだよ、キャンディは受け取ったしもう帰れ」


 織葉のイライラとした言葉。

 それに合わせて、織葉の頭のすぐ脇で、まるで弾けるように光がまたたいた。


「おばあちゃんに具合を見てこいって言われてるの。お土産もあるし」


 わたしはおばあちゃんからの手荷物を持ち上げる。

 織葉はそれをにらみつける。

 また一つ、織葉のすぐ近くで光がまたたく。


 しばらくそうやって二人で向かい合っていた。

 気付けば玄関は星のまたたきで埋まっていた。

 夜空の中にいるみたいに綺麗だった。


 織葉の頭上で、ひときわ大きな光がまたたいた。

 それで織葉は溜息をついた。


「少しだけだからな」


 折れたのは織葉の方だった。


   ★


 織葉おりばはいつだって具合が悪そうだ。

 リラックスできるおばあちゃんお手製のハーブティ。

 そのかおりも、織葉の具合には効果がないみたいだった。

 織葉の周囲のキラキラは収まらない。


「今もまだ貧血っぽい?」

「別に」


 織葉は顔もあげなかった。

 でも、周囲のキラキラは別になんて量に見えない。

 今もその数を増やしている。

 その様子はとても綺麗で。

 だからこそ余計に心配になる。


 今も無理してるんじゃないだろうか。

 わたしが様子を見に来たせいで、無理をさせているのかも。

 もしかしたらわたしは、やっぱり余計なことばかりしてるのかも。


 なんだか急に、何を言えば良いのかわからなくなった。

 両手でティーカップを抱える。

 その温かさが、手のひらに伝わってくる。


果乃かのはさ」


 名前を呼ばれて顔を上げる。

 織葉はわたしを見ていなかった。

 周囲のキラキラも収まっていなかった。


「果乃はどうして俺に構うんだよ」

「だって、心配だから」

「心配ってだけなら、もう構うなよ」


 拒絶の言葉。

 もう何度も聞いている。

 それでもわたしが織葉を放っておけないのは、心配だから。

 そう言う織葉が傷ついた顔をするから。

 だけど。


「心配なだけじゃなかったら、良いの?」

「心配以外に何があるんだよ」


 こういうときの織葉は、まるでねているみたいで。


 でも、わたしは何も言えなかった。

 織葉が心配だから。

 織葉が不安そうな顔をするから。

 織葉が傷ついた顔をするから。

 拗ねたような顔をするから。


 それ以外に、わたしの中にあるものは、何?


   ★


 織葉おりばが初めて貧血を起こして倒れたのは、小学五年のとき。

 夏休みだった。

 おばあちゃんのところに薬を取りに来た織葉と、二人で遊んでいた。


 暑い日だった。

 二人で。

 汗ばんだ肌で。

 妖精が葉の裏に隠れているのを探していた。


 おばあちゃんに知られたら怒られる。

 だからそれは、二人だけの秘密の遊び。

 わたしと織葉だけの、秘密。


 その日は妖精はなかなか見つからなくて。

 織葉が倒れたのはそんなとき。

 後ろにいた織葉が、急に、わたしの背中めがけて倒れてきたのだ。

 キラキラした光を撒き散らしながら。

 わたしは織葉の体を受け止めた。

 怖くなって大声でおばあちゃんを呼んだ。


 織葉がどうにかなっちゃう。

 怖い。

 妖精に連れていかれちゃったのかもしれない。

 どうしよう。


 織葉とは同じものが見えていた。

 織葉とはなんでも話せていた。

 織葉がいなくなったらどうしよう。


 わたしはその時からずっと、怖いのだ。

 織葉を失うことが。


   ★


 顔を上げる。

 織葉おりばはわたしを見ていた。

 その周囲に、星がまたたくような光。

 いつもよりずっと輝いていた。


「俺の周り、キラキラしてて綺麗って言ってたよな」

「うん、今も見えてる。まだ調子悪い?」


 織葉は少しためらうように視線をそらした。

 それから、何か決意したようにわたしを見る。


果乃かのが近くにいなければ、ここまで酷くならないんだ」


 思いがけない言葉。

 じくじくと、心が痛んで血を流しはじめた。


「じゃあ……織葉が具合悪いの、いつも具合悪そうにしてるの、わたしのせい?」

「そうだよ。だから、俺に近付かないでくれ。もう、放っておいてくれ」


 わたしは織葉を失いたくない。

 でもそれはきっと、わたしのワガママだったんだ。

 わたしが織葉と一緒にいたいと、勝手に思っていたことだった。


 織葉の具合の悪さがわたしのせい。

 それなら、わたしの心配がずっと、織葉を苦しめていたんだ。

 織葉は本当にずっと、わたしと距離を取りたいと、思っていたんだ。


 織葉は優しくて。

 だからずっと、わたしにはっきりと言えなかったんだ、きっと。


「今までごめん」


 立ち上がって織葉を見る。

 織葉の方が泣きそうな顔になっていた。

 そしてその周囲には相変わらず、黄金きん白銀ぎんの光が弾けては消えてゆく。


   ★


 わたしは織葉おりばと距離を取るようになった。

 悲しいことにそれでも、日々はそれなりに続いていった。


 織葉は相変わらず貧血で倒れることもある。

 でもその回数は以前よりずっと減った。

 わたしが保健室を訪れなくても、なんとかなってる。

 クラスの誰かが織葉のリュックを届けているらしい。


 遠くから見る織葉は、相変わらず白い顔。

 でも、クラスの友達と一緒にいて、楽しそうに見えた。


 わたしと目が合うと、痛みをこらえるような顔をする。

 そしてすぐに目を逸らされる。

 そのときだけ、周囲にあのキラキラとした光がまたたく。

 でも、それ以上近付かなければ、大丈夫だった。


 織葉が元気そうで良かった。


 その気持ちの裏側から、いばらが伸びてくる。

 荊はわたしの心をしばりつける。

 そのとげが、深く、深く心に刺さる。


 どうして隣にいられないの、と。


 わたしは織葉を心配していた。

 織葉が元気になれば良いと思っていた。

 でもそんなのは全部、全部、何もかもがわたしのワガママで。


 素敵な男の子。

 綺麗な男の子。

 大好きな織葉。


 わたしはきっと、彼を独り占めしたかったのだ。

 心配にかこつけて、彼を縛っていたのだ。

 それが、わたしの荊だった。


 貧血を起こすかわいそうな織葉。

 わたしが面倒を見てあげなくちゃ。


 そんなものは全部幻だ。

 織葉はわたしがいなくても大丈夫。

 わたしがいなければ元気にしていられる。


 わたしにとっては特別な織葉。

 でも織葉にとってのわたしはそうじゃない。

 それが、わたしの棘だった。


   ★


 夕暮れ時に庭の花に水をやる。

 耳元で、くすくすと笑う声がした。


「今夜は雨が降るから、お水をあげなくても良いのにねえ」


 それはいたずら好きな妖精の声。

 織葉おりばと話さなくなってから、わたしはずっと、ぼんやりと過ごしていた。

 そのせいか、妖精たちの声がよく聞こえる。

 うるさいくらいに。


 わたしは聞こえる声を無視して、水やりを続ける。

 今は織葉がキャンディを受け取りにきている。

 顔をあわせたくなくて。

 わたしはここに逃げてきた。


 水に揺れる花はなんて名前だったっけ。

 でも、思い出すのは名前じゃない。

 織葉と二人で花の名前を教えあったこと。


 わたしは頭を振った。

 名前なんてなんでも良い。

 花は花。

 それで良いじゃないか。


 妖精の笑い声が、おしゃべりの声が、うるさい。

 聞きたくない。

 こんなの聞きたくなかった。

 魔女になんてなりたくなかった。


 わたしが魔女じゃなければ良かったのに。

 織葉と出会わなければ良かったのに。

 織葉を特別に思ったりなんか、したくなかった。


果乃かの


 名前を呼ばれて振り向く。

 そこに織葉がいた。

 ううん、違う、織葉じゃない。

 織葉の姿をしているけど、これはくすくすと笑ういたずらな妖精。


 わかっているのに。

 それでもわたしは織葉の姿を見て、動けなくなってしまった。


「果乃、一緒に行こう?」

「どこに?」


 応えてはいけない。

 わかっていたのに、わたしは応えてしまった。

 織葉の姿は、嬉しそうに笑った。


「僕たちの暮らしているところ。毎日楽しく遊んで暮らせるよ」


 これにうなずいたらいけない。

 うなずいてしまえば、わたしはこの妖精に連れていかれる。

 妖精の世界に行ってそのまま、戻ってこれなくなってしまう。


 わかっている。

 わかっているのに、逆らえない。

 織葉の姿で言われる言葉は、まるで熟れた果実のように甘い。

 一口、味見をしたくなるくらいに。


「一緒に、いられる?」


 わたしの言葉は震えていた。

 織葉の姿は、口の端を持ち上げてにっこりと笑った。


「ずっと、ずうっと一緒。一緒に、楽しいことだけして暮らそう」


 織葉の姿で差し伸べられる手。

 その手を取ってはいけない。

 そう思うのに、わたしは手を持ち上げていた。

 差し伸べられた手に、指先を伸ばす。


「楽しいことだけ?」

「そう、楽しいことだけ。つまんなくて嫌なことなんて、全部忘れちゃおう」


 そうすれば、わたしの心を締め付ける荊の痛みは、消えて失くなるのだろうか。

 ずくりと、心を刺す棘の痛みが、わたしを現実に引き戻した。

 わたしは動きを止めて、目の前の織葉の姿をした妖精を見る。


「どうしたの? 早く行こうよ」


 目の前の織葉が笑ってわたしをいざなう。

 わたしは手を引っ込めた。

 大きく首を振った。


「行かない!

 あなたは織葉じゃない!

 たとえ織葉の隣にいられなくても、それで心が痛くなっても、わたしは織葉が好きなんだ、特別なんだ!

 だからあなたとは行かない!」


 織葉の姿をした妖精は、ますます深く笑う。


「そんなことを言っても無駄だよ。果乃はもう、応えてしまったから。一緒に行くしかない」


「果乃!」


 わたしの名前を呼ぶ声。

 目の前の妖精の甘ったるい声じゃない。

 もっと鋭い。

 その声は、まるでナイフのように空気を切り裂いた。


 目の前の織葉の姿が搔き消える。

 代わりに現れたのも、織葉の姿だった。

 周囲に黄金きん白銀ぎんの光をまたたかせて。

 わたしに向かって駆けてきて。

 そして、わたしを抱き締めた。


 わたしはジョウロを取り落とした。

 その水が跳ねて、足元を濡らす。

 織葉は濡れるのも構わずに、ぎゅうぎゅうとわたしを抱き締めている。


「織葉? ……本物?」

「果乃が連れていかれなくて、良かった」


 かと思うと、織葉の体から急に力が抜けた。

 ぐったりと倒れ込んでくる。


「え、ちょっと、織葉!? 大丈夫!?」


 わたしは慌ててその体を支えようとしたけど。

 華奢に見えて織葉は意外としっかりした体をしていた。

 わたしでは支えきれずに、ずるずると落ちてゆく織葉の体。

 一緒に地面に座り込むわたし。


「大丈夫……走ったのと、ちょっと安心して……あと、いろいろ」


 織葉の周りには、相変わらず星がまたたくような光が見えている。

 具合が悪そう、と思ってはっとした。

 わたしが近くにいたら、織葉の具合がもっと悪くなってしまう。


「あの、ありがとう。わたしはもう大丈夫だから、離れないと」

「俺が大丈夫じゃない」


 織葉はわたしから離れようとしない。

 その体が倒れ込んでくる。

 また貧血かもしれない。

 体を支えるつもりで織葉の背中に手を回す。

 でも支えきれずに、わたしは地面に倒れ込んだ。

 倒れた弾みか、織葉の顔がわたしの首筋に埋められた。


「大丈夫なの、織葉」

「大丈夫じゃないからこうなってるんだろ」


 わたしの耳元、すぐ近くで織葉の声がする。

 苦しげな息遣い。

 舌と唇がこすれあうような湿った音。

 それはくっきりと、わたしの耳に入り込んでくる。


 織葉の周囲に見えるまたたく星のような光は、今までで一番綺麗だった。

 ぱちぱちと弾けて、わたしに向かって降り注いでくる。


 状況がわからないまま。

 ぼんやりとその光を見ていた。


 織葉の手が、わたしのパーカーのチャックを降ろす。

 そして、わたしの襟元を大きく開いた。

 わたしはやっぱり状況がわからない。

 ぽかんとしたまま動けないでいた。


 耳の下に湿った感触、

 これはもしかしたら、唇だろうか。

 それとも舌だろうか。

 それが耳の下から肩の方に、つ、と動いてゆく。


「ゃ、ん……」


 感触の生々しさに、自分の口から変な声が出てしまった。

 状況がわからなくて、混乱は余計に深まって。

 けれど織葉はなんの説明もくれなかった。


「ごめん、ほんともう無理」


 掠れた声。

 わたしの首筋に織葉の唇が当たっている。

 濡れた首筋に織葉の吐息がぶつかる。

 ぎゅっと、織葉の背中に回した手で、しがみつく。


 唇や舌よりも硬い感触が首筋に触れた。


 それが、織葉にとってもわたしにとっても初めての、吸血行為だった。


   ★


「吸血衝動なんだ」


 わたしの首についた歯の跡を、織葉おりばがなめている。

 まだちょっと痛いのと。

 それにくすぐったくもあって。

 首をすくめそうになるけど。

 織葉は思いがけず強い力でわたしの肩を押さえる。


「吸血鬼は、その……血を吸う相手を魅了するって。

 でも、果乃かのは魔女だからその魅了が効かなくて、代わりにそれが目に見えるんだって」

「もしかして、織葉の周りに見えてた光って、その魅了の力?」

「そう。

 俺はまだ、うまく制御できなくて……果乃が近くにいると吸血衝動が酷くなって……それで特に」

「つまり、織葉はずっと、血を吸いたかった?」

「誰でも良かったわけじゃないからな。

 果乃は特別なんだ。

 でも、それで果乃を傷付けるのは嫌だったから、離れた方が良いって思ったんだけど、本当は、ずっと」


 途切れた言葉の続きを待つ。

 沈黙。

 視界いっぱいの星のまたたき。


「一緒にいたい」


 首筋を、また織葉に噛まれた。

 織葉のきらめきは夕焼け空よりもずっと眩しくて、わたしはそのまま目を閉じた。


 それでわたしは、自分はとっくに覚悟してたんだって気付いた。


   ★


 織葉おりばが落ち着く頃。

 わたしたちは泥だらけになっていた。


「織葉が庭で貧血起こして、倒れちゃって、それで」


 おばあちゃんにはそう言って誤魔化した。

 織葉は赤い顔でおばあちゃんからもわたしからも目を逸らしていた。


 おばあちゃんはわたしたちを見て一言。


「あら、貧血にしては顔色が良いように見えるけど」


 もしかしたら、魔女のおばあちゃんには、何があったのか全部お見通しなのかもしれない。


   ★


 それから。

 織葉おりばの貧血はだいぶ良くなった。

 今までの貧血も、ほとんどは吸血衝動のせい、だったらしい。


 キラキラと星がまたたくような光は相変わらずだけど。




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