第四幕:圷砦と殺生石⑥

   三



 天晴が圷砦に戻った頃には、酷い有様だった。

「何が起きた?」

 泰虎勢の陣営に泰虎の姿がないことに気付き、手近な者を締め上げて聞いた。すると、泰虎は数人で圷砦へ攻めたことが分かり、急いで引き返してきたのだが手遅れだった。

 燃え上がる町は暗くなった空を煌々と赤く照らし、今やその炎は天守閣にまで燃え移っている。

 自身の判断ミスに腹が立つ。

「絶よ。無事でいろよ」

 言葉に出して、自らにも喝を入れると道へと踏み出す。

 敵の姿は見えない。あるのは無残な亡骸だけ。

 すると、視界の端に動く影を捉える。

 その影も天晴に気付いたようで立ち止まり、壁にもたれかかるように崩れ落ちる。

「お前は……?」

 訝しげな表情の人物を天晴は見たことはない。しかし、その出で立ちから、何となく想像できた。

 泰虎だ。

「返り討ちにあった……と言う感じでもないな」

 鎧の色が分からなくなるほど、全身を斬りつけられ、血を流す姿は、異様な光景だ。

 何かがおかしい。違和感がある。

 さらに一歩、歩み寄ろうと踏み出した時だ。

 背筋に悪寒が走る。

 何をするよりも先に、体が迫る危機に対して勝手に動いていた。

 無意識で手に持つ無明を構える。

 同時に、金属がぶつかる音。そして、無明の鞘に伝わる強烈な衝撃。

 足が宙に浮きかけるが、何とか踏み止まれた。

「ヒヒッ。よく受けたな! かなり遠くから、踏み込んだんだが」

 無明の鞘は、五尺ほどもあろうかという大刀の刃を受け止めていた。そのことに、狂四郎は目を輝かせて歓喜する。

 狂四郎はどこかに潜んでいたのではなく、天晴の警戒する意識の外側から飛んできた。

 それはかなりの距離を一気に縮めて飛び掛かってきたことになる。目前の優男にそのような膂力があるのか。大刀から鞘に伝わってくる力を考えると、可である。

「お前、烏夜衆か?」

「いかにも、俺は首狩り狂四郎。貴様も名乗れ」

「俺は、用心棒の天晴だ!」

 受け止める刃を押し返そうと天晴は力を込めるが、逆に押し込まれていく。

「用心棒……なるほど、お前がキツネの護衛だな。空蝉や玄斎を討った用心棒。これは僥倖。泰虎では手応えがなく、暇しておったところだ」

「お前ら、仲間ではないのか」

「まぁ、いろいろと事情があるのよ」

 刃がもうすぐ天晴の首筋に届きそうな時、天晴は膝で狂四郎の胴を蹴り上げると、身を下に滑り込ませながら相手の力を利用して後方へ投げ飛ばした。

 宙で身を捻り、軽快に着地する狂四郎には、さほどダメージを受けている様子はない。

 嬉しそうに笑む彼の左の顔に怪物の手で掴まれたような黒い痣が浮かび上がったかと思うと、纏う雰囲気が一層黒く、重くなる。

「呪式陰妖紋……か?」

 紋によって肉体の強化や付随効果を得る邪法である。

「良い紋だろう? ジジ様が組んだ最高傑作よ!」

 踏み込む彼は先ほどよりも速度が上がっている。まるで空を滑るような動きは、人の技とは思えない。そして、容赦なく打ち込まれる斬撃もより重たくなった。加えて、息もつかせぬ連撃だ。

 さすがの天晴も鞘で受け止めるのがやっとだった。

(誠に人間か? 動きも力も人間離れしている)

 豪刹などのような目に見える強化をしていない優男なのに、天晴を超越した身体能力に見たことのない動き。未知数すぎる狂四郎に心の中で舌打ちをした。

 ただ、驚いているのは天晴だけではない。狂四郎もまた、自分の攻撃をことごとく叩き落とされ、受け止められることに感激していた。

 ヒヒヒッと奇妙な笑いが、彼の口から漏れてくる。

 ジリ貧だ。

 狂四郎の不快な笑い声を聞きながら天晴は背中に冷たい汗を掻く。

 確かにまだ狂四郎の動き、攻撃は目で追えているが、鞘で防御するのがやっと。刀を引き抜く、僅か一拍の猶予すら、与えてはくれない。

「受けてばかりでは、倒せないぞ。そのご自慢の刀を抜いたらどうだ?」

 事情を把握している狂四郎は細い目をさらに細め、喜悦に満ちた表情で声をかける。これだけ激しく動きながらも、彼の息は全く上がっていない。

 引き抜こうとした瞬間に、その隙を突かれてズバリ。

 そうなることは分かり切っているが、天晴は不敵な笑みを消さず、何気ない様子で言った。

「確かに、そろそろ攻撃しようかね。受けるのも厭きてきた」

 そう言うやいなや、狂四郎の大刀を受け止めた衝撃で、鞘の峰側が縦に割れた。

「は?」

 狂四郎が初めて虚を付かれて目を剥き、間抜けな声を上げる。

 金属製で頑強に造られた鞘がそのように割れたりするはずがない。つまり、最初からそういう仕掛けが施されているのだ。

 刀には、あえて鞘を壊れやすくすることで、戦闘時に鞘から引き抜く手間を省略する物もある。その特徴を応用したのが、無明の鞘だった。

 留め金を外し、衝撃を加えると縦に割れて刀を出せる。

 刀を引き抜く一拍が無いのなら、その一拍すら省略すればよい。

 天晴は、刀をそのまま狂四郎の胴へ横一文字。

 一閃に避けることも敵わず、狂四郎の体は吹き飛び、燃え盛る家へと突っ込んだ。

(胴を切断するつもりだったが……)

 妙な手応えに訝しみながらも、あの一撃で致命傷を与えた自信はある。

 例え生きていたとしても、しばらくは復帰できずに焼け死ぬだろう。

 天晴は腑に落ちないこともあったが、狂四郎から意識を泰虎へと変えた。

「お前が絶の護衛か?」

「おう、厄介なことに巻き込まれた」

 ゆっくり近づく天晴を、泰虎は不思議と静かな目で見ている。

「絶はよい護衛を付けたな」

「俺もそう思う。誠に運が良い奴だ」

「人との出会いは、その者の積んできた徳が引き合わせる。昔、父に言われたものだ」

 そう言うと、泰虎は目を閉じ、刀を天晴の足元へ投げ捨てる。

「それよりも、先ほどは何が起きていた?」

「見ての通り、飼い犬と思っていた者に噛みつかれた」

「裏切り。これが、義兄弟を闇討ちした者の末路、か」

 天晴の発言に、息も絶え絶えであった泰虎は「馬鹿にするな」と声を張り上げる。

「烏夜衆という下種共の甘言に惑わされ、藩を乱し、外道に落ちようとも、この泰虎。腐っても五百旗正嗣の子よ。義兄弟を闇討ちするような卑怯な真似は断じていたさぬ」

 その目には怒りで鋭さが戻っていた。それを見て、天晴は納得する。今まであった違和感。絶から聞く泰虎像と、世間の評判が異なっている。それが本人を前にして分かった。

「だが所詮は俺も、利用された人間よ」

「烏夜衆にか?」

「烏夜衆と叔父上だ」

「何?」

 意表を突かれた。

「秀嗣殿がなんだ?」

「烏夜衆は最初から叔父上と組んでおったのだ。俺はまんまと踊らされたわけよ」

「それを信じろ、と?」

「別に信じなくても構わない。俺自身、狂四郎に襲われてもまだ信じられない」

 瀕死の泰虎は諦めたような穏やかな顔で自嘲する。天晴もそんな話は信じられないが、それでも頭の中の違和感を整理して、ふう、と嘆息する。

「『世の中は声の大きい者の言葉が真実となる』か」

 誰の声が大きいのだろう。世間は誰の声を信じるだろうか。この戦いで泰虎が討たれれば、内乱は終わり、人々は秀嗣を称える。藩主に就くことだろう。仮に扇喜から正代が戻っても、藩の者たちは彼を支持するだろう。藩の一大事を救った英雄なのだから。

「なんと小賢しいことを……。待て、では絶は?」

「さぁな。だが、共に来た白面衆が突然、裏の山へと向かったと狂四郎が言っていたな」

「白面……?」

「千冥と言う怪僧が生み出した化け物どもよ」

 そうか、と踵を返す天晴に泰虎は呼び止める。

「俺の首は取らんのか?」

「お前の首を取っても何にもならん。誰が当主になろうと興味もない」

 秀嗣を信じ、絶を置いて行った自分の間抜けさに苛立ちを覚えながら、天晴は吐き捨てると燃える町を駆けていく。

 それを見送る泰虎は大きく息を吐き、目を閉じる。

 自分の行動の愚かさ、心の弱さに笑いが出るも、後悔はない。自分で決めたことだ。

 燃え盛る家が瓦解する音に目を開けると、炎の中より狂四郎が現れる。

「やられた~。まさかここまでやる奴がいるとは。ん? 天晴はいないのか……」

 不服そうに舌打ちをする狂四郎の目が泰虎に向く。

「まぁ、こっちを先に終わらせとくか」

 刺すような視線は泰虎の心臓を射抜きそうなほど。だが、不思議と震えはない。ふらつきながらも立ち上がり、投げ捨てた刀を手に構えた。

「このような終わり方も良い。やはり武士たるもの、戦って死ぬのが本望」

 その強がりに、狂四郎は歯を見せて笑った。

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