一章

1-1

「おい!百葉!お前やりやがったな!!」

 運動能力にかまけた遅刻ギリギリの登校、教室に入った途端に浅野の怒号が飛んでくる。

 俺の名前は衿谷百葉であり、十中八九俺に怒っているのだろう。

 しかしこのクラスの別の百葉を怒っている可能性も加味しなければならない。

 なにせ入学二日目、まだクラス全員の名前を把握できていないし、浅野の交友関係を完璧に知っているわけでもない。

「だから一度確認させてほしいんだが、お前は俺に怒っているので合ってるか?」

 浅野に胸倉を掴まれ宙に浮かびながら、疑問を呈する。

「俺が現状怒れるのは衿谷百葉ただ一人だ!そんな詭弁で逃れられると思うなよ!!」

「さすがの浅野数屋も一日にクラス全員の名前を覚えるのは不可能か。このクラスで俺以外に百葉とつく名前の生徒がいてもおかしくないだろ」

「もう覚えた!そしてこのクラスにそんな名前のやつはお前以外にいない!!」

 しまった、想像以上に悪友のスペックが高い。

「オーケー分かった。話し合おう……お前はなんで怒ってるんだ?」

 彼は怒髪天を突き、爆発寸前な表情になる――が、すぐに諦めたような呆れたものに取って代わる。

 丸太のような腕で掴んだ学ランを降ろし、俺の空気を蹴っていた足はリノリウムに辿り着いた。

「なんで部活に来なかった。顧問めちゃくちゃ怒ってたぞ」

「やっぱ怒ってたかー……朝練行かなくて正解だな。部活に行かなかったのは集合場所が分からなかったからだよ」

「……は?」

「いやいや本当だって。そんなマジギレになんないでよ、怖いからやめて?よく考えてもみろよ。これが嘘ならもっとまともな法螺を吹くだろ俺なら」

「確かに……本当に分からなかったのか?第二グラウンドだぞ?練習いっつもあそこだろ?」

「あ」

 そういえばそんな名前だったっけ。

 俺のたった今気付いたような顔色に浅野は頭を抱えた。

「よし、今から謝りに行こう。お前なら、顧問も簡単に許してくれるだろうし……俺も頭下げてやるから」

 浅野は強引に手を引こうとするが、それを振り払う。

「無理だ。やることがあるから」

「部活よりも大事なことなのか?言っちゃ悪いが俺たちにはサッカーしかないんだぞ」

「それ自分で言う?つらくない?」

「正直つらい」

「だよな」

 頭を掻いて、溜息をつく。

 それは浅野にとって”了解”のサインであり、苦労人である彼の癖。

 この年で眉間に皺が寄っているのだからストレス度数は分かり知れない――もっともほとんど俺のせいで苦労を背負い込んだ青春を送っているわけだが。

「サッカーは辞めないんだよな?」

「辞めない」

「…………分かった。先輩方や先生には俺から言っておく。とっとと用事済ませて、部活戻って来い」

 浅野は笑って、俺の背中を強く叩いた。

「いっ……!いちいちお前は強いんだよ!もっと手加減して叩け!」

「叩くのはいいのか?」

「駄目だが?言葉の綾ってやつだよ」

 この男は相変わらず頭が固い、もっと臨機応変に対応してほしいものだ。

「して、お前は何をするつもりなんだ?」

「えっ……とぉ、」

 気まずそうに目を逸らし、言葉を詰まらせる。

 相手が気心知れた浅野とはいえ、言えるわけがない。

 もし素直に全てを語れば、今までの鬱憤を晴らすように、ここぞとばかりに噂を広めるに違いない。

 『部活の入部試験をしている間、知らない女子生徒にキスをされ、その人を探すために他のことをしたくない』なんて、口が裂けても言ってやるものか。

「まあ色々だよ。今後俺の人生が充実しそうな出来事に熱心に取り組むのさ」

「なるほど……プロを目指すためには部活だけでなく、個人練習、技術の研究に時間を割いた方が今後のためになるということか」

 浅野は納得したように、深く頷いている。

「う、うん。そんなところだな」

 嘘は言っていないぞ俺は。

 解釈は人それぞれだ、俺は全てを許容しよう。

「というわけでだ!この学校に精通した浅野数屋君よ。俺の人生設計のためにひとつ教えてはくれないか?」

「無論だ。練習だろうが、研究だろうが、付き合ってやるぞ」

「そうじゃなくて、第二美術室について何か知らないか?」

「第二美術室?それがお前と何の関係が」

「あー!聞くな聞くな、それを言ってしまえばすべてが台無しになる!!お前にしか頼れないんだ。お願いだ」

 「俺にしか、頼れない!?」と浅野は普段雑な扱いばかりしているせいで、気持ちの悪い感銘の受け方をしている。

 俺はまだ浅野以外に友人がいないから、あながち間違っていない。

「第二美術室か……これがお前と関係あるか分からないが、この学校には第二美術部というものがあるらしい」

「第二美術部?」

 浅野は俺の鸚鵡返しに首肯する。

「通称、天才の花園。美術に限らず芸術全般を扱う部活であり、入部条件は二つ。一つは天才であること、もう一つは女子生徒であること」

「天才が集まる女子のみの部活だから、天才の花園ね……そのまんまだなあ。けどそんなものあるのか?」

 浅野は首を振り、分からないと言った。

「この学校にかなり前からある噂らしいが、確かなことは誰も分からない。去年先輩が色々調べたらしいが、部活自体はあっても活動はしていない、全員幽霊部員の部活になってるらしい。去年活動がないんじゃ今年度は解体されてるかもな」

 確かに部室はほとんど使われた形跡はなかった。

 だったらあの少女は?

 噂の方はどこまで本当のことなのか怪しいものだが、確かめてみる価値はある。

「ありがとな。調べてみるわ」

「お、おう。役に立ったのなら何よりだが……サッカーと何の関係が?」

「急がば回れっていうだろ?そういうことだ!」

「いやなんも分からんが」

 そりゃ俺にもこの一件とサッカーが何の関係があるか分からんからな、そう言おうとして、担任の咳払いが大きく聞こえた。

 もうHRの時間らしく、俺たち以外の生徒は既に着席し、白い目を向けていた。

 苦笑いで手を振って、席に着く。

 浅野も恥ずかしそうに自分の席に座るが、周りの女子から何やら話しかけられている。

 対して俺に声をかけるクラスメイトはゼロ、それどころか舌打ちさえ聞こえる始末。

 なんだこの格差社会。

「死んでしまえ」

 俺はひたすら浅野を呪った。

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