可愛い執念

二八 鯉市(にはち りいち)

可愛い執念

 陽花里ひかりは可愛い。趣味はウォーキングと園芸で、活発だけど恥ずかしがり屋。花が似合う俺の可愛い彼女だ。


 けど、陽花里は時々不思議な事を言う。

「あたしって将来生まれ変わったら、何になれるかなあ」

 俺は彼女の方を振り返った。陽花里は、窓際で朝顔の鉢植えを覗き込んでいる。


 俺は、細身の肩を抱き寄せて言った。

「心配しなくてもさ、陽花里は生まれ変わっても絶対可愛いって」

「ほんと? 嬉しい」

 陽花里ははにかむ。桃色の朝顔の花びらと共に笑う陽花里は、額縁にでも飾りたいぐらい可愛い。


 陽花里と付き合っている理由は、三つある。


 一つは見た目が可愛い。あとの二つは、将来とカネだ。


 陽花里の父親は、俺が絶対に入りたいと思っている会社の社長だ。地域のフリーペーパーには、「地域貢献」だとか「この人にインタビュー」だとか、そんな言葉と一緒に彼女の父親の写真が載っている。


 陽花里と一緒にゴミ拾いのボランティアに参加したとき、俺は彼女の父親に挨拶をした。就活の面接講習で何度も練習したハキハキとした喋り方が、100%役に立った。


 陽花里の父親は俺に、太陽のような笑顔で笑いかけた。

「いい青年じゃないか」

「い、いいえそんな……俺なんかとても」


 あーマジその言葉が聞きたかった。

 そんな台詞を噛み殺しながら、俺は精いっぱいゴミを拾った。就活ってのはさ、真面目にやったって損なんだよ。こうやってコネの獣道を見つけて、要領よくやるべきなんだよな。


 んでもう一つの理由はカネ。

 陽花里は親が金持ちな事に加えて、真面目にバイトをしている。その上物欲が無いので、むしろ金を持て余しているようだった。

 持て余しているなら、使った方が経済の為。

 だから俺は陽花里とのデートで、”時々うっかり”財布を忘れる。


 すると陽花里は仕方ないなぁと笑って、俺の分も奢ってくれる。彼女のカネで食べるアイスはいつもの十倍美味い。俺はせめてもの感謝を与える為、彼女の肩を抱き、「ありがとう」と笑う。俺の腕の中で照れる陽花里は可愛い。

「手、繋いでいい?」

顔を真っ赤にしたまま、陽花里が俺を窺う。俺はいつも「もちろん」と答える。だが、こんな時の陽花里はいつも、俺の左手の小指に遠慮がちに自分の人差し指を絡めるのが限界だ。


 これまで付き合ってきた女の子の中で、陽花里は一番奥手だった。花のよう、とは文字通り、控えめすぎて会話もおっとりしていて、正直退屈。

 正直、コネとカネの為と思って我慢しながら付き合っていた。

 まぁ俺の要領はいい方だ。だから、陽花里の為にいい彼氏を演じた鬱憤は、別の女の子と遊ぶことでうまく発散できていた。自分でも、仕事のできるいい社会人になれるだろうと確信していた。

 あとはもう、就職が無事にうまくいった後にどうやって陽花里と別れるかだけがネックだった。後腐れが残るのはマズい。さっくり別れられたら嬉しいんだけど。


 で、俺の就活には俺自身の努力の他にがついてきていたらしい。


 俺の内定が決まってから数か月後。

 陽花里は死んだ。バイト先のビルの非常階段からの、転落事故だった。無茶なシフトを入れた疲れで、判断能力が鈍っていたのだろうとのことだった。


 俺は彼女の通夜で、ただじっと静かに歯を食いしばっていた。本当なら泣かなきゃいけないところなんだろうが、涙は出なかった。まるで、スマホに流れてくるニュースで、「どっかの誰かが交通事故で死んだ」という文面を見たときのように、俺の心はもう陽花里に関するどんなコトにも揺れなかった。

 ただ、歯を食いしばっていた。前日徹夜で飲んで、眠くてあくびが止まらなかったからだった。少なくとも陽花里の親父の前では、彼女を突然亡くして悲しい青年を演じなければならなかった。じゃなきゃ、ここまでの苦労が報われない。


 無事就職して、コネのおかげでいい思いもしつつ一年が過ぎた。

 そんな頃になると、俺は正直陽花里の事なんてもう忘れていた。

 不意に陽花里を思い出したのは、新しいカノジョができたから。もっと言うと、新しいカノジョが、

「ねぇ、これ素敵だと思って買ってきたの」

そう言って、俺の部屋に朝顔の鉢植えを持ってやってきたからだった。


 朝顔の鉢植え。それを見た瞬間、完全に記憶から削除していた陽花里との思い出が、俺の後頭部のあたりに波のように押し寄せた。思い出がむせ返り、息ができない。

「う……」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

朝顔なんて要らないと断ろうとした。だが、断ろうとすればするほど、カノジョは不機嫌になっていく。

「だって昔の写真で……」

要らない事を口走った。そんな顔をして、カノジョは口をつぐんだ。なるほど、と直感した。SNSのどこかで俺と陽花里が一緒に写っている写真を見たんだ。そしてその写真は俺の部屋で、そこには二人で育てている朝顔があった。

 単純な嫉妬みたいなものなんだろう。「昔のオンナの朝顔より大輪の花を咲かせたらアタシの方が勝ち」だとでも思っているんだろうか。くだらない。


 怒鳴ってでもいいから持って帰らせることは簡単だった。ただ、面倒だった。こんなことでこじらせる意味も利益も一つもないように思えた。

「分かった、ここに飾るよ。日当たり、よさそうだし」

俺はそう言って、ベッドの傍の窓際に鉢植えを置いた。途端、まるで三歳児が泣き止むみたいに、カノジョは機嫌を直した。


 カノジョを玄関先まで見送った俺は、疲労感と共にベッドに座り込んだ。ふと目に入ったのは朝顔の花だった。紅色に近い桃色。可憐というのはこういうことを言うのか。正直、今のカノジョより陽花里の方がどれだけマシだっただろう。

「あーあ、陽花里の方がマシだったなァ。性格は正直ゴメンだったけど、顔は可愛かったし、カネ持ってたし」


 その日の夜。

 俺は夢の中で、俺の部屋に居た。夕暮れ時の真っ赤な部屋。何故夢かと分かったかというと、窓際に陽花里が居たからだ。

「ねえ、悠太」

陽花里は言った。

「あたしが生まれ変わっても、あたしの事可愛いって思ってくれる?」

「勿論だよ」

夢の中の俺は、いつもの癖で陽花里を肯定し、笑いかけた。陽花里は嬉しそうに、そして照れくさそうに笑った。

「ほんと? 約束だよ」


 ひんやり、とした感覚で、目を覚ました。冷たい何かが俺の左手を握っている。


 まだ深夜だ。俺の部屋も窓の外の街も、深い闇に覆われている。


 なんなんだ、この冷たい感触。夢の内容もあって、俺は窓際に薄ぼやけた陽花里の幽霊が居るものだと思った。見たくない。けど、見なきゃ眠れそうもない。幽霊なんかで寝不足になんてなりたくない。

 俺は覚悟を決めて窓際に目をやった。


 けど、そこには幽霊なんていなかった。


 俺は、はーっと息を吐いた。ほっとしたら、一瞬で体温が戻ってくる。なんだったんだろう、あのひんやりとした感触なんて一体。いやもしもコレ、雨漏りだったら面倒だな。


 そう思った俺は、枕元のスマホを手に取ろうとして何気なく左手を浮かせた。ぴん、と張る感触。ぴっとりとからみつく冷たいモノ。

 俺は目だけで左手を見た。


 窓際の鉢植えの朝顔のツルが、俺の小指にぐるりと絡みついていた。

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