英雄症候群

空殻

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ギルベルト・アルフォンソは正しく英雄だった。


***


彼が生まれたのは、白夜の夜だった。


『白夜に生まれし銀の子、太陽の力を振るいて悪を滅す勇者とならん』。

それが、タスクス王国の中央神殿に伝わる、大預言者の託宣だった。

そして、白夜の日、タスクス王国で生まれた子どもは百人余り。

しかし、銀の髪を持って生まれたのは、ギルベルトただ一人であった。


託宣を裏切ることなく、ギルベルトは天才だった。

六歳にして剣術においては大人顔負けとなった彼は、八歳で初等魔術を修めた。

十歳で王国騎士団に入団した彼は、十三歳で騎士隊長となった。

騎士隊長は十人の部下を率いる。まだ十三の子どもに率いられた部下たちは初めは大層不満げであったが、ギルベルトの非凡な力量を目の当たりにし、また何度か窮地を救われるうちに、彼を尊敬し、忠誠を誓うようになった。

ギルベルトの部隊は、王国全土へと遠征し、各地の村や町を襲う魔物を討伐していった。三つ首の狼『ケルベロス』、半牛半人の怪物『ミノタウロス』、蛇髪の妖女『ゴルゴーン』、その他多くの怪物を、ギルベルトとその部下たちは屠ってきた。


十六歳の頃、ギルベルトは王国で最強の騎士に与えられる称号『聖騎士』を拝命した。白銀の甲冑に身を包んだ聖騎士ギルベルト・アルフォンソは、拝命以降も変わらず多くの人々を救っていく。

彼は常に、大義のために戦った。

人々に感謝されても、笑い返すだけ。見返りを求めようとはしない。


「僕は、自分のなすべきことをしているだけなんだ」

ある日、部下の一人に向かって、彼はそう言ったのだそうだ。

生まれつき勇者となることが定められていた彼にとって、全ては当然のことだった。

英雄として生まれたのなら、英雄として生きていく。

それが、彼にとって当然の答えだった。


***


ギルベルト十七歳の時、隣国パレリティスが悪魔の軍勢によって陥落した。

パレリティスから人間はいなくなり、悪魔の巣窟となった。次はこのタスクス王国を狙っていることは容易に想像できた。

王はギルベルトに、パレリティスに巣くう悪魔討伐の命を下す。

当然のように、聖騎士ギルベルトは騎士隊長時代からの部下十人を率いて、遠征に向っていった。


一月ほど経って、ギルベルトの部隊は戻ってきた。

戦果は上々で、彼らはたった十一人だけで、悪魔たちの戦線を国境から大きく後退させた。しかし、部下が三人、悪魔との戦いで命を落としたという。

部下の死体は連れて帰ることはできなかったようで、空っぽの棺を埋めた墓が三つ、王城の近くの墓地につくられた。

部下たちの墓石を前に、ギルベルトは険しい顔で祈りを捧げていたが、涙を流すことは無かった。


三日後、ギルベルト・アルフォンソは再び出撃した。

残る部下たちは全て王国の警護という名目で待機させ、ただ一人で彼は、パレリティスへと向かっていった。

部下たちがどのように思ったかは分からない。

ただ、単騎で出立しようとするギルベルトの思いつめた表情に気圧され、下された待機命令に従わざるを得なかった。


それからのギルベルトの動向は、各地でのわずかな目撃情報と、本人からの事後の報告に依るものであり、詳細は分かっていない。

ただ、事実として彼は、隣国パレリティスの悪魔を全て退けた。

彼の放った魔法が、パレリティスの王都で悪魔を焼き尽くした。

その炎が、煌々と太陽のように輝くさまを、人々は遠くから見たという。


タスクス王国へ帰還したギルベルトは、英雄として称えられた。

国王も、彼の部下たちも、彼の無事を喜んだ。

国民は、これまで以上に聖騎士ギルベルト・アルフォンソへの畏敬の念を深くした。

ただ一人、ギルベルト自身だけは、いつもと変わらぬ様子だった。


それからもギルベルトは、王国最高の騎士として、または託宣通りの英雄として、各地で人々を救い続けた。


***


悪魔討伐から約一年後。

王国最北端にそびえる山に棲みついた邪竜が暴れ、麓の町が壊滅したことから、ギルベルトに討伐の任が下った。

いつものように彼は、それが当然であるかのように、何の躊躇もなくその任についた。

単騎で出立した彼は、二日目の夕刻、山の麓で宿をとった。

古びたその宿は、年老いた女主人と、その娘だけで切り盛りしていた。

夕食のパンとスープを部屋に運んできた娘は、ギルベルトの鎧と剣を見て、彼の正体に気付いた。

「もしかして、王国の聖騎士ですか?」

「ああ、そうだよ」

遠慮のない問いかけを、ギルベルトは肯定した。

その答えに娘は返す。

「驚きました。本当にいたんですね」

「え?」

「いえ、英雄が実在しているものだと、どうしても信じられなかったから」

その言葉の意味が飲み込めずまだ困惑しているギルベルトに対して、娘は言葉を探しながらも、説明した。


彼女は、各地で人々を救い続ける聖騎士ギルベルト・アルフォンソの話は知っていたが、その存在を疑わしく思っていた。

その理由は、語られる活躍があまりにも人間離れしたものだった、というのが一つ。そしてもう一つ、彼女は信じられなかったのだ。


「だって信じられないですよ。そんな、義務感に駆られたように人を救い続けるなんて」

彼を批判するでもなく、本当にただ純粋な疑問として、彼女はそう言った。

ギルベルトはいつものように答える。

「僕は、ただ自分がするべきことをしているだけだ」

「それは尊いことだとは思います。でも」

娘はなおも続ける。

「人は、そんな風に役割通りに生きるだけのものでもないでしょう?」


ギルベルトには返す言葉は無かった。

彼はそんなことを、考えたことは無かった。

自身を英雄として定義し、その通りに生き続けた彼は、そこに疑問を抱くことは無かったのだ。


娘との会話はそこで終わり、翌日の早朝にはギルベルトは宿を出た。

そしてそのまま山を登り、邪竜と戦い、討伐した。


任を終えたギルベルトは、また麓の宿に立ち寄った。

そこで娘に声をかける。

「道中、君に言われたことを考えてみたが、僕はやはり、自分がなすべきことをする以外に、生き方が分からない」

「そうですか。前にも言ったとおり、それもとても尊いことだと思います」

娘は微笑んだ。

「けれど、もっと気軽に生きても、いいんだと思いますよ」

「考えてみるよ」

ギルベルトも笑った。


そして聖騎士ギルベルトは帰っていった。


***


それからしばらくして、聖騎士ギルベルトは、騎士の役目を辞した。

彼自身が強く望んだことで、王も引き留めることはできなかった。

人々に惜しまれながら英雄は表舞台から消える。


***


ただ噂によると、ギルベルトは北方へと向かったという。

さらには数年後、山の麓の宿屋の娘と結婚したとも。


また、その宿のある地域で魔物が現れても、すぐに何者かによって倒されるそうだ。

王国騎士が手を焼くほどの強力な魔物でも、数日以内に討伐されてしまう。


***


王国最北端の山の麓にて。

旅人が、巨大な二足歩行の怪物に襲われていた。

そこへ一人の青年が助けに入る。

青年は持っていた剣で怪物の攻撃をいなし、懐に入って魔法を発動させた。

太陽のように煌々と輝く光が弾け、怪物を焼き尽くす。


眩しい光が収束した後、青年が旅人に声をかける。

「もう大丈夫ですよ」

「ああ、助けていただいて本当にありがとうございます」

旅人が頭を下げてお礼を言う。

「それにしても、あんな魔物を倒してしまうなんて、すごいですね」

「いえ、慣れているんですよ」

青年は笑った。

「この近くに家族と一緒に住んでいるので。生活を守るためです」

「なるほど、そうなんですか」

旅人は納得したように首を何度か振り、それから続けた。

「しかし、そんなに強くて、しかもその銀の髪」

旅人が指摘した通り、青年の髪は銀色だった。

「まるで、かの英雄のようですね」

旅人は冗談めかして言った。

青年はやはり笑って。

「英雄はもういませんよ」

ただ、そう言った。


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