序章 はじまりの夜④


「簡単そうに言っていますが、あんなやつでもこうしやく家の三男ぼうです。身分があるんですよ」

「ええ、それは最初に聞きましたよ?」

 その程度が何か、とでも言いたげだった。あまりにもたいぜんとしていたので、言い出した私もすんなりなつとくしてしまった。

「ですが、両親と妹が認めるとは思えません」

「貴女の話から判断するに、ご両親は典型的な貴族です。利が不利を上回れば無下にしませんよ。であれば、ただの貴族れいじようである妹君はその判断に逆らえない。ちがいますか?」

「違いません、けど」

 問題はその利がまったく分からないということなんですよ。私にはイルヴィスがここまで自信満々でいられる理由がまったく分からなかった。失敗する可能性など少しも感じさせないその態度に、だんだん本当にだいじようだという気分になってくる。

「……まあ、他のせんたくなんてないですし、貴方を信じてみますよ。でも、貴方はそれでいいんですか?」

「? 何がでしょうか」

「何って、貴方好きな方がいるのでしょう? いつしよける以上、うわさになりますよ」

「ああ、そういうことですか。……そとぼりめるのにちょうどいいな」

 不思議そうな表情から一変。ものの仕留め方を考える狩人かりゆうどのような目をしたイルヴィスが、何か小声でつぶやいた。

 すうっと細められたアイスブルーの目は、そのすずしげな色に反して確かな熱を宿している。背筋に寒気が走って思わず身を硬くすると、イルヴィスの目にあった熱はすぐに消えた。私は変な空気を誤魔化すように口を開く。

「すみません、ホールがさわがしくて聞き取れませんでした。もう一度おうかがいしても?」

「私は信用ならないらしいので問題ありません、と言ったんです」

「もしかしてちょっと気にしてます?」

 ……気のせい、かな?

「まさか。ですがどうしてもお気にむのでしたら、私が彼女と仲良くなれるようにアドバイスをしてください。先ほどのアドバイスもなかなか良かったですよ」

「あの。先ほど上手うまくいかないと言ったこと、気にしてます?」

「まあそんなことより、どうです? 悪い話じゃないでしょう?」

「そんなことよりって……」

 とはいえ、悪い話じゃないのは確かだ。むしろいい話すぎて逆にこわいというか。

「貴女はこんやく者からのがれられる。私は好きな女性と親しくなれる。いずれ伯爵家を継ぐ貴女がけつこんできないことは無いでしょうし、今は婚約のために私と手を組んで損はないと思いますよ」

 そう言って手を差し出したイルヴィスは、くやしいほど様になっていた。わずかに細められた目は自信に溢れ、ほおにはいどむような笑いが浮かんでいる。彼に任せてしまえばすべて解決できる、そういう気持ちにさせられる。

 ……だからなおさら、この顔一つで令嬢からマダムまで視線を独りめしそうな男が私を助ける理由がわからなかった。

 こんないい人が本当に存在するとは信じられない。もしや妹に婚約者を取られるような女はぎよしやすいとだまそうとしているのか。まだ私が迷っていることに気付いたイルヴィスは、背中を押すように微笑ほほえんだ。

「先ほども言いましたが、この話を断っても構いませんよ。まあ、わざわざ自分を苦しめるなんて変わったしゆだと思いますが。私にはとてもできません」

「ぜひともご協力をお願いします」

 これ以上なやんでいても仕方ない。どうせ今は最底辺にいる。これ以上不幸になることはそうあるまいし。これはった勢い。そういうことにしよう。


 そうして差し出された手を取った私に、イルヴィスは「明日あした、さっそく会いにいきますね」と会心の笑みを浮かべたのだった。

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