さようなら、私の愛した人

サンドリヨン

第1話 存在証明

私には親友と呼べる存在がいる。いや、いたという方が正しい。

この世界で唯一私を私として認識してくれていた人だった。


私は小学校から中学校にかけて酷いいじめを受けていた。

無視は当たり前だし机の中に腐った雑巾が入っていたり、ゴミ捨てを押し付けられて外を歩いていたら上から花瓶が降ってきたこともあった。

あれは下手したら死んでいたのではないかと遅れて理解してとても怖くなった。

授業中も無視は続いているので先生も私がいじめられていることを知っているはずだが、何もしないということは黙認することにしたのだろう。

親は二人とも外に別の愛する人がいて、ほとんど帰ってくることはないため相談もできない。

朝起きるとテーブルの上に1000円がぽつんと置いてある。

実は、両親は全く帰宅しないで妖精か何かが毎朝1000円札を置いていっているのでは?と疑うほど家で家族の姿を見ることはなかった。


あるとき、ふと思った。

本当は私は存在していなのではないかと。

人は他人から認知されることでようやく自分の存在を知覚できるのだと本で読んだことがある。

そう考えると、私が存在しているものとして扱われていない学校や日常生活では本当に存在していなくて、実は死んでいるのではないかと思ったほどだった。

普通に買い物をしていることを思い出してそんな思考は吹き飛んだが、現実逃避してしまうくらいには悲惨な環境だった。


でもそんな環境で手を差し伸べてくれたのが親友である優ちゃんだった。

私の中で優ちゃんが名も知らぬクラスメイトから優ちゃんになったのはあの事件が起きてからだった。


ある日の放課後、学校から帰る前にトイレに行っていた私は、個室から出ようとすると嫌な予感がした。

扉の前から複数人の気配がする。

私が個室から出ようか迷っていると上から水が落ちてきた。

急なことにびっくりして鍵を開け、個室から出るといじめの主犯に腕をつかまれてトイレの床に転がされた。

床に頭を打った衝撃でうずくまっていると顔を一発殴られて、服と髪を切り裂かれた。それから数発腹を殴られ、彼女たちは満足したのか去っていった。

気分が良いときのお母さんがよく手入れをしてくれて、今でも手入れを欠かしていなかった数少ない思い出の髪。

痛む身体をどうにか支えながら鏡を確認すると不揃いになった見るも無残なまでの私の髪があった。


そこで何分、何十分座り込んでいたのかわからないが、気づいたら誰かに抱きしめられていた。

「今まで、助けられなくてごめんなさい……ごめんなさい」

彼女は泣いていた。

私は急に抱きしめらたことに怖くなって彼女を突き飛ばしてしまった。

殴られる……

そう思った私は即座に誤った。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「いいえ、私が、いや私たちみんなが悪かったの。あなたが謝るようなことなんて何もない。今まであなたに辛い思いをさせてしまった私たちを許してとはいわないわ。もう貴方がいじめられることなんてないって誓ってそう言えるわ。」

私は彼女が何を言っているのかわからなかった。

誰かに助けられるなんて夢を見るのをやめたのは何時の事だか。

もう覚えていないくらい遠い昔だった。

だから最初は全く彼女を信用していなかった。

中学に入学してから数か月、助けてくれるならいつでもタイミングはあったはずなのに。

なぜ今になってと思った。

これは後から聞いた話だが、いじめの主犯達を中途半端に告発してもさらに被害が拡大する恐れがあったが、今日初めて証拠に残るような形で犯行を行ったから私へのいじめが明るみになったらしい。

彼女は不揃いになった髪を軽く整えてくれてジャージまで貸してくれた。

最初は彼女に対してもおどおどと接していた私だったが、半年もたつとこの人は信頼しても大丈夫だろうと身体が怯えなくなってきた。

一年もすると一緒に遊びに行くようになり、気づけば、助けてくれた彼女、優ちゃんのことを好きになっていた。


優ちゃんと過ごした中学校生活はとても楽しかった。

昔から教科書類はぼろぼろにされてきたから小学校の勉強でさえ怪しかったのに優ちゃんは根気強く教えてくれてますます好きになった。

私も優ちゃんと同じ高校に行きたかったからすごく頑張れたし、実際に合格したときは思わず優ちゃんに抱き着いてしまった。

合格祝いに優ちゃんの家族の旅行に悪いとは思ったけど同伴させてもらった。

もちろんお金は今まで節約してきたご飯代からなんとか工面した。

旅行の際に遊園地で撮った2ショットが二人のホーム画面になってて付き合ってるみたいだねなんて言って少しドキドキしながら笑いあった。


でも少しずつ少しずつ足場から崩れ落ちていく音に私は気づかないふりをしていた。

このときに相談していれば今のような未来は存在しなかったのかもしれない。

いやそもそも優ちゃんと出会ったことから間違っていたのかもしれない。

あのまま出会わず死んでいれば、ここまでみじめになることもなかったのかもしれないと思う。

まぁ過ぎ去ったことを悔やんでも仕方がない。

そんな風に思わないと私が報われない。


中学生と高校生の境目、両親が離婚した。

母親の不倫がバレたのだ。

まぁよく二人ともここまでバレなかったのもだなと思うけど、自分のことを棚に上げて母を糾弾する父親は見ていて醜悪だった。

しかし父も相手の女性と上手くいってないようで、帰るとお酒を飲んでいることが増えた。

父が家にいたところで料理もしないので食事事情は変わらないままだった。


そんなことがありつつも、高校に入学した私たちは演劇部に入部した。

優ちゃんが舞台に立ってみたいと言っていたからだ。

でも私は恥ずかしがり屋だったので裏方としてならと入部することにした。

優ちゃんを裏からサポートしたいと思ったからだ。

後から思えばこの選択も間違いだったのかもしれない。

いや正解の選択肢なんて私はひとつも選べたことなんてないのだろう。


優ちゃんは役者、私は舞台裏だったため、活動する場所も時間も違って一緒に帰ることが少なくなっていった。

私は寂しかったけど登校やお昼は一緒だし、偶然帰る時間が重なった日は遊びに出かけたりしていた。

そんな中クラスの男子に告白されるというイベントがあった。

まぁ私は優ちゃん一筋なのでそれとなく断った。

優ちゃんにはもったいないって言われたけど優ちゃんが好きなのだから仕方ない。

だいぶアピールしてるつもりだけど鈍感な優ちゃんは残酷だ……


酔っぱらっている父親にレイプされた。

私が1週間くらい優ちゃんと一緒に帰れてなくて寂しかったから連絡しようとしていたとき父親がドアを蹴って入ってきてそのまま首を絞められながらレイプされた。

父親はうわごとのように殺すと言っていてこのままだと殺されると思い何もできなかった。


お風呂で何度洗い流しても汚れが落ちないような気がして何度も吐き気をこらえながらなんとか眠りについた。

父親は仕事をやめたらしく、家にいることが増えた。

その夜以降も何度も犯され、誰かに言ったら殺すと脅され続けて、殺されるかもしれない恐怖と、罪悪感で優ちゃんにも相談できないでいた。

学校では頑張って元気に振舞っていたが、もしかしたら妊娠しているかもしれない恐怖と、優ちゃんに心配させたくない気持ちで私の心はぐちゃぐちゃになっていた。


このままじゃいけない。そんな気持ちで生活してようやく優ちゃんに伝える決心ができた。

「優ちゃん、大事な話があるから今日の放課後時間が欲しいの」

「いいよ!ちょうど私も話したいことがあったんだ。」

「じゃあ、また放課後ね」


優ちゃんが話したいことって何だろう。そんなことを考えながら授業は過ぎていった。

放課後の屋上で私はかれこれ10分も優ちゃんに話せないでいた。

もしかしたら優ちゃんに嫌われるのではないか。

優ちゃんがこんなことで嫌う子じゃないのは分かってる。

でも誰もお前の事なんか好きじゃないって幻聴が聞こえてくる。

怖くてどう切り出そうか迷っていると、

「わかった。そんなに話しづらいの事なら私から話すよ。」

そういえば優ちゃんも話したいことがあるって言ってたっけ。

「あのね、私……隣のクラスの西森さんと付き合ってるの。」

それを聞いた瞬間私の頭は真っ白になった。

「え……西森さんって女の子だよね…?」

「やっぱり気持ち悪いと思う…?私も今まではそんなことなかったんだけど西森さんは基本かっこよくて、でも可愛いところもあったりしてそのギャップに惹かれてって」

「…ううん。気持ち悪いなんて思わないよ。優ちゃんが惹かれた人ならきっと素敵な人だろうなって思うよ。」

「やっぱりそういってくれると思ってた。ありがとう。本当は怖かったのもしかしたら拒絶されるんじゃないかって。はい私が話しにくいことを話したんだから話してくれるよね?」

西森さんは演劇部で優ちゃんと同じ役者側の人だ。そこから仲良くなったのだろう。

でも、女の子でもいいなら私だっていいじゃないか。

そう喉まで出かけたところで、私は汚れているんだという思いが巡る。

そうだ、やっぱり今の私は、優ちゃんの隣に立つ資格なんてなくて、優ちゃんもそれに気づいてるから西森さんと付き合っているんだろう。いやいや、私が汚れているなんて気づいているはずがない。もし気づいていたら助けてくれるはず。嫌な思考を振り飛ばす。

精一杯の作り笑いをして、

「ううん、大したことじゃないの。それより優ちゃんに彼女さんができた記念のお祝いをしなくちゃ。」

その日お祝いで一緒に食べたパフェには味がなかった。

それからの生活は一変した。

まず優ちゃんと一緒に登校もお昼も食べなくなった。

彼女さんといってきなって涙をこらえて追い出した。

私のような汚れてる人間のそばにいちゃいけない。

優ちゃんの幸せそうに報告してくるはにかんだ笑顔を見てから強くそう思うようになった。

それから演劇部もやめた。表向きは私には合わなかったという理由だけど優ちゃんと西森さんが一緒にいるのを見せられるのはつらい。

それからまたいじめられるようになった。

私が断った男子を好きだという子に呼び出され、私が一人になったのをいいことにトイレで制服で隠れる部分を殴ったり蹴ったりされた。

優ちゃんに相談したら優ちゃんまでいじめると言われ、さらに相談できないことが増えた。

更に父親から売春を強要された。売女の娘なら簡単だろって言われて、それから知らないおじさんに抱かれた。気持ち悪かった。


朝は一人で登校し、昼と放課後はいじめられて夜に知らない人に抱かれる。

そんな地獄のようなサイクルを続けていた突然ぶっ倒れた。

保健室の先生には貧血だって言われた。

そういえば最近は朝ごはんしか食べていなかった。

味がなくなってから土を食べているような奇妙な感覚と一日の食費が半分になったことも相まって全然ご飯を食べなくなっていた。

これからは気を付けますといって早退させてもらった。

家に帰ってから左腕にびっしりついた傷跡を見ながらため息をつく。

優ちゃんが西森さんと付き合っていると聞かされた日から辛いことがあるたびにリスカをするようになった。

リスカの後を見るとどれくらい自分が辛いのかが確認できる。

まだ2週間しかたっていないのに数えるのも億劫なくらいの傷跡に嫌気が差す。

最近は優ちゃんとも全然話せていない。自分から遠ざけたとは言えもう少し連絡が欲しいって思ったりもする。

まぁまだ付き合い始めて一か月ほどなのだから仕方がない。

それから数か月がたった。

最近生理が全く来なくなった……

朝ごはんを抜いてまでピルを買っていたので妊娠の心配はあまりしていないが万が一ということもある。

怖くなって検査したが陰性だった。じゃあストレスか……

最近お腹を蹴られることが多くてずっと痛んで不眠症ぎみになっている。

どれだけ死にたいと願っても優ちゃんの存在がちらつく。

優ちゃんが助けてくれたら簡単には捨てられない。そうは思っていても最近は特に辛くなってきている。

私が寝るときは大抵が気絶まがいになっていて、このまま行くと何もしなくても死ぬんじゃないかってぼんやりと思ってる。

でもこんな地獄からあのときみたいに優ちゃんが助けてくれるって信じてるからギリギリ耐えられる。


そんな私に追い打ちをかけるような出来事が起きた。


久しぶりに優ちゃんと放課後に出かけることになった。

こんなに私をいじめてくる人間に見つからないことを願ったことはない。その祈りも通じたのか見つからずにデートに行くことができた。

でも優ちゃんは…

西森さんと一緒に行ったお店がおいしかったからまた行きたい!

映画館にデートに行った!

部活中の姿がかっこいい!


初めてキスをした……


そんな話を永遠と聞かされ、優ちゃんにとって私は親友から惚気を聞いてくれる都合の良い道具になり下がった気分だった。


このまま目の前で死んだら優ちゃんはどう思ってくれるんだろうな、なんて想像しながら優ちゃんと帰路に就く。

ふと優ちゃんのスマホの画面が目に入った。

そこには優ちゃんと西森さんの2ショットが存在していた……


卒業記念の旅行で撮った優ちゃんとの2ショット。私が一生ホーム画面を変えないなんて興奮した声で言うと、じゃあ私もなんて言ってくれた優ちゃん。


 


あのときの優ちゃんはもう死んでしまったんだ。だったら私も一緒に死ぬべきだと感じた。




それからお互いに話すことはなかった。

私から優ちゃんに話しかけることはやめようと思ったし、あのデート以降、優ちゃんからも避けられているように感じた。


12月に入ってからも相変わらずいじめられていた。よく飽きずにこうも続けられるものだ。そんなことを思っているといじめっ子が不思議なことを言い出した。

「そういえば~西森さんと喜多川さんって女同士で付き合ってるんでしょ?知ってる?」

私は沈黙を貫く。

「女同士ってきもいよね~あなたもそう思わない?」

「思うわけない。優ちゃんはとっても優しくて信頼できる私の親友だ。それに比べたらお前たちの方が唾棄すべき人間だ。」

沈黙を貫こうと思った決心は相手の挑発によって簡単に壊される。でもそれを悔やむ以上に衝撃的な言葉が告げられる。

「ふ~ん。そういうこと言うんだ。じゃあ喜多川さんが、あなたがいじめられるって知っててもそんなことが言える?」

「え……どう……いう…こと」

「んー…特別に教えてあげる。あなたの愛しの優ちゃんは西森さんとお前を天秤にかけて西森さんを取ったんだよ。私たちの事を告発するなら西森さんを殺してやるって言ってね」

「嘘…優ちゃんは私を見捨てるなんて…しない」

相手から告げられた言葉が嘘か本当かなんて関係なかった。今の優ちゃんならそうしてしまうかもなんて思考が出た時点で私の負けは決まっていた。もう私は生きることに希望を見いだせなかった。


クリスマス・イブ、私の誕生日でもあるその日にもう一度だけ賭けてみようと思った。


クリスマス・イブ

私の大嫌いな日。生まれてこなければ良かったなんて何度思ったか分からない。

私が何をしてもコインが裏になるような人生だった。

幼稚園くらいまで遡ると、私は明るい人間だった。

いつも暗い表情をしているお母さんを元気づけてあげたかった。

でも五月蠅いと怒鳴られてからは、そんなこともやめた。

勉強を頑張っても褒められることはなく、周りからは調子に乗っているといじめられ、教科書が破られ勉強ができなくなってからもお前がクラスの平均を下げているんだといじめられた。

 優ちゃんに出会うまで、辛いことがあると幼い頃に両親に祝ってもらった一回だけの誕生日を思い出していた。あの日は誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントを貰えてこれ以上ないくらい喜んだことを覚えている。

でも、最近はだめだ。

そんな事実は存在しないような気がしている。

本当は優ちゃんにも助けられず、誕生日プレゼントなんてもらったことなんてなくて、あのまま自殺していたのではないかと。

自分が自分を認識できていない。

本当に自分が生きているのか、死んでいるのかを判断できない。だから私が生きているか、死んでいるかを確認するための賭けをする。


私の誕生日、去年までは祝ってくれたけど今年は無理だろう。

だから、私から電話をして優ちゃんが私の自殺を止めてくれるなら生きてていいんだって思える。止めてくれないならそのまま死ぬ。

多分西森さんとデートに行くだろう。

それを放っておいてまで私のところにくるのなら大丈夫。



その思い出だけで生きていける。




電話を掛ける。

・・・


・・・


・・・


プッ


繋がらなかった……


いや、繋がらなかったんじゃない。切られたんだ。


服を脱ぐ。

事前に張っておいたお風呂に入る。午前中からお風呂に入るなんてないから変な気分になる。去年優ちゃんから誕生日プレゼントに貰ったバスボムとカッターを握りしめて湯船につかる。


「賭けにも出させてくれないなんて、優ちゃんはひどいなぁ……」

もう優ちゃんの中に私はいないんだね。

優ちゃんとの思い出を想い返す。思い出に囲まれて死にたい。


最期のお風呂は気持ちが良い。

バスボムでお風呂がピンク色に染まる。

お腹にできた青あざが見えなくなる。

左手に刃を押し当てる。

右手で力を込めて引く。

湯船が更に赤く染まっていく。

一心不乱に傷をつけていく。私が今まで傷ついてきたことをこの世に残すように……


さようなら、私の愛した人。

私は静かに目を閉じた。

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