風雲島国取り戦記~戦況図と歴史地図で追う月が静止した世界の偽史

真名千

1-1 転移エレベーター会戦の追撃を止める

 エレベーターの落下はいつ果てるともなく続いていた。四階から降りる途中に墜落が始まったのに、数分以上の落下が続いている。とっくの昔に地面に激突していなければおかしい状況だ。

「自由落下って本当に無重力になるんだ……」

 鳴条湯子めいじょうとうこは感情のこもらない声で呟いた。意識も重力の制約から解放され、宙を彷徨っているようだった。長い黒髪があらゆる方向に広がっている。彼女の命まで拡散していくように感じて、弟の鳴条文武めいじょうふみたけは姉の首を後ろから抱くようにして腕が届く範囲の髪を捕まえた。

「むぎゅっ」

 姉の身長は弟の胸より少し低いくらいしかなかった。押さえつけられて気の抜けた声が出る。衝撃を覚悟して緊張していた文武の身体から力が抜ける。それでやっとエレベーターの中を見回す余裕ができた。

 そもそも電気が途絶せず、照明がつきっぱなしなことが不思議だった。

 自分たち姉弟の他には二人の女生徒がエレベーターに乗り合わせていた。扉から遠い奥の方にいた女生徒は、湯子ほどではないが、背が低めだった。メガネの下で目をギュッとつぶり、ノートか何かを抱きしめている。まだ事の異常さには気づいていないようだ。見覚えのない顔だった。

 もう一人は扉の横に立って(浮いて)腕組みをしていた。エレベーターに乗り合わせた時から分かっていたが、同学年の有名人で見知った顔だった。肩まで伸ばした栗色の髪の奥から覗く、くりっとした瞳と目があう。

 同学年のアイドル的存在である牧野真琴まきのまことは呆れたような顔をした。彼女の視線を追うと、小さな姉が文武の身体をタップしていた。あわてて腕の力を緩める。湯子が顔を胸の地平線から浮上させて何か文句を言おうとしたところでエレベーター全体に衝撃が走り、照明が消えた。

 名前を知らない下級生のか細い悲鳴が狭いエレベーター内に響いた。



 ゴッズバラ王の孫に当たる「黄太子」ソトハル軍団長デュークジョージ・ウェイヴェルは陣頭に立っていないにも関わらず汗が止まらなかった。黄色と金色を基調とした戦装束を照らす日光のせいばかりではない。

 彼が率いる軍は酷く苦戦していた。苦戦はマクィン王国軍の南下を受ける毎年のことであったが、いよいよ後がない戦略環境に立たされていた。

 戦略的要地にある城塞都市オシナが敵軍の包囲を受け後詰めのために出撃したジョージ・ウェイヴェルの率いる軍は、その地で生起した後詰決戦において劣勢であった。つまりオシナの失陥も時間の問題だった。

「ソラト総督アールの軍は確かに動いているのか!?」

 近習に対して怒鳴るように確認してしまう。彼の作戦は挟み撃ち。東から救援に駆けつける自軍と、オシナの西に拠点のあるソラト総督の軍で前後から敵を叩き潰すことだった。さらに囲まれているオシナからも守軍が出撃して、対応の余裕を与えない。

 ――はずだったのだが、囲まれたマクィン軍の動きに焦りは見られず、落ち着いて三方向からの攻撃に対処した。

 オシナに対しては門の前に陣地を造り、出撃部隊を最小の兵力で足止めする。戦いが勝利に終われば陣地同士が土塁で結び付けられて、城塞都市に対する包囲網に成長するのだろう。

 一方、西から攻め掛かる手筈のソラト総督勢は五千で本隊の三分の一しかない。敵が全力で叩きに来たら耐えられない数である。彼らが安心して前に出るには本隊と同時に攻撃を仕掛けている確信が必要だった。

 そのために狼煙での連絡を打ち合わせたのだが、ジョージ・ウェイヴェルが期待したほどの圧力を敵に掛けているとは感じられなかった。そのせいで、つい部下を詰問してしまったのだが責任はソラト総督にある。

 本人の戦意が足りないのか、敵が思いの外多いのか。挟み撃ちは期待したほどの効果を出せていなかった。その確認も満足にできないことが王の孫を苛立たせていた。精神的に追い詰めるはずが、精神的に追い詰められている。

 そもそもが前線が南と西に分断されかかっている状況を逆手に取った苦肉の策であったから、百戦錬磨の敵将、コルディエ近衛隊長プレコンスルには見透かされていたのかもしれない。

(おじいさまがもっと人材を登用してくれれば……!)

 血の臭いが混じった埃が顔に吹き付ける。

 黄太子は歯噛みをする思いだった。悔しいが自分とコルディエでは戦の経験値が違いすぎる。その差を補ってくれる人材がほしいのだが、猜疑心の強い祖父王は親族ばかりに重職を任せ、負担を掛けすぎる傾向があった。

 反乱を経験している王にも言い分はあろうが、今現在の戦争の役に立つのは有能で権限のある人材だ。ソラト総督にしても能力ではなく、拠点の位置関係で別働隊を任されている。現状を変える奇貨がほしかった。


 実質、主力同士による正面からの殴り合いになったオシナの会戦は、ゴッズバラ軍からみて中央やや左の部分から均衡が崩れた。ジョージは挟撃によって兵力で優勢に立ったつもりでいたから、あえて両翼に戦線を広げていた。ゆえに薄くなった中央部分が弱点になっていた。

 その部分を担当した将や兵の質――あるいは太陽の反射光が目に入ったなどの事情もありえるが、司令官から見た根本的な原因はそれだった。

 毎年の戦争で負け癖のついたゴッズバラ軍は崩れはじめると脆い。自らの命と財産を守るため、個人的な戦い――すなわち逃走に移行する。

「退くな!戻せぇ!」

 叫びは敵の突撃ラッパにかき消された。

「殿下。早めの退避を……」

 周りの者もあっさり浮足立つ。それには理由があった。ゴッズバラ軍の後方は地形的に狭くなっており、敗走者が狭い道に殺到すると圧死事故が起こりかねなかった。敗走を止められないなら踏みとどまることは無駄死にに直結する。

「ぐぬぬ……やむをえまい。殿軍をもうしつける。それとソラト総督に撤退の狼煙を送れ」

 いくらマクィン軍が精強でも二つの戦線で同時に優勢にはなっていまい。こちらで攻撃をしかけて来たからには、あちらでは最小限の兵で守勢に回っているはずだ。

 別働隊は比較的余裕をもって退却できるはずだった。

 救いようがないのは救援に来た都市である。敗軍の将は退勢に流される馬上から城壁を振り返った。

「オシナよさらば。何とすばらしい都市を敵に渡すことか」

 その時、奇妙な生暖かい風が頭上から突然吹き出し、轟音が襲いかかってきた!


戦況図は近況ノートで公開 https://kakuyomu.jp/users/sanasen/news/16817330652383007417

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