第19話
ダメだ、やっぱ気になる。小貫さんやはさみ揚げのプライベートが気になって仕方ない。
カノンさんと小貫さんが同じ高校に通っているという事実におれが気づいてしまってから日をまたいだ夕方。おれはこの二十時間、ずっと悶々とし続けていた。
だってしょうがないじゃんっ! ダメだとはわかってるけれど、知ろうと思えば知れる条件がそろってるのにそれを忘れろなんて無理じゃんっ!
「あ、そっか」
原因わかってるじゃん。知れる手段があるのが悪いんだ。カノンさんという手がかりがあるからいけないんだ。手段さえスパッと断ってしまえば手を出しようがなくなる。
「よし、絶交しよ」
えーと、メッセージメッセージ。文面はどうしよっかな。――大きな事務所という後ろ盾があって人気も立場も上のカノンさんに対して怖くて言い出せなかったのですが、実はあなたのセクハラにはとても傷ついていました。もう二度と連絡してこないでください……うん、こんな感じだな。
「伊吹さーん! おじさーん! 紫子ちゃんですよー? お邪魔しちゃいますよー?」
「え、あれ?」
ゲーミングチェアに座ってメッセージアプリをぽちぽちしていると、後ろから澄んだ声で呼びかけられた。呼びかけられたっていうか、ずっと呼びかけられていたのかもしれない。
「何だ、起きてるじゃないですか。何回もピンポン鳴らしたんですけど。てかちゃんと鍵かけましょうよ。相変わらず不用心ですね」
今日もまた、配信前のこの時間に、学校帰りの小貫さんが当たり前のようにおれの部屋に上がり込んできた。そして当たり前のようにマイバッグから食品を取り出し、冷蔵庫に詰め込んでいる。
こんな光景が、どうしようもなく当たり前になってしまったのだ。当たり前の、心安らぐ日常に。
「ごめん、たぶんいろいろ考え込んでて気づかなかったっぽい。でも平日にしてはちょっと遅かった?」
「ん。文化祭近いんで、放課後にも委員会のお仕事がちょっとありまして」
「え、なに。小貫さん、もしかして文化祭の実行委員なんて入ってるの? リア充かよ」
「そうですよ、純君といっしょに。てか純君と同じ委員会になるために、いろいろ手回しして勝手に二人いっしょにぶち込んだんです。彼はホームルーム中とかずっとイヤホンをつけてラクナ動画を見ているので余裕でした」
「うわぁ……」
相変わらずやべぇ奴だ。そんなやべぇ奴に実害を受けていながら不用心でいるおれも大分やべぇ。そんなやべぇおれの配信にやべぇほど夢中で、やべぇ奴にやべぇほど好かれてるはさみ揚げもやっぱやべぇ。
にしても、おれはこの子のことを何も知らないんだな。毎日毎日いっしょにいるっていうのに。
だから、やっぱり知りたいと思う。調べたいと思ってしまう。でもそれはいけないことなんだろう。おじさんのおれが、利害関係だけで繋がっている女子高生に深入りするなんて。いや利害関係っておれが受ける害の比重が大きすぎるんだけれども。
とにかくやっぱり、この気持ちは封印するべきなんだろう。お互い深く立ち入らず、計画遂行のために必要な情報以外は詮索せず。全てが終わったら、繋がりも完全に途切れる。
それでいい。それしかない。
「てか来ます? 文化祭」
「は?」
唐突にポンッと投げられた言葉が意外すぎて、うまく受け取れなかった。ベッドにぽすっと寝転がってマスカット味のパピコを咥えながら、小貫さんは涼しい顔でくつろいでいる。ちなみに、ポンッと投げられたパピコのもう半分に関してはおれもちゃんとキャッチすることができた。
「文化祭ですよ、文化祭。今週末うちの高校であるんですけど誰でも出入り出来ますから。たまには外出でもしてみたらどうです?」
「……マジ?」
「マジですよ。それに、私の好きな人のことも気になるでしょう? 伊吹さんにとっても特別な存在みたいですし」
「え、じゃあおれがはさみ揚げの様子を見に行っていいってこと? ホントに? それって、君にとってリスクがあると思うんだけれど……」
おれが自分がラクナであることをバラしてしまうかもしれない。意図しない形でバレてしまうことだってあり得ないとは言い切れない。
それに、正直この作戦を遂行していくうえで、小貫さん側にもおれに伏せている情報があったりするもんなんじゃないだろうか。だっておれだってカノンさんが小貫さんと同じ高校に通っていることを知っていながら黙っている。小貫さん的に、おれに知られたら不都合な情報、この契約関係における自分の立場を不利に傾かせかねない弱みは、隠したいに決まっている。
それなのに、小貫さんは自分の学校での姿をおれに晒そうとしている。そもそも始めからここに制服のまま来ているくらいなのだ。元から情報をおれに隠そうなんてしていなかった。
何で?
自信があるからなのかもしれない。弱みに繋がるような情報なんてどこにもないと確信しているのかもしれない。余裕なのだ。
でももし、そうじゃなかったら? そうじゃないとするなら、この子は単に……、
「……おれを、信頼してくれてるってこと?」
「違いますよ」
「違うのかよ……」
即答かよ。ひどい。ちょっと感動しちゃってたおれの気持ちは何だったんだ。
そんな風に落ち込むおれを見て、しかし小貫さんは「うふふ」と悪戯っぽく微笑み、
「はい。信頼も信用もしていません。結構ぽんこつだから悪気なく純君の前で墓穴を掘る可能性もありそうですし、私の弱みとなる情報を探そうとしてくる可能性だって、まぁ私は全否定出来ないと思っていますよ」
「うぅ……意地悪な笑みで的確なことを……」
まぁ本当は、もうそんな動機、おれにはこれっぽっちもないんだけれど。
おれが君の学校生活を見たいたった一つの理由は、ただただ君のことをもっと知りたいという、どこまでも気持ちの悪い感情だけなんだ。それを気づかれていなくて本当によかった。
「でも、もっと知ってもらいたいんですもん、伊吹さんに、私のこと」
「え……?」
その美少女は、ベッドにリラックスした様子で横たわったまま、しかし真っすぐとおれのことを見つめていた。
優しく強く美しい瞳に、おれの心臓は鷲掴みされてしまう。
「うふふ、何ですか、そんなにキョトンとして。私、そんな変なこと言っていますか?」
「い、いや」
「もうずっと一緒にいるじゃないですか、私達。もうとっくに、ただの契約上の関係じゃありません。運命共同体だってこの前も言ったじゃないですか。計画とか全部抜きにして、私はこの何の意味のない時間、結構好きなんですよ? 大事にしたいなって、思っちゃってます。だから、もっと私のことを知ってほしいし、私も伊吹さんのことが知りたいんです」
「…………っ」
「ダメ……でしょうか……?」
ずっと、今日だけでなく出会ってからずっと余裕そうだった小貫さんの瞳が、今初めて不安に揺れたように見えた。おれを見上げてくるそれは、どこか潤んでいるようにも見えて。
おれと、同じだ。
お互いのことをもっと知り合いたいと望んでしまっていたことも、そんな欲求を伝えることに大きな不安を感じていたことも。
だから。
「ダメなわけ、ないじゃん。おれだって小貫さんのこともっとたくさん知りたいよ」
「…………――――あはっ、やっと素直になってくれましたー♪ やっぱ女子高生大好きなんじゃないですかー、おじさん♪」
「茶化さないでよ、こっちだって恥ずかしいんだからさ!」
頬を染めた小貫さんのわかりやすい照れ隠しに、なぜだか胸がホッとした。彼女はたぶん、前よりも素を見せてくれるようになった。
おれも小貫さんの前でなら、ガワなんてなくても、おれのままでいていいのかもしれない――そんな下らない考えがどうしようもなく頭をよぎってしまう。
「……あと、前言撤回する感じになっちゃうんだけれど、おれのことできるだけおじさんじゃなくて名前で呼んでほしいかも。まぁおじさんなのは事実なんだけど」
さすがに目を見ては伝えられなかったけれど、小貫さんは「あはっ」っと笑って頷いてくれた。
「うふふ、じゃあ、伊吹さん。伊吹さんのお話、もっと私に聞かせてください!」
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