序章 はじまりの夜②

 素直におどろいた。こんな美男子でもそんなことあるんだ。まじまじとその美術品のように整った顔を見つめると、男は困ったように笑って見せた。

「私が愛した女性には婚約者がいたんです。彼女が幸せならばと身を引いたのですが、おもいは捨てられなくて」

「ぜひ妹に見習って欲しいいちさですねえ」

「ふふ、彼女以外の誰かなんて、私には考えられなかったので」

 男が心の底からその女性を愛しているのだと、理解させられる表情だった。そのしゆんかん、私はどうしようもなくみじめになった。どこかで顔も知らぬ女がこんなじように思われている一方、私は婚約者に浮気をされた。まったくもって不公平で、一周回って考えることが徒労に思えてくる。

 酔った勢いでいろいろ話してしまったが、そろそろ現実に戻るころいだろう。

「すみません、今はのろ話を聞ける気分じゃないです」

 しかし、男は断りを入れて立ち上がる私を気に留めることなく、独り言のように続けた。

「ですが、彼女は今苦しんでいます」

 飲みすぎたのだろうか。立ち上がった瞬間眩暈めまいがして、ふらつきかけたところであわてて座りなおす。どうやらすぐにこの場から離れるのは難しそうだ。

 大人しく座りなおして男に視線を向ければ、ぬくようなしんけんな視線が私に向けられていた。

「であれば、もうだまっている理由はありません。今度こそ、彼女を手に入れます」

 顔どころか、名も知れぬ女が酷くうらやましい。私もこんな風に、一途に想われたかった。

 先ほど急に立ち上がったせいか、酒が一気に回ったらしい。自分が無意識のうちに会ったこともない人にしつしていたことに気付いて、寒気がする。他人の幸せも喜べないなんて、まるで妹と同じじゃないか。

だいじようですか? この後はもうお酒をひかえた方がいいと思います」

 まだ眩暈がする頭を押さえていると、空になったグラスのかわりに新しいグラスが新しく差し出された。

「あ、ありがとうございます」

「それにしてもひどい人ですね。自分の話は聞かせておいて、私の話になると立ち去るなんて」

「それは……ごめんなさい」

「失礼。弱っているところに意地悪を言いましたね」

 隣から小さく笑う気配がした。どうやら本当に気にしていないようだ。

「ちょっと腹が立ったといいますか……傷心の女性に想い人の話をするなんて、貴方モテませんよ」

「残念ですが私、こう見えても人間関係には困ってないんですよ」

 こう見えても何も、ものごしやわらかそうなイメージ通りですけど。そういう意味で言ったんじゃないと分かっているはずなのに。けんを売られているのだろうか。

「あー、そうですかそうですか。なら、貴方のこいはすぐにじようじゆしそうでヨカッタデスネー」

「少しは興味があるふりをしてくださいよ」

「貴方は見た目がいいですし、本気を出せばその現在不幸なお相手様なんてすぐに落ちると思いますけど」

「本当にそう思いますか?」

「意外と面倒くさい人ですね……」

 これ、もはや私はからまれているのではないだろうか。私は今からでも立ち去るべきかとなやみながら果実水をあおった。

「実はひとれなんです。気持ちを自覚した頃に彼女がこんやくしてしまったので、そのままえんになってしまいましたが」

「でしたら、まずは会ってお話から始めてください。貴方がどれだけ有名かは分かりませんが、よく知らない男にとつぜん言い寄られて信用する女性は少ないですよ」

「先ほどは上手うまくいくとおっしゃってくださったのに」

「いいえ、女性のコミュニティーを甘く見てはいけませんよ。ある程度おモテでいらっしゃるのなら、間違いなくかげで何かしら言われています。彼女がそれを知っている前提でアプローチした方がいいと思います」

「……ずいぶんとお元気になられましたね」

「ええ、おかげさまで」

 男は不服そうだったけど、おこることはなかった。意外と親しみやすい性格でつい親身になってアドバイスをしてしまったが、これもった勢いにちがいない。

「まあ、気持ちが前を向くのはいいことです。ところで話をもどしますが」

「えっ、まだ私の心の傷を痛めつける気ですか? 貴方本当におモテになるんですよね?」

「心外ですね」

 そう言うと男はいつたん言葉を切り、得意げに笑ってみせた。

「ご両親に私をしようかいしてください」

「────」

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