第6話

 一晩考えてみた結果、やっぱり紫子さんはラクナではないという結論に僕は達していた。

 だってそんなわけないじゃん! 好きなVTuberの中身が同級生の女の子だったなんて、そんな偶然あってたまるか!

 そして何より……ラクナはおじさんなんだ! おじさん! こんな美少女なわけがない! ラクナは美少女だけど美少女であってはならないんだ!

「どうしたんですか、純君。お茶がこぼれてしまいますので机に拳を叩きつけないでほしいのですが」

「あ、ごめん、紫子さん……」

 お昼休み。僕とこんな美少女こと紫子さんは空き教室で昼食をとりながら、文化祭実行委員のお仕事をしていた。

 といっても、有志発表のスケジュールがどうとかいう情報は僕の頭に全く入ってこない。全ての意識を目の前にいるこんな美少女に持っていかれていた。

「紫子さんって……」

「はい。何でしょう?」

「紫子さんって、めちゃくちゃ可愛いよね……」

「ふぇ……!?」

 こうやってまじまじと観察してみて、改めて思うのだ。ストレートのセミロングはサラサラで、小さな丸顔に大きな両目、鼻も口もバランスよく配置されているし、シミ一つない肌と相まってお人形みたいだ。そしてシミがないからこそ際立つのが口元に一つだけある小さなホクロ。決して強く主張しているわけではないのに、目を奪われるような存在感がある。ありていに言えばおエロい。

 それなのに昨日は何でこのおエロさを意識しないでいられたんだろう。いくら僕が紫子さんのおっぱいばかり見ていたからといって、昨日は二時間も一緒にいたのだ。さすがに一度も顔を直視しないということは――あ、そうか。

 何てことはない。昨日の紫子さんはずっとマスクをしていたんだった。病み上がりだったから。

 そっか、そっか、そういえば一昨日は風邪で休んでたんだったよな…………

 いやそれラクナやん……。

 ラクナも一昨日、風邪で配信休んだやん。そんな偶然ある? 別の人間が同じ日に風邪ひくとかあり得ないやん……いやそれは普通にあるか。

 いやいやでもさすがにこんなタイミングで……。

「ん? どうかした、紫子さん」

 ぐちゃぐちゃと考えを巡らせつつ紫子さんの方を見やると、彼女は眼を見開いて口を両手でちょこんと押さえていた。

「あ……あ……純君、私のこと可愛いって……」

「あ、ああ、うん。ごめんね、急に変なこと言っちゃって」

 思わず口に出していたみたいだ。そりゃ驚くよな、振られたはずの男からそんなこと言われたら。まぁでも僕にとって顔の可愛さが直接「付き合いたい」に繋がることはないから……。非処女率が上がるだけだし。

 それはそれとして、男子に可愛いと言われたときの反応として、紫子さんの仕草・表情は完璧だ。言った方がドキドキさせられてしまう。あざとすぎるきらいもあるけど、これはこれでラクナとはまた違った良さがある。

「あっ」

 それなのに何故か紫子さんは急に何かに気づいたように口元から手を離す。そして両目を見開いたまま顔を赤く染めて、今度は口もぽっかりと開け放っていた。

 うん、その表情も可愛い。驚きの表情として百点だ。でもそれは驚いた瞬間に浮かべるものであって、一度他の驚きのリアクションをしてから改めて浮かべ直すものではないと思う。

 紫子さんの変わった一面を覗き込んでしまった気分だ……。

「あ、ごめんなさい、私ったら……。純君に大好きと言われて、ついはしたない顔を……」

 そう言って紫子さんは恥ずかしそうに顔を伏せる。別にはしたなくなんてないのに。あと大好きとは言ってない。

 まぁ変なところもあるけど、今、改めて一つ思ったことがある。

 紫子さんの雰囲気は、どこかラクナに似ている……ときがある。

 昨日から紫子さんの表情を見ていて、ラクナと共通するものを感じていた。

 まぁラクナという2Dアバターの表情は当然人為的に作られたものなのだから、似ていたところで何だという話とも言える。でも逆に言えば、自分と似た表情になるよう発注することだってできるわけで……。

 とにかく、どうしてもラクナと紫子さん、二つの存在を切り離すことができない。あまりにも類似点が多いように思えて仕方がない。

 いやしかし。似ていないところだってある。似ていないどころか真逆だ。例えば、

「紫子さんってめちゃくちゃ巨乳だよね……」

「ふぇ……!?」

 またもや目を見開き、口を両手で押さえる紫子さん。ちなみにラクナは2Dモデルなので手で口を押えるという動きはできない。しかし胸を揺らすことなら可能なはずだ。はずなのだが、揺れない。ラクナの胸は揺れない。なぜなら揺れるほど大きくないから!

 だのに紫子さんのお胸は揺れるのだ。体育のときとか、それはもうユサユサと。

 ただ、胸の大小が一致していないということが、無条件で『ラクナ=紫子さん』説を崩す反証になるわけではない。

 むしろ、説の立証を後押しすることにすらなり得る。

「紫子さんは自分のおっぱいが大きいことに優越感を抱いたりしてる? 自慢のおっぱいだと思ってる?」

「突然何を言い出すんですか!?」

 目を充血させて立ち上がる紫子さん。うん、こんな表情はラクナにはない。

 しかし紫子さんはハッと我に返ったようにいそいそと座りなおし、そして口に片手を当てて俯き、何か考えをまとめるかのようにぶつぶつと呟いた後、

「い、いや実はですね……自慢どころか、私はこの胸にコンプレックスを感じていまして……」

「…………!」

 弱々しく語られ始めたその悩みに、僕は息を呑む。

「何というか、あまり性的に見られたくないと申しますか……正直、男の子たちにチヤホヤされたい気持ちはとてもあります。可愛いと言っていただけることが、舞い上がってしまうほど嬉しいです。でも、エッチな目で見られてしまうのはちょっと……。好きな男の子と付き合うことが出来ても、友達同士のような気楽な関係を築けるのが理想なんですよね」

「なん、だって……」

 それはまるで、ラクナとラクナーの関係のようで。

「だから、もし理想通りの自分を作れるのだとしたら、胸だけは絶対小さくしてやりますね!」

「…………っ!!」

 ついに……ついに辻褄が合ってしまった……。

 いくらお淑やかに振る舞っていてもコケティッシュおビンビンな紫子さんと、たまにおじさんらしい下ネタトークに入っても性を感じさせないラクナ。ありていに言えば、紫子さんではシコりうる(ていうかシコったことある)が、ラクナでは絶対シコらない(結婚はする)。そこには確かな断絶があった。

 だが、その断絶は、紫子さんとラクナの繋がりを否定するものではなかった。正反対だからこそ、紫子さんは奈落野ラクナという姿にそれを求めたのだ。

 繋がった……繋がってしまった……僕は真実にたどり着いてしまったのかもしれない……!

「……そうか、そうだよね。おっぱい大きいと重くて大変だっていうもんね」

「はい! 肩も凝ってしまいますし。はぁ……まっ平らな女子高生はいいなぁ……貧乳に憧れちゃうなぁ……」

「……楽な……」

「え……っ!? え、え、え、な、なななな何故それを……っ!?」

「楽なブラジャーがあればいいのにね……胸の大きな女性の負担を軽減するさ、楽なやつが。そう、楽な、ね……」

「あ、あ、ああ! 楽な、ですよねっ! ええ、分かっていましたよっ! 楽なブラジャーいいですよねっ! 欲しいですよねっ! ええ、ええ、分かっていましたとも! 私は決して、楽なを聞き間違えたりなんてしていませんものっ! ら、楽なっていうのは『楽だ』という形容動詞の連体形以外の何ものでもありませんっ! 完璧に理解していますっ! 私、現代文は得意なんですからっ! なはははーっ!」

 ああ……。

 確定だ。確定してしまった。

 僕の華麗なカマかけに、まんまと引っかかってしまった紫子さん。目を泳がせまくり、手をわたわたと宙にさまよわせて、あからさますぎるくらいに狼狽えている。

 そうだったんだ。そうだったんだね。紫子さんも運が悪かった。僕じゃなければ、こんな僅かなヒントで答えにはたどり着けなかっただろう。

 でも、この僕は全てを解き明かしてしまった。

 紫子さん、君は……、

「――君が、奈落野ラクナだったんだね……」

 目の前の美少女をしっかりと見つめて、僕ははっきりとそう告げた。

「…………っ、そ、それは……わ、私は……っ」

 顔を真っ青にして小刻みに震える少女から、それでも僕は視線を外さない。

 意地が悪いだろうか。それでも、気づかないフリなんて僕にはできない。

「紫子さん……」

「わ、わ、私は……――ご、ごめんなさいっ!」

「あっ……」

 紫子さんは突然立ち上がり、逃げるように教室から走り去ってしまった。

 その行動はもはや、答え合わせでしかなく。

 机に残された涙の粒を見つめて、僕はこの衝撃的な事実とどう向き合うべきかを考え続けた。

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