第21話 襲撃-⑥

 「―――上位命令だ。『そいつを絞め落とせ』」


 指示と同時に、ハエトリグモと呼ばれた殺し屋の少女は飛んでいた。


 同時に彼女の手首からワイヤーが音もなく伸び、対象の背後に立つと同時に、両手で掴んだそれで寸分なく気道を圧迫し、対象の意識を刈り取っていた。


 そして、瞬きをする間もなく、終わったその一連の流れを、青年は酷く詰まらなさそうに眺めていた。


 「はあ……まったく」


 その様子に、千歳羽樹里は少しだけ薄い笑みを浮かべていた。


 みつきと呼ばれた少女は、命令を受諾すると同時に、彼の傍に使えていた助手の意識を刈り取っていた。


 当然だが、それは青年の意図したところではない。


 何より、実行したみつき当人の様子が少しおかしい。息が荒れ、視線が散乱し、指先が僅かに震えている。


 「はは、どーしたの? やっぱり交渉する気になった?」


 そんな羽樹里の煽りさえ無視して、青年はゆっくりとみつきを見やる。その視線を感じたみつきは、息を荒らしながら、びくっと肩を震わせる。


 「ハエトリグモ、お前、今、?」


 薄く、低く、それでも明確に怒気を孕んだ言葉に、みつきの視線はさらに忙しなく惑う様に揺れていく。ただ、そんな二人の様子を眺めて、羽樹里は呆れたように溜息を付いた。


 「よく言うよ、わざと誤訳できるように、ぼかして命令したくせに。作動テストみたいなもんで、失敗する前提で言ったんでしょうが」


 そんな羽樹里の野次に青年は軽く鬱陶しそうに視線を向けた後、鼻息を鳴らした。


 「そもそも、みつきに私を直接殺させることができるんなら、あんたはこんな問答なんてしなくてもいいわけだ。やっぱ、既に施された上位命令ってのは、あんたにもどうしようもないわけだよね。て、それじゃ、最初の話に戻ろっか、交渉しようよ。私なら―――その命令を解除してあげれるよ?」


 羽樹里の言葉に、青年とみつきの肩が同時に揺れた。


 上位命令の解除、それは命令した主人張本人にしか行えない。この場合、千歳羽樹里の命を守るために課せられた上位命令は、第四主人である彼女の祖母にしか解除できない。


 「…………本当ですか?」


 「もちろん、ちゃんと認証コードから、あのクソばばあの命令解除を。これを聞かせれば、みつきは晴れて自由の身になる」


 青年は短く息を吐いた。みつきは驚いたように、何か口を開きかけたが、何かを発する前に「喋るな」と口を封じられた。


 「わからないな、そんなことして、何の意味があるんです? こっちの武器の壊れてる部分を、わざわざ直してくれるっていうわけですか?」


 そう言った青年の問いに、羽樹里は優しく慈母のような笑みで微笑んだ。


 「もちろん、条件はあるよ。ほとぼりが覚めて、ここを脱出できたタイミングでみつきは私の所に返してもらう。くそばばあの手の届かないところ、南アに小さな島があるから、そこで受け渡し。以降、私達には干渉しないこと」


 「はっ、飲めないな。それでは結局、私はこれを手放すことになるでしょう」


 「そうだね。だけど代わりに、あんたが昔やってた研究のデータ、くそばばあが回収したやつを根こそぎ返してあげる。少ないけど、資金援助もしてあげるよ、それでみつきの代わりに、またどこかでいたいけな子を拾ってくればいいじゃん。どうせ、あんたみたいな科学者は、みつきにしたことの汎用化くらいできてるんでしょう?」


 少女の問いに、そこで青年はようやく表情を動かした。どこか喜色ばんだその色に、みつきは少し畏れるような瞳を向ける。


 「なんだ、そこまで考え付いてたんですか?」


ここまでのやり取りで、唯一、青年の瞳の奥に滾るような、何かが灯った瞬間だった。


 「なんとなーくだけどね、みつきが施されたものと、さっきの話聞いてたら、みつき一人造って満足って感じじゃないでしょ? そもそも失敗作は一杯いたみたいだし。うちのおばさんも言ってたけど、科学者は再現性を求めるものだって」


 羽樹里の言葉に、科学者は大仰に手を広げると、先ほどまでとは一転して楽しげに声を高らかにあげた。


 「いやはや、そこまで考え付いてたとは驚きです! そう、その通り! 科学っていうの再現性です。天才一人が成しえる偉業なんて、そいつ一人が死んでしまえば終わりじゃないですか?! 限られた天才にしかできなかった複雑な計算を、誰しもが成すためにコンピューターが生れたように。勇敢な戦士のみが討伐できた獲物を、凡夫な誰もが仕留められるように銃や兵器は生まれてきたのです! 限られた偉業を誰しもが手にするために科学はある! 一人の完成品を造ってそれで終わりなんて、勿体ない! 再現性は既に見出しているのです! すなわち、量産ができる! 複製ができる! いつか私はこのメソッドを確立し、この個体と同じような超常的な人間を点滴一つで造り上げる所まで行けるでしょう!」



 「そうだね―――でも、組織テナントはそれを許さなかった」



 羽樹里がそう短く発した言葉に、青年は高らかに歪ませていた瞳を細めて、羽樹里を見た。


 「誰が―――いや、あの蝙蝠女ですね。余計なことを……」


 報告に合った、紗雪と呼ばれる組織の構成員のことを想いだす。組織から千歳羽樹里の傍で監視という名目で派遣されている癖に、何かと理由をつけて情報を横流している蝙蝠女。何度か組織の議題でも、彼女が裏切っているかどうかで議論が上がっていたが、ついぞ責任を問われていない。ひらひらと、誰の味方かもわからない、どっちつかず。


 「怒らないであげてよ、私が高値で情報買っただけだから。あなたは、昔、みつきと同じ兵士を大量に造り上げる計画を立てて、組織に却下されている。以降研究も、あくまでみつきを造ることを最後にして終了してる。第三主人にみつきが送られたのも、結局あなたから研究を取り上げる意味合いが強かった」


 「だから……なんです?」


 「だからこそ、私の提案は魅力的だと想わない? あなたは自由に研究を再開できる。私はみつきとの生活を確保できる。お互い、ばばあの手から逃れるために、一芝居うたないといけないけど、そのあとは自由放免。私はあんたがどこで何人犠牲にしようと、今後一切関与しない」


 相も変わらず妖しく笑い、悪魔の取引の如く餌をちらつかせる少女に、科学者たる青年はじっと目を細めて見つめていた。


 「私が言えた口ではありませんが、とんだ外道ですね。自分さえ幸せなら他人などどうなってもいいと? 『殺すな』なんて命令を下していたものだから、どんな聖女かと慮っていたのですが」


 青年の問いに、少女は悪魔のごとき笑みを崩さないまま、嘲笑う様に掌を軽く振った。


 「私が聖女? あのくそばばあの孫だよ、私は? そんなのどうだっていいに決まってんじゃん」


 「――――そうですか」


 そう呟くと、青年はそのやり取りの間、蒼白になりながら口を噤んでいるみつきの傍にそっとかがんだ。


 「……で、どうするの?」


 それから羽樹里には背を向けたまま、みつきの様子をつぶさに観察し始める。


 「……わかりました。乗りましょう。ところで一つ聞いておきたいのですが?」


 「…………うん、なに?」


 「随分と、これに入れ込んでいるようですね? これも随分とあなたに懐いているようでした。そういった感情はあらかた壊したつもりだったんですが、大したものです」


 「………………うん、まあね。可愛いし」


 「理由に興味はありません。しかし、データでは知っていましたが、改めて向き合うと恐ろしい物ですね。気づけば飲み込まれそうになる―――



 その言葉で少女の笑みがふっと―――消えた。



 言葉の意味を未だに理解していないみつきを見て、青年は少し意外そうに首を傾げた。


 羽樹里はその背の向こうで、少しだけ唇を噛んでいた。



 「おや知らなかったか? 界隈では有名な話だ。千歳羽樹里と会って喋っていると、どうにも気分がよくなってくる、気付けば口車に乗せられて、大物投資家がほいほいと彼女に金を落とす。裏社会の王の孫……と言っても家族の仲が悪いのは有名だし。それだけで、一介のティーエイジャーに大金を貸すほど、日々億単位の金を動かす投資家たちの眼は鈍ってない」



 「お前は不思議に想わなかったのか? そもそも私の研究室で、誰にも愛着示さなかったお前が、どうしてひと月そこらで、命令違反を覚悟してまで従っている? あまつさえ、命令かどうか曖昧な指示にさえ、律儀に叶えようとしているんだ?」



 「異常だろう? どう考えても。そもそもお前の脳は一般的な愛着なんて感じられないように壊してあるんだ。とっくの昔に人から抱きしめられても、安心の一つもできないだろう? 人肌は嫌悪の対象でしかないはずだ。誰かに受け容れられて喜ぶというのも、あれは結構社会動物の本能みたいなものでなあ、誰にでもあるから、逆に壊しやすくて助かった」



 「そんなお前が、どうしてあいつの前だと、当たり前に人の中に居られた? どうしてあの女の言うことだけは、そこまでして叶える気になった?」



 「特殊なんだよ、声がな。あの女の声は、自然界の風や波の音に近い独特の揺らぎを持っている。それが人の無意識に反応して、安心感や幸福感を作り出す。言ってしまえば声そのものが、ある種のドラッグみたいなものだ。あいつの声は人の脳に直接作用する。あいつの言葉を効くと心地よくなり、安心し、信じたくなる。だから、数多の投資家があいつにせっせと金を落とす。だから、歴戦の兵も、類まれな専門家さえも、あんなちっぽけな経験もない十代のガキについて行く」



 「脳に直接作用するから、お前の感情が大半が死んだ脳にも効いたのは、新しい発見だった。やはり、まだまだ人体は研究のし甲斐がある。ああ、ついでに言うとな、顔のパーツがある種の黄金比でできているから、他人の印象に強烈に残るようにも出来てるんだそうだ。まるで人の上に立つために全てを与えられたみたいだろ? 本当に手の付けられない天才っていうのは、ああいうのを言うんだよ。どんな組織の長でも、その才能には敵わない、生き物としての絶対的な相違がある。界隈では、生まれながらの『帝王の仔エンペラー・チャイルド』なんて呼ばれてるくらいだ」



 「わかったか? つまるところ、お前の抱いたものは、全部あいつに造られたものだったんだ」



 そこまで、告げてから、青年は羽樹里を、酷く楽しそうな笑みを浮かべながら振り返った。



 「ところで、知ってます? あなた、これに課せられた上位命令を」



 「『千歳羽樹里を命に代えても守ること』そして、『この命令を千歳羽樹里には秘匿すること』」



 「そう―――そして、この命令は、



 「本当はやりたくなかったんですがまあ、致しかたない」



 「認証コード『25187306956209483710648570329486751203871954630』。


 上位命令だ。


 『今、待機している上位命令を含め全ての命令を破棄しろ』」



 命令の矛盾に少女が声にならない叫喚を上げるその前に。



 青年は少女の脳に無造作に、産みだされた感情にペンキをぶちまけて塗りつぶすように言葉を投げた。


 「認証コード『45982361703127506984702391583274910658713420968』


 重なて上位命令だ。


 『今、ここで、千歳羽樹里を、殺せ』」



 命令と同時に、少女は飛んだ。



 「知ってます? 上位命令って、対面じゃないと効果を発揮しないんですよ。つまり、録音なんかをネタに出してきた時点で、君はもうとっくにボロを出してたんだよ」

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