2-4

「こうはいくーんっ!」

 呆然と立ち尽くす俺の肩に柔らかい圧力が――誰かが手で叩いた感触が伝わる。

 叩いた感触はそのまま肩乗っており、振り返ろうとすると頬に鋭い痛みが走った。

 人差し指で頬を指されているらしい……こんな古典的な罠に引っかかるとは。

 横目で視界の端に捉えたのは俺よりもずっと小さな少女。

 浅葱色の髪と碧眼を持ち合わせ、利発そうでどこかヨーロッパ人を思わせる顔立ち――着こなす制服はいたるところに絵の具が飛び散り、色が膨らみ、伸びている。

 スカーフの色は三年生。

「モネ先輩?」

 顔も知らない先輩の名前をつい口に付いた。

 少女は一瞬驚いたような顔を見せるが、次にはにこやかに俺の背中をバンバンと叩く。

「キシシシシシ!もうパレちゃんのこと知ってたの!?なんだよう!いきなり登場して後輩クンびっくりさせる大作戦失敗じゃないか!!」

「いたいいたいいたい!!先輩フランスに帰省中かつ休学中じゃないんですか!?」

 なんで暴力少女としかかかわりを持てないんだ俺は。

 その台詞を聞くや否や、ピタリとモネは背を叩く手を止めた。

「またまたびっくり!!なんでそんなことも知ってるの!?マナちゃんから聞いたの?そんなにもう仲良く!?先越されちゃったか―」

 悔しそうに、しかし白い歯を見せながら嬉しそうにうんうんと頷いている。

 せわしないなこの人。

「違いますよ、色々聞いて回ってたら知っただけで。筆木先輩から聞いたわけじゃないです」

 背中をさすりながら、気を削がれて不機嫌な調子で応える。

「んー!なるほどなるほど。じゃあマナちゃんと後輩クンはまだ仲良しじゃないんだ……へえ、そゆこと」

 どこか含みのある口調で呟く――全部聞こえていると言うのは野暮だろうか。

 背を向けてキシシといたずらっぽい笑い声をあげる先輩と唐突にこちらへ身を翻すと、一歩距離を詰めた。

 身長の低い彼女の手が俺の頬に届く距離なのだから、もう一歩彼女が進めば肉薄といっていいほどスペースは無くなる。

 咄嗟に一歩、のけぞるようにパーソナルスペースを確保。

「じゃあキミはマナちゃんと仲良しじゃないのに、なんで息荒く追い詰めていたのかな?」

 にこにこ浮かべた笑み、細められた目の奥には腹黒いなにかが煮えている。

 怒っている、というより期待している。

 俺と先輩との秘めたる隠し事をつまびらかにしようと――できれば面白可笑しく、そして生暖かく見守ってやろうという、下世話な気概が透けていた。

 おおよそ彼女は色恋がそこにあると思ったのだろう。

 さすがはこの高校の生徒というだけある――噂という噂に目が無い。

 まあ幽霊少女を追いかける俺が言えた口ではないが。

「誤解だ、偏向報道だ、フェイクニュースだ。俺は先輩に聞きたいことがあって、何故か逃げられただけで、あれは追いかけっこの後に収まっただけです」

「ふうん?もうちょっとマシな言い訳は思いつかなかったのかね」

「いや本当にそうなんですって!」

 「どうどう」とモネは闘牛を落ち着かせるように俺の肩を撫でる。

「して、キミの言う聞きたいこととは?」

「は」

「なにとぼけた顔してるんだよう!キミはその”聞きたいこと”が聞けなかったからそんな顔で立ち尽くしてたんだろ?その質問をパレちゃんが解決してあげようではないか!」

 モネはヒマワリのような満面の笑みを浮かべる。

 その様子は二つ学年が上の先輩のものとは思えず、後輩か、ずっと年下のような無邪気なものだった。

 少し迷いながら、言うつもりの無かった面前の課題をつい打ち明けた。

 「実は……」うんうんと頷きながら話を聞き、たまにちらちらと顔色を窺うように視線をこちらに向ける。

 筆木とモネは同級生で知らない仲ではないようだし、身内の悪口――のようなものを聞くのは少し気まずいのかもしれない。

「つまりマナちゃんがなぜ第二を廃部にしたいのか、そして廃部にしたいのに部活を辞めず幽霊部員になったのか。その二つが知りたい、ってことでいいかな」

 首肯する。

「ふむう……どこから話したらいいものか」

 モネは唸りながら腕を組み、悩み始める。

 そして直後、「ま、全部言うか!」と手の平を返すように、にぱーと笑顔を見せる。

 思考時間僅か数秒――彼女は考えるのが苦手らしい。

「マナちゃんにはね、尊敬してた先輩がいたんだよ。あんな感じだから誰かを尊敬とか、崇拝とか、そういう風には見えないんだけど、その先輩には尻尾振ってわんこですよわんこ。とにかくめっちゃ好きだったみたいでね――

 

 先輩の名前は、円山四条春。

 昨年度三年生だった日本画の天才、名簿で見た覚えのある名前だった。

 筆木と違って本名を明かしていたこともあり、彼女だけでなくその人気たるや、部内に収まるものではなく、学年中、学校中に円山四条のファンがいたらしい。

 面倒見の良い姉後肌の性格、男装の麗人じみたルックスも相まって中でも女子生徒人気は凄まじかった。

 あの雰囲気やあの口調、何かと頼られる、秘密を共有されがちな筆木にとって彼女を手本とする部分は多かった。

 だから筆木は円山四条の大ファンであり一番弟子。

 集まりの悪かった第二美術部を取りまとめ、どうにか部を存続させたのは筆木であり、彼女が出席するときには決まって円山四条の腕を引っ張っていた。

 日々彼女を引っ張り部活に出席した甲斐あって、円山四条はいつしか呼ばれずとも第二へと顔を出すようになった。

 自分の個展が開かれようと、受験期になろうと、彼女は入り浸っていたのだ。

 かの有名な国立美大、円山四条の合格は確実だろうと言われていた。

 しかし、実際には不合格。

 二次すら行けずじまいで、彼女は浪人生となり、今も作品を作り続けている。

 この話に円山四条春周辺の人々は騒然、驚きの果てに原因究明へと熱狂し、そうして皆同じ結論を出した。

 この一年で変わったこと、円山四条春の天才性を低めたもの。

 白羽の矢が立ったのは第二美術部、そして筆木学。

 誰も口には出さなかった、まして本人がいる前では話題にも出さなかったけれど、一種の風潮として、噂として、それは信憑性あるものとして広まっていった。


 ――そうしてマナちゃんは自分が悪いと思い込むようになり、『じゃあ部活にもある程度非はあるよね!』という結論に至ったんだよ。これ以上未来ある後輩がああいう目には遭ってほしくない。けど先輩との思い出詰まった部活を自ら辞めるのは寂しい。っと彼女の言い分はこんなところだろうね」

 モネの話を聞いて理解した。

 部活が廃部になってほしいと告げた理由も、廃部になればいいと思っている癖その一因になろうとしない理由も、理解した。

 けれど納得はいかない。

「筆木先輩のせいじゃないだろ。その円山四条とやらがサボっただけで、先輩は何も悪くない」

 『ゲームをいっぱいしていた学生の成績が悪くなりました。だからゲームは悪者です』という論法は大嫌いだ。

 これがどれだけ根拠のない文章なのかは説明できそうだけど、それ以上に決めつけと自己満足が含まれてるような気がして、感情論で否定したくなる。

「パレちゃんも大賛成。似たようなこと言ったんだけどねえ、聞く耳を持たれなかった。ほら小説家ってやつはロマンチストだから」

 「面白い展開の方に思考がもっていかれるんだよ」モネは失笑気味に――全く理解できないという風に付け足した。

 知らないままでいるのは心にモヤがかかっているようで気持ち悪かったが、知ったら知ったでそのモヤの掴みどころの無さに――自分の納得できる着地点の無さに不快感が増す。

 喉の違和感が魚の小骨だと分かったけれど、取りようがない……みたいな。

「変な例えだねえ」

「うるさい」

 俺の反抗にモネは苦笑する。

 そして、思いついたように気味の悪い笑顔を――何か企むようなものを浮かべた。

「して後輩クンはここまで話を聞いておいて、それだけかい?」

 何を言っているのか分からなくて、首を捻る。

「ここまでの話をタダで聞くなんてそりゃないだろうって言っているのだよ。いやあパレちゃん話したよ?フランス語英語日本語話せるネイティブトリリンガルとは言え、久しぶりの日本語語り頑張ったよお?これでおしまい?キミはパレちゃんになにもくれないのかい?」

「あ、ありがとうございました。貴重なお話を聞かせて頂いて、これをもとに良いレポートが書けそうです」

「戦争経験者の話聞く総合の時間じゃないんだよ!?ありがとうじゃなくてもっと実益のあるものが欲しいって言ってるの!」

「俺こう見えてもお小遣いは少ない方で……今も財布には野口様が一枚だけで、」

「キミはどう見えてると思ってるのさ!?違う違う!この事態を収拾して見てほしいって言ってるの!」

「収拾?」

 ほうと溜息をつき、モネは荒げていた息を落ち着かせた。

「あの偏屈な小説家に納得させてほしいの。自分は悪くない、シュンちゃんが悪かったって」

「簡単に言ってくれますね。信仰対象が間違っているなんて、蚊帳の外の人間が言ったところで聞く耳を持ちませんよ」

「そんなこと分かってるとも。けどあれに囚われたままだときっと彼女は同じ間違いを犯す、するとその間違いに信憑性が持たれてしまうでしょう?そんな不健全な状況、許せないの」

「だったら先輩がやればいいじゃないですか」

「やってこれだったんだよ」

「……すみません」

「分かればよろしいよ後輩クン」

 面倒事に巻き込まれたくない俺と筆木の勘違いを正したいモネ。

 互いの見事にぶれない意見はもう水掛け論の領域。

 無言の間に思考を繰り返すが、そのたびに意見は変えられないと強く思う。

 俺は幽霊少女が探したいだけ。

 面倒事には巻き込まれたくない。

 そう認識するたびに、喉の小骨はずっと深く突き刺さる。

 たまに無くなったかと思えば、小骨は大きくなったり、数が増えたりする。

 気になって納得のいかないことは形を変えて、質を変えて、この短時間でさえ俺を苦しめていた。

 きっとこれは放課後になっても、明日になっても残り続ける。

 その直感に嫌気がさして、けれど無視できないような気がして。

「了解です。対価を払いましょう」

 黙りこくったまま緊張が走る空気の中、俺は両手を肘の高さまで挙げて――降参のポーズを取る。

「本当に!?キミお得意のひねくれたジョークなんかではなく!?」

 暗い顔を一気に明るくして、俺の挙げっぱなし両の手をそれぞれ握って、ぶんぶんと振る。

 あがががが!肩外れる外れる!

「せっかくだしやるだけやってみます。上手くいかなくても恨まないで下さいよ」

「もっちろんだとも!して作戦は?具体的に何をするつもりなの?作戦名パレちゃんが付けてもいい!?」

「作戦名は好きにつけてください。あとモネ先輩にやってほしいことがあって」

 「むむ?」モネは何をするべきか、催促するように首を傾げる。

「円山四条さんに――

 その名前が僕の口から出た瞬間、彼女の顔が強張ったように見えたが構わず続ける。

 ――彼女に連絡って取れますか?」

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