6-2 初手柄

「シュタッと……」

 文武は口の中で小さく呟いて城の外側に降り立った。攻囲が始まるまでは普通の場所だった空間がひどく頼りない危険地帯に感じられる。鎧の上に城壁という鎧を重ね着していたのを脱いだ感覚である。

 鎧そのものも静粛性と逃げ足を優先して軽装にしているから心もとない。もっともフル装備では障子堀を越えるのも難しかっただろう。長い月蝕で月のない夜は非常に暗く、目を慣らしても足元が覚束ない。


 なんとか堀の反対側まで移動して、二人いる部下のうちの一人が先に斜面を登ったところで

「ぐぇっ!」

 と、くぐもった悲鳴をあげた!黒い影が部下の上を横切り、倒す様子がギリギリで文武の目に映った。反射的に味方を支援するため構えた槍を突き出していた。穂先が人体に突き刺さる生々しい感触が柄に伝わってくる。

 誤って部下の身体に刺さったかもしれないが、それ以上は深く考えないことにした。


「背中を守れ!」

 もう一人の部下に対して声を掛ける。肉体が危険を理解してドッと汗が吹き出してくる。

「な、なんだ!?」

「射るな!味方に当たる!!」

 背後の櫓からは出撃を見守っていた兵たちの声が響いた。彼らが救援に来るまで凌げれば……!あるいは敵が撤退してくれたら良かったのだが、むしろ早く勝負をつけようと思ったらしい。堀の縁から何かが飛び出してくる。

 ドゥ!

 後ろの兵が放った弩の太矢がその影に突き刺さる。一呼吸おいて二つの影が斜面を駆けくだった。文武は左手の相手に対して、咄嗟に槍を突き出す。今度は硬い手応えがして、柄を強引に引っ張られた。体勢を崩す前に槍を手放してしまう。

 視界の隅で右側から降りてきた敵に仲間が向き合っているのが見えた。既に弩を放ってしまった以上、あまり抵抗できないかもしれない。文武は練習不足の剣を抜いた。シルエットから敵の武器も剣だと当たりをつける。


 彼の選んだ剣は刀身は短いが柄の長いもので、特訓した槍に近い感覚で使うことを第一に考えている。つまりほとんど突きしか考えていない。重心を落とし、剣を腰の横に低く水平に構え、左手の掌底を柄頭にそえる。

(やべ……汗が目に垂れてきそう)

 弩兵のやられる悲鳴が聞こえた気がした。一刻の猶予もならない。どこか現実感の伴わないまま転移者は殺人の刃を繰り出す。

「フッ!」

 敵も同時に動いた。右肩に衝撃が走る。こちらの剣は相手の胴体をかすめたと思われるが、突き刺さらずに逸らされてしまった。さらに悪いことに肩への衝撃から剣まで取り落としてしまう。

「くぅ!!」

 敵にしがみついて振り回す剣に斬られることだけは必死で回避する。当てずっぽうで股間を蹴り上げようとしたが片足立ちになったところを押し倒されてしまう。

「おい!どこだっ!?」

 聞いたことのない声が響いた。仲間は敵にやられたらしい。このままでは抑え込まれたところをもう一人に首を搔かれる!文武は必死でもがいた。身体が障子堀の底を滑って行く。

(そういえば、ここの構造は……)

 闇雲に見えるように暴れて、さらに堀の低い方向を目指した。敵も剣を落としたのか二、三発パンチをもらったが、この暗闇でクリーンヒットするものではない。むしろ腕が緩んだ隙に思った方向への移動ができた。

 栄養状態の良い環境で育ってきた文武の体格は、ときおり飢餓に苦しむ野盗の体格に優っていた。相手も思ったより大人ではないのかもしれなかった。

 文武の身体が障子堀の壁に接触した。徐々に深くなる堀の最深部にいると言うことは――

「弓を撃て!俺には当たらん!!」

 動転していた城内は命令を受けて冷静さを取り戻したようだった。首元を抑えようとしてくる腕の圧力に抵抗していると、空気を切り裂く矢の音が降ってくる。非常に近い場所にも突き立った音がする。しかし、畝と敵の体が盾になり文武に当たる矢はなかった。

「ぐぁっ!」

 自分を抑え込んでいた敵の身体から急速に力が抜けていく。代わりに重力に任せた体重が全面的にのしかかって来る。追加で矢が飛んで来るし、もう一人の敵も残っているかもしれない。文武はじっとして自分の上で人が死んでいくのを感じる羽目になった。

 味方が追加で堀底に降りてきてからヘルプの声を挙げて、やっと城主は救出された。異変を察知した敵の松明が動きだしたので慌てて撤収する。なんとか弩兵の死体は回収できた。意外と高位の者が倒されたのか、朝には敵ともう一人の味方の死体も消えていた。その関係で夜の間に東櫓と敵の間で矢戦があったという。



 初めて殺した相手の顔が忘れられず霊になって出てくるなんてフィクションがあるけれど、顔もまったく分からないことになるとは予想外だった。下手をすると味方が初めて殺した相手の可能性もあるし、自分の手で命まで奪った相手はまだいないとも言えるかもしれない。

 文武は衝撃的な体験に呆然としてしまう。姉が繰り返し声を掛けてくれたようだが、よく覚えていない。仲間を二人とも失ったのも辛かった。

 戦術的にも味方を二人失って確実に倒せた敵が一人(最大で四人)では割りが合わない。積極論者も押し黙り、もう出撃は止めようという話になった。

 しかし、それに唯一反対したのが九死に一生を得た文武だった。殴られた肩と顔が少し腫れている。

「敵も二日連続で出てくると思わないからこそ、今日も城外に出るべきだ。ただし――」

 昨夜の出来事を反芻しながら考えた策を彼は語った。

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