第23話 焦土


 キハチは命からがら、死ぬまい、とミケヌの手を無理やり引っ張った。もう、火の波状に呑まれる。逃げろ、逃げろ、逃げろ、とキハチは木偶の棒のように一心不乱に叫び続けた。ミケヌは今まで感じたことのない類の恐怖を覚えて二人で逃げ出した。サヤの悲鳴が途絶えた。


 森林が焼尽していく音がする。筆舌しがたいほどの異臭が漂う。今までに感じた試しがない臭いだ、とミケヌは必要に迫られて無我夢中で風向きが変貌していく南方へ走り続けた。



「逃げろ。逃げろ!」


 キハチは村の里の者に向かって叫び続ける。ミケヌは頬にいつの間にか零れ落ちていった一筋の涙を堪えながら狂った車軸のように走り続ける。


「サヤが、サヤが!」


 ミケヌは叫び続け、ようやく、非難した二人が丘陵を登り切ってから目前にしたのは多くの命が強奪された、目を覆うような焼野原だった。もう、ここには永遠に住めないだろう。二人は遠火と混じった吐く息を感じながら確信した。


 


その後、ミケヌは生まれ故郷を捨て、遠い大和という地に多くの従者を連れて旅立った。兄者である、イツセとイナヒ、ミケヌとともに。キハチはこの焦土と化した地に留まった。地の怒りによる神罰で亡くなった、サヤの魂を弔うために。



 しばし、月日は流れた。大和の地から帰還した者がただ一人いた。ミケヌの兄、ミケイリである。サヤを失ったキハチは荒れ狂い、人々から恐れられる祟り神になった。それからというもの、この南九州の地にはキハチが大火を噴火口から噴きさせ、酷烈な霜を降らせ、豊沃な大地を総すかんと荒らすようになった。


 鬼神となったキハチは村の少女らを攫うようになった。


 ミケイリは市井の人々を救うためにキハチを北の高千穂の地で倒した。キハチは最期まで首皮一つになっても、その生首一体で食らいつきながらかつての友に抗った。


 ――キハチの魂を奉った社が今の霧島東神社である。


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