エピローグ

 太陽は沈み、茜色の空はすっかり夜に変わっていた。

 シーブリッジではアスタリア軍人たちがリベックへの撤収を進めている。撤退を指揮するのは、兵士を束ねる大隊長のシグムントだ。

 戦闘AIの足止めに多くの車両を消費したため、帰還には何回か往復しなければならない。夜明けまで続く長丁場だが、戦闘AIに襲われる心配はないとシグムントは兵士達にいった。

 瞬く間に何百もの戦闘AIを消滅させられたのだ。学習する戦闘AIが警戒しない道理はない。監視される可能性は高いが、襲われる危険はないと、大隊長はそう結論づけた。

 一連の説明をするなかで、彼は人類が戦闘AIに初めて勝利したこの日を『機械が恐怖を覚えた日』と表現した。



 レングラード中心から見て、デイジー畑はシーブリッジの正反対に位置する。

 シーブリッジでアスタリア軍人が撤収作業に追われているとき、デイジー畑と暗い海を隔てる断崖に、ひとつの影が現れた。


 ハルカだった。彼女はミサイルの爆風に抉られた土を眺め、根が露出して横たわっていた一輪の花を拾い、崖の手前から空を見上げた。

 薄い黒色を背景に、綺麗に欠けた三日月が浮かんでいる。

 ハルカは左手に持った花を見下ろして、囁くような声で語りかけた。


「初戦が終わったが、まだ契約に問題はねぇよな。お前の条件は守ってるぜ。少し危なかった場面もあったけどな」


 誰もいないデイジー畑の海岸で、ハルカはにやりと笑った。


「だがそれも条件だもんなァ。随分と大胆な教育方針じゃねぇか。死ぬか生きるかの状況に立たせ、自信をつけさせようだなんてよォ」


 「くっくっ」と怪しい笑い声をもらしたあと、ハルカは一転して嘆息した。


「それで死なれたら契約違反だってのも乱暴だけどな……。そう簡単に代わりが見つかると思うなよ? お前のような奴を見つけるのは結構大変なんだぜ。次が見つかる頃には、この惑星は機械に乗っ取られてるかもしれねぇ」


 ハルカにとって、その出会いはまったくの幸運だった。

 吐息をついたばかりのハルカが薄っすらとした笑みを作り、鼻を鳴らした。


「悪いが全員を救うとは保障できないぜ。お前との契約は、ひとりを守り、成長させるってことだけだ。あとはオレの好きにさせてもらう。あまり無理をいうな。欲張れば契りすら守れなくなるかもしれん」


 しばらく直立して、ハルカは左手に持つ花を三日月にかざした。

 白い花びらが輝いて見えた。


「心配すんじゃねぇよ。その件に関しても忘れちゃいねぇ。全ての戦闘AIを消し去ったら“例外”を認めてやる」


 空に向かって話しかけていると、背後から土を踏む音が聞こえてきた。

 音は段々と大きくなる。足音の主はハルカに用があるらしい。

 ハルカは表情を引き締めて、手に持ったデイジーを見据えた。


「今日のオレは気分がいい。少しくらいなら、喋らせてやってもいいぜ?」


 足音はすぐそこまで来ている。

 反応していないので、まだ気づかれていないと思われているようだ。

 背後から迫る人物とは別の声を聞いて、ハルカは再び微笑んだ。


「やっぱりお前は厳しいな」


 呟いて、彼女は左手をおろした。弛緩した頬を引き締めて短く深呼吸をする。

 普段の顔に戻ったことを確信して、緩慢な動作で振り返った。

 彼女と目が合い、シュウは立ち止まった。


「こんなところで何してるんだよ。デイジーになんて興味ないんでしょ?」

「この景色を頻繁に眺めてた記憶は引き継いでるからな。こうして自分の瞳で見たら感じるもんがあるかもしれねぇって思ったのさ」

「へぇ。ハルカでもそんなこと考えるんだ。で、感想は?」

「変哲のない自然の風景だな。それ以上でもそれ以下でもねぇ」

「はぁ……そんなことだと思ったよ」


 大袈裟にため息をついて、シュウは肩を落とした。

 がっくりと頭を垂れていたが、すぐに背筋を伸ばしてハルカを見た。


「まぁいいや。まだここにいるつもり?」

「興味のそそられねぇ景色を見ててもしょうがねぇ。戻るとするか」

「わかったよ。じゃあさっさと行こう」


 ハルカの淡白で口の悪い返答にも慣れたシュウは、苛立った様子もなくそういって歩いてきた道を振り返った。

 月明かりが照らす夜のデイジー畑から、シュウは一歩を踏み出す。

 似たような光景が、ハルカの記憶にはあった。

 ハルカはその場で屈み、左手に持ち続けていた花の根を土に埋めた。手を離しても倒れないことを確認して、彼女は立ち上がった。

 振り返らず歩むシュウの背中を追い、彼女は彼と同じ歩幅で歩き出した。

 明るい三日月が浮かぶ空の下、平和を願う花が静かな夜風に揺れていた。

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