第3話

 十年以上ぶりにこの街を訪れたというお姉さんは、思い入れがあるというお店をあちこちのぞいては、感慨深そうに私にいろいろと教えてくれた。


「この本屋さん、売り場面積が小さくなっちゃうから、気になる本を見つけたら買っておいたほうがいいわよ。あとで後悔するから」

「この百貨店、惜しまれつつ閉店してしまうのよね。よく利用していたから、生活に困ったっけ」

「このアニメショップにはね、友達とよく遊びに来たの。学校帰りに立ち寄って、一緒にグッズを買ったりなんかして。楽しかったなあ」


 親しげに話してくれるお姉さんの思い出話を、私は不思議な気持ちで聞いていた。

 だって、お姉さんが巡るお店は、私の馴染みの場所ばかりだったから。

 それに、お姉さんの口ぶりは、まるでこの街の未来を予言するかのようで。耳を傾けながら、どうしてそんなことが分かるの? と、まるで狐につままれたかのような心地になってくるのだった。


 やがて、私たちは通りの先にある神社へと行きついた。けっして広くはないけれど、よく手入れの行き届いた、街のシンボル的な神社だった。

 二人してお賽銭を投げ入れ、手を合わせて熱心にお願いする。


「紫乃ちゃん。今、『小説家になれますように』ってお願いしたでしょう」

「どうして分かるんですか?」

「だって、そう顔に書いてあるもの」


 クスッと微笑をこぼすお姉さん。どうやらこの人には何一つ隠し事はできないらしい。

 やがて私たちは境内のベンチに座り、お姉さんが買ってくれたタイ焼きに一緒にかぶりついた。


「熱ちち。あそこのタイ焼き、いつも焼き立てで美味しいのよね」

「分かります。私もあそこでよく買うので。美味しいですよね」


 二人して、実の姉妹のように一緒に笑い合う。

 突如目の前に現れたミステリアスなお姉さんに対する警戒心はすっかり解け、遠い昔から見知った仲だったかのような、そんな親近感すら覚えてしまう。


 神社に射しこむ夕陽の赤い光を背にしながら、お姉さんが私に問いかけた。


「紫乃ちゃん。お母さんとは仲良くしてる?」

「そうですね。仲はいいほうだと思いますけど」

「ちゃんと親孝行しなくちゃ駄目よ。この先、たくさん心配をかけるから。大人になってからも『小説家になるんだ』って言い出して、急に仕事を辞めたりしてね。お母さん、がっかりしていたなあ。もう合わせる顔がないくらい」


 お姉さんは肩をすくめて苦笑する。


 私はお母さんの顔を思い浮かべた。私がお姉さんくらいの年齢になっても小説家になるんだと言い張って職につかなかったり、仕事を急に辞めたりしたら、お母さん、きっとすごく怒るだろうな。それとも、今より少しは私のこと、大人扱いしてくれるかな?


 将来のことを思ったら、なんだか心に暗い影が差してきた。


「……私、ほんとうに小説家になれるのかな」


 つい、そんな弱音が口からこぼれ落ちてしまう。

 すると、お姉さんは優しい声で諭すように話しかけてくれた。


「そうね。紫乃ちゃんがこれから進む道は、けっして平坦ではないわ。一生懸命書いて投稿したWEB小説はちっとも流行らないし、受験勉強もたいへんだし。大学では人間関係で悩むかもね。仕事についても、イヤミな上司がいたりしてねー」

「うぅ、生きていくことが嫌になる」

「ご、ごめんなさいっ」


 お姉さんが語ってくれた未来があまりにリアルに響いてきて、私の胸を容赦なくえぐってくる。お姉さんは慌てて言葉を付け加えた。


「でも、とろけるような素敵な出会いもあるかもね」

「それって……もしかして、恋っ!?」


 お姉さんは私の質問には答えてくれなかったけれど、満たされたようなにこやかな微笑みがすでに答えを物語っている気がした。


「だって、紫乃ちゃん、可愛いもの。夢に一途で、純粋で――その気持ちをいつまでも忘れずにいれば、きっと夢も叶うわ。紫乃ちゃんは、小説を書くのは好き?」

「はい。ただの自己満足で、他人から見たらちっとも面白くないかもしれませんけど」

「それでも、紫乃ちゃんは書くことをやめられない。どんなに辛く、苦しくても、紫乃ちゃんは小説を書くことを心の支えにして生きていくわ。そして、そんな紫乃ちゃんの作品を心の支えにする人がきっと現れるわ」


 お姉さんは確信めいた口調でそう言うと、私の肩をそっと抱き寄せた。私は甘えるようにお姉さんの身体に寄りかかる。お姉さんの熱が触れた身体から伝わってきて、包みこまれるような安心感が胸いっぱいに広がった。


「紫乃ちゃんはこの先、恋もすれば挫折もする。信じられないような出来事に遭遇して、心を曇らせる日だってあるかもしれない。でもね、そうした経験の一つひとつが、紫乃ちゃんの小説に光を与えてくれるの。だから、紫乃ちゃんには毎日を丁寧に生きて、自分を信じてずっと書き続けてほしいな」


 お姉さんの声の温もりが乾いた心に沁みわたり、私の瞳からしぜんと涙がこぼれ落ちた。私はずっと誰かにこんなふうに応援してもらいたかったのかもしれない。

 私は涙をぬぐい、お姉さんの励ましに応えるように微笑み返した。


「分かりました。私、頑張ります!」

「その意気よ、紫乃ちゃん」


 お姉さんは満足げに笑みを深めると、おもむろに立ち上がった。


「さあて、私もそろそろ帰らなくちゃ」


 私もつられて立ち上がる。夕陽はすでに沈みかけている。これ以上遅くなると、お母さんが心配するかもしれない。


「今日はありがとうございました。でも、よかったんですか? ずっと私と一緒で」


 急に申し訳なさがこみ上げてきて、私はお姉さんの表情をのぞき見た。たしか、お姉さんは大切な人にお礼を言いたくて、十年以上ぶりにこの街を訪れたはずじゃ……。


「ああ、そうだったわね。ちゃんとまだお礼を伝えていなかったわ」

「今思い出したんですか?」


 そんな大事なことを忘れていたなんて、もしかして、天然さん?

 すると、お姉さんは改まったように私と向き合い、お辞儀をしてきた。


「ありがとう、紫乃ちゃん。今日はあなたにお礼を言いに来たの」

「えっ?」


 お姉さんの予期せぬ行動に、私はとまどった。どうして私がお礼を言われているんだ?

 わけが分からず立ちつくす私に、お姉さんは優しい声で告げた。


「あの日、紫乃ちゃんが勇気を出して一歩目を踏み出して、WEBに小説を投稿してくれたおかげで、私の未来が開けたから。だから、過去の私にどうしても感謝の気持ちを伝えたくて、今日は紫乃ちゃんの元を訪れたんだ」

「過去の私?」

「そうよ。寝る間を惜しんで、授業中にうとうとして先生に叱られてまで一途に夢を追いかけた、青春時代のまぶしい私にね」


 お姉さんは私に優しい眼差しを注ぎこみ、不敵な笑みをこぼす。私は信じがたい気持ちでお姉さんに問いつめる。


「……あなたはいったい? せめて、お名前だけでも教えていただけませんか?」

「ここまで言ってもまだ分からないかなぁ? あいかわらず鈍感ね。さすが私」


 お姉さんは呆れたようにハンドバッグから名刺入れを取り出し、その中の一枚を私に差し出した。私はお姉さんから受け取った名刺に慌てて目を落とした。



――『恋愛小説家 シノ・パープル』



「これって、私のペンネーム……」


 名詞に書かれていたのは、紛れもなく、ちょっぴり恥ずかしい私のペンネームだった。

 ずっと抱き続けていた疑念が、ようやく確信に変わる。



――もしかして、お姉さんは夢を叶えた未来の私?



 しかし、驚いて顔を上げるとすでにお姉さんの姿はなく、いくら境内を探してもついに見つけることはできなかった。

 その後、私は星に照らされた家までの道を興奮ぎみに駆けて帰った。


 夜、ノートパソコンを開いてみると、投稿したWEB小説に一件のコメントが届いているのに気がついた。


『素敵な物語をありがとう。これからもずっと応援しています』


 嬉しくて、しぜんと笑みを誘われる。


「よぉし、頑張るぞ~っ!」


 私は椅子を引いて姿勢を正し、気合を入れ直すと、夢に向かってパソコンを打ちはじめた。




【完】

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夢の彼方 和希 @Sikuramen_P

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