君とわたしの幸福は

雪待ハル

君とわたしの幸福は




「君、何してるの?」


「えっ」


地上へ向かって真っ逆さま。

これ以上生きていくことはできない、もう疲れたとビルの屋上から飛び降りたから、私は今まさに死へ向かって突き進んでいる。

そんな落下の最中に声をかけられてびっくりした。

かがやくような金の髪にサファイアブルーの瞳。

真っ黒なローブをまとったその人は、目を白黒させている私を見て“にこり”と笑った。

私と一緒に落ちながら、

私と違って飛びながら、

彼女は私に言ったのだ。


「ちょうどいい。君が要らないならその命、わたしがもらいうけましょう」
















そして今、彼女は私を空飛ぶじゅうたんに乗せ、自分はホウキで空を飛びながら、呪文のようなものをすらすら唱えている。

私は死ぬ覚悟をして飛び降りたのになぜか生き延びてしまい、それどころか常識をぶち壊す現実と直面してしまい、どうしたらいいのか分からずに目をぱちくりさせる事しかできないでいた。

ただ、目の前の彼女をじっと見つめる。

呪文のようなものを唱えるその声は透明で、まるで歌を聴いているみたいだと思った。




“こなごなにくだきましょう

さらさらになだめましょう

深く 浅く 固く ふわりと

ゆるやかに流れる水は

きらきらとかがやく

どこまでも どこまでも

あなたは飛んでゆける

泳ぐように飛びなさい

舞うように進みなさい

まなざしはただまっすぐに

自由なあなたは

どこまでもゆける“




彼女が呪文を唱え終えると何か起こるのかと思ったが、特に何も変わった事は起きなかった。

だから素直にさっき思った事を伝えた。


「・・・呪文を唱える声、綺麗でした」


もしかしたら私はそれを聴くために生き延びたのかもしれない。それなら存外悪くないと思った。

すると彼女はきょとんとした顔をして、そして笑った。


「ありがとう。ほめてもらえるのは嬉しいな」


私はその屈託のない笑顔に見とれた。

ちょっとぼうっとしてたから、危うく彼女の次の言葉を聞き逃すところだった。


「君をわたしの弟子にしようと思います」


「えっ」


でし?魔法使いの弟子?

頭の中で理解した瞬間、口から言葉が飛び出ていた。


「それは止めた方がいいと思います」


「どうして?」


「私は自ら命を捨てようとした人間だ。そんな根性なしよりも、ふさわしい人は他にいくらでもいると思います」


「君はなぜ自ら命を絶とうとしたのですか?」


「生きる事が苦しかったからです」


彼女は私の回答に頷いた。


「――そう。君はこの世界で生きる苦しみを知っている。だからわたしは君を弟子にしたいと思った」


「・・・?」


「わたしは人を幸せにする魔法を探す旅をしているんだ。だから」






不幸を知っている者こそが、幸福の何たるかをいちばん知っているはずだ。違いますか?






彼女の言葉はどこまでも透明だった。

その声は、まるで胸を貫くナイフのような。


(幸福の、何たるか・・・)


たとえば。

たとえば今、私は、私にとっては、何が幸福だろうか。

サファイアブルーの双眸がこちらを“ひた”と見つめている。

白くうつくしい手のひらが私に向かって伸ばされる。


「わたしには君が必要だ。力を貸してください」


それを聴いて、自然と涙が出た。

今まで何度も傷ついてきた過去に意味があるというのなら。

私にも誰かを幸せにする手助けができるというのなら。

あなたが、私を必要としてくれるのなら。


(私は、まだ生きていてもいいのかな)


そう思えた。

目の前で魔法使いが私の答えを待っている。

一度死ぬ覚悟をして、実際に死の直前までいった身としては、また生きていく覚悟をするのは正直怖いけど。

それでも。




――――さっきの彼女の呪文を唱える声を聴けて「嬉しい」と思ってしまったから。




「分かりました。あなたの弟子になります」


そう答えたら、彼女は「ありがとう」と笑った。

差し出された手を握り返しながら、自分は彼女の笑顔が好きだと気付いた。





























・・・本当は。

人を幸せにする魔法を探す旅はもう千年以上していて、それでも未だに見つけられなくて。

何人も何人も何人も何人も助けられなくて、見送って、泣き暮らしてきた。

人を幸せにしたいと願うわたし自身が幸せじゃなかった。

そんな奴が人を幸せにできるはずがないのだ。

だから、もう諦めてしまおうかと思った。

もうおしまいにしようかと。

そんな時、君を見つけたんだ。

自ら命を絶とうとする人間なんて今まで何人も見てきた。君も彼らと何も違わない、その中の一人ってだけ。

だから、そう、たまたま。

ただの偶然、わたしが絶望しかけたその瞬間に君を見てしまったから、「また見捨てるの?」と自問してしまったから、助けただけ。

助けたついでにちょうどいいからもうわたしの運命に付き合ってもらおうとノリと勢いで思っただけ。

でも。






『・・・呪文を唱える声、綺麗でした』






君があまりにも真っ直ぐにその言葉をくれたから。

久方ぶりに「嬉しい」って気持ちを思い出せた。

ああ、願わくば君との旅路が楽しいものでありますように。

たとえ、君が褒めてくれた呪文が君をわたしと同じ不老不死にするための呪文だったとしても。

君はきっと怒るだろう、それでも。




――――蜘蛛の糸でからめとるように。君をわたしの運命から逃がさずにいられるといいな。





おわり

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