人気バ美肉おじさんVTuberの正体が実は本物の美少女だと僕だけが知っている

アーブ・ナイガン(訳 能見杉太)

第1話

『あ、ラク鍋定食さん、スパチャありがとーっ』

 スマホの中で2Dのセーラー服美少女――奈落野ならくのラクナが僕たち視聴者に微笑みかけてくる。

 可憐だ……とろける程に高くて可愛らしい声、なのに不思議とあざとさを感じさせない、からっとした雰囲気……ラクナが素のままで話しているのが伝わってきて、たわいもない雑談なのに、ニヤニヤしながら見入ってしまう。

 僕は世界史の宿題も放って、自室のベッドで一人、人気バーチャルユーチューバーの生配信に夢中になっていた。十九時から二十一時、毎日の日課である。

「それにしてもこのラク鍋定食とかいう意味不明な名前の厄介オタ……ラクナに投げ銭するのはいいけど、キモいコメント添えてんじゃねーよ」

 たぶん童貞のおっさんなのだろう。金にもの言わせてラクナに迷惑かけやがって。確かにラクナは積極的に視聴者のコメントを拾って会話広げていくタイプではあるけど、だからこそ僕たち視聴者は配信の妨げにならないようなコメントを心掛けなければならないと思う。自分勝手に感情をぶつけてんじゃねーよ。VTuberはキャバクラじゃねーんだぞ。

 ほら、ラクナもお前のキモコメに気づいて困惑してんだろ。うーん、困り顔も可愛い。眉の下がり具合とか相変わらず最高のモデリングである。

『えー……いや、あのさぁ。結婚してとか……だからおれ、おじさんだって言ってるじゃんかっ。え、いや何でみんなで「結婚」連投し始めてんのさっ! この流れ毎回繰り返す気かよぉーっ。もー、君らもみんなおじさんかお兄さんでしょーっ? ……は? おじさんじゃなきゃ嫌だとか……キモいっ! 相変わらずキモすぎだって! 君たちどんだけおれのこと好きなんだよーっ。なはははーっ』

 やべぇ……やべぇよ……可愛すぎんだろ……。僕たちのセクハラ発言を戸惑いながらも可憐に受け入れ、最後にはその特徴的な笑い声でキュンとさせてくる。ちなみに「おじさんじゃなきゃ嫌だ」は僕が書き込んだ。

 そう、おじさんなのだ。僕が大好きな、大人気美少女VTuber、奈落野ラクナは、おじさんなのである。

 美少女なのにおじさんとは此れ如何に……とは僕も初めてラクナを知ったときに思ったことだ。しかし説明されれば簡単なこと――2D・3Dキャラクターの動画配信者の裏にはもちろん彼女らを演じる生身の人間がいるわけで、ラクナの場合、その「中の人」が成人男性――おじさんなのである。

 おじさんなのである。おじさんなのである、マジで。この、黒髪ワンサイドアップのあどけない美少女の正体が、おじさんなのである。

 バーチャル美少女受肉、略してバ美肉なんて呼ばれているらしいこの奇妙な活動形態も、VTuberファンの間ではすっかり一つのジャンルとして受け入れらているわけだが、そんな裏を返せば大激戦区の業界の中で二年間も高い人気を誇り続けているのが、この奈落野ラクナというおじさんなのだ。

 何度も言うが、おじさんなのだマジで。

 にわかには信じがたいが、だって本人が言ってるんだもん、自分はおじさんだって。それにラクナ最大の魅力の一つであるこの愛らしい声も、ボイスチェンジャーで加工されたものなのだろう。意識して聞き取ろうとしなければまず気にならない程度だが、確かにノイズのような違和感が混じっているような気もするし、何より本人がボイチェンを使っていると明言しているのだ。

 つまり、ラクナがどれだけ可愛かろうと、ラクナがどれだけコスメに詳しかろうと、ラクナの振る舞いからどれだけ女子力が溢れていようと、やっぱりラクナは紛れもなくおじさんなのだ。

 それに、配信活動で人気を得たいのであれば、可愛い女子がわざわざおじさんを騙る理由が全くないわけだし……いや、逆に「どう見ても美少女なのに実はおじさん」という希少性を狙った嘘という線も……いやいや、そんなわけがない。そもそもラクナほどの魅力があれば、奇抜さを狙ったキャラ付けなど全く必要がないのだから。素のままでいてくれればいいし、僕たちは素のままのラクナが見たいのだ。

 そう、僕は別にラクナに付いている『美少女おじさん』という記号が好きなわけではない。ギャップが面白いとか好奇心をくすぐられるとか――最初はそういう要素に惹かれて足を踏み入れたのも事実だ。でも、今はただただ単純に「大好きなラクナがおじさんだったから、おじさんのラクナが大好き」なのであって、ラクナがおじさんである以上、ラクナはおじさんでなければダメなのだ。

 うん、哲学すぎて何を言ってるのか自分でもよくわからないが、とにかく今日も大人気バ美肉おじさんVTuber――奈落野ラクナの配信は最高だった。


      *


 ダメだ……ラクナ成分が……美少女おじさん成分が枯渇する……早く、早く帰らないと……。

 都立志徳高校二年B組の教室。時刻は十六時。机に突っ伏したまま午後の授業を聞き流してしまった僕だったが、終礼を迎えて何とか体に鞭打ち立ち上がる。

 もう少しだ、もう少しでラクナに会える……! 十九時の配信開始にはまだ時間があるけど、それまでは過去配信のアーカイブや歌ってみた動画でラクナ汁を補充して生き長らえよう……!

「でも、ラクナ大丈夫かな……」

 僕だって、なにも毎日午後が来る度に倒れてるわけではない。今日こうやって飢え死にしそうになっているのは、昨夜のラクナの生配信が急遽お休みになってしまったからだ。風邪をひいてしまったとラクナは謝罪ツイートをしていた。謝る必要なんてないのに……。

 というわけで四十時間以上もラクナと会えなくて死にそうな僕だったが、そんなことよりもラクナの体調が心配だった。今日は通常通り十九時から配信するようだが、彼女のことだから僕たちのことを考えて無理しているのではないだろうか。

 おじさん(美少女)の身体は強くないんだから、おじさん(おじさん)たちの精神状態のことなんて気にしなくていいのに……。

 まぁでもラクナがやると言っているのだから、僕たちは見守るしかないのだろう。それでも彼女が辛そうであれば、コメントで配信中止を促したりすればいい。数秒だけでも彼女の声が聞ければ、僕たちの心なんて完全に癒されてしまうのだから。

 そうと決まればさっさと帰って本番に備えよう。ラクナへの労いコメントを数パターン用意しておいて、彼女のコンディションに応じてベストタイミングで繰り出せるようにしておかなければならない。

 さぁ、どの歌動画を聴きながら作業しようか、と考えながら、教室を出ようとしたときだった。

「あ、純君。待ってください」

 後ろから清らかな声で呼び止められたのは。

 え、純って僕だよな? 学校で下の名前呼ばれることなんてないから自信が持てん……いやまぁ、僕だよな。このクラスにジュンってたぶん僕しかいないし。それに、この声の主は間違いなく……、

紫子ゆかりこさ、あ、こ、小貫こぬきさん……。僕に何か用?」

「うふふ、何で言い直したんですか? 紫子でいいですよ、もぉ、私達クラスメイトじゃないですか、純君♪」

 振り向くと、キョドる陰キャこと僕に向かって、巨乳の黒髪セミロング美女子高生が微笑みかけていた。クラスメイトを説明するために出てくる言葉がまず巨乳なあたり、僕の僕たる所以である。

 小貫紫子さん。お淑やかな印象をまとう大和撫子で――とか、無理して内面的な印象を語ろうと思っても、やっぱりその程よく肉感的なお体の方にばかり目がいってしまう。さすがに普段であればエロだけじゃなく、ちゃんと口元のエロ印象的なホクロにも注目しているところなのだが、今日の彼女は何故かマスクでお顔の下半分以上を覆っているので拝むことができなかった。これはこれで何かおエロい。

 とはいえ、リアル異性に(勝手に)幻滅気味の僕が、いくらおエロ淑やかといっても現実の女性に対してこんなに意識をビンビンにさせてしまうことは、本来ならばあり得ない。

 紫子さんはたった一人の例外なのだ。

 僕が紫子さんを好きだから、ではなく、紫子さんが僕のことを好きだからである。いや、マジだ。マジである。半年前の、ある春の日。僕は紫子さんに愛の告白をされ――そして断った。振った。この陰キャの僕が、学校中の男子の憧れであるこの美少女を。

 別に彼女のことが嫌いなわけじゃない。ていうか大して話したこともないので嫌いになる理由がない。僕にとっての紫子さんはただただ可愛すぎる女の子だ。

 だからこそ、なのだ。現実で可愛すぎる女子とか、ある意味僕が最もお付き合いしたくない人間だ。

 だって、絶対非処女だし。

 こんなこと口に出しては言えないが、僕は男性経験のある女性を絶対に恋人にはしたくないのだ。特に何かそういう系のトラウマがあるとかではなく、言ってみれば僕はそういう人間なのだ。絶対に処女がいいのだ……! 少しでも非処女の可能性がある女性は嫌なのだ……!

 そうだっ! こんな清楚っぽい巨乳JKなんて、あんなことやこんなことを経験しまくりに違いないんだ! いろんなハイスぺ男と付き合ってきたからこそ、「たまには地味なタイプも試してみるか」という発想が生まれるのだ! 美少女が陰キャを好きになる可能性はあっても、美処女が陰キャを好きになることはない!

 だから僕は一生美女とは付き合えない。それでいい。それでいいのだ。

 彼女に罪はないが、それでも僕の判断は正しかった! 後悔なんてない! 付き合ったところで、元カレの経験豊富チャラ男大学生と比べられて惨めな思いをさせられるだけなんだ!

 決して酸っぱい巨峰とかではない。酸っぱいシャインマスカットでもない。ブランド葡萄は厳格に糖度管理されているから酸っぱい巨峰とかシャインマスカットなんて存在しない!(ってラクナが配信で言ってた。)

 それに対してラクナは……っ、ラクナは絶対に処女なんだ……! なぜなら彼女にはそういう穴も膜もないのだから……! あるのはパンパンに張った甘い巨峰とシャインマスカットだから……きっと皮までおいしく食べられるはずだから……それでいて何故か種はない……生殖的な欲求を感じさせない、純真な美しさがあるのだ。

 そう、美少女おじさんは絶対僕らを裏切らないんだ!

『おじさんという属性が好きなわけじゃない』という哲学がさっそく崩れそうだが、だって大ちゅきなんだもん、おじさんのラクナが。

「純君? 純くーん、聞こえていますかー?」

「はぅ!?」

 気づくと、小さなお顔が上目遣いで超至近距離にあった。おっぱいが当たりそうだった。

「ご、ごめん、紫子さん。ちょっと中東問題について果てしなく考えを巡らせていて……」

「シャインマスカットって中東で採れるんでしたっけ」

 やべぇ、けっこう口に出てたみたいだ。まぁさすがにホントにやべぇ内容までは漏れてないだろう。聞かれてたとしたらもう既に通報されてるはずだし。こんなに綺麗なお目目で見つめられてるわけがないし。

 つまりまだ誤魔化せる。切り抜けられる。

「そうそう山梨が中部地方ヅラしたり関東ヅラしたりするのを学会では中東問題と呼ぶんだけど、」

「そうなんですか。その話には興味ないですけれど、クラスメイトがその話に興味持ってることには興味あるので後でじっくり聞かせてください。そんなことよりも純君、今はほら、急がないと遅れてしまいます」

「え、何が? 何に?」

「もうっ、文化祭実行委員会のお仕事ですよ。今日の放課後から集まりがあるって言われてたじゃないですか」

「えっ」

 文化祭、実行委員会……の、集まり……だって……?

「僕、文実に入ってたの……?」

「はぁ、やっぱり把握していませんでしたか」紫子さんは困り眉を作り、ぷくっと頬を膨らませ、「私達二人がこのクラスの文実です。ダメですよ、純君。ホームルーム中いっつもイヤホン付けてスマホ凝視しているからそうなるんですっ」

「うぐぅ……」

 何も言い返せない……。教師に咎められにくいロングホームルーム中などはラクナ動画を見て過ごしてきたことが、こんなところで弊害を……。

 抜かった……。うちの文実って結構忙しいらしいから、黙ってる間に押し付けられたのか……。昼休みとかならともかく、放課後に予定が入るのはラクナーとして完全NGなのに……!

「あ、あの、紫子さん。ごめん、実は僕、放課後はいつも早く帰らなきゃいけない用があって……」

「それは私だって同じですよ。絶対に十九時には間に合わせなければいけません。だから二人で迅速に働いて、出来るだけ早く上がれるようにすればいいじゃないですか」

「う、うーん、そうだけど……」

「――あ! ……い、いや、違いますよ!? 私のは別に変な用事とかではなくてですね、十九時っていうのは、夕ご飯の時間でして、その……あの、その、ごほっ、ごほっ」

 何も聞いていないのに、なぜか勝手に慌て出す紫子さん。そんな言い訳がましい口調をされたらこっちだって気になっちゃうのだが、途中で苦しげに咳き込み始めたので、結局追及するわけにもいかなくなってしまう。

「風邪? あー、そういえば紫子さん昨日休みだったっけ。大丈夫?」

 正直、昨日今日はラクナの体調のことが心配で周りのことなんて気にしてる余裕はなかったのだが、紫子さんのことなので辛うじて意識に残っていた。

「はい、もうほとんど治っていますので……そ、そんなことより早く行きましょうっ?」

 紫子さんに手を引かれ、僕は教室を出た。数年ぶりに触れた女の子の肌はすべすべだった。ラクナにも触れられたらいいのに。女の子じゃないけど。

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