第四幕:圷砦と殺生石②
☆ ★ ☆
「天晴~? 天晴? どこに行きおったのだ」
またしても姿の見えない護衛に呆れながら絶は声を上げる。
廃寺にて天晴と出会い、いろいろなことがあった。付き合い自体は短いが、今では彼が側にいないと落ち着かない。
秀嗣との謁見も終わり、若干ではあるが気も楽になった絶は城内広場を散策する。物々しい雰囲気を除けば、幼い頃に来たままであり、懐かしさと物寂しさが湧いてくる。
「絶様!」
呼ばれて振り向けば、錬が駆け寄ってくる。
「どうしてお一人で動かれるのですか!」
可愛らしく怒る錬に、絶は鼻を鳴らす。
「何を言うておる。ここは圷砦。この篁で最も安全な場所であるぞ。危険など、そうそうに起こらぬ」
「そうかもしれませんが、せめて私といてください」
「そなたがおっても仕方がなかろう」
仮にその辺りにいるサムライに襲われても、錬では壁にすらならないだろう。
万が一のことを考えれば、やはり律か……。
そこまで考えて、絶は大きくため息を吐く。
「そなたですらわしを気遣い、こうしてそばに控えてくれておると言うに、当の護衛が護衛をしておらぬ。まったく自由気ままに動きおって」
「……天晴さんのことですか」
「どうせ女の尻でも追いかけておるに違いない」
「そんな方でしたっけ?」
「あやつはそういう奴だ。現に、そなたにはやけに優しくするであろう?」
「えー、そうですか? 絶様への対応と変わらないかと」
「全然、違う! もう表情が違っておる。この間、二人で話しておっただろ」
不愉快とばかりに顔を顰める絶の勢いが止まらない。
「あー。傷によく効く軟膏があるって話ですかね?」
「内容はよく知らんが、その時のあやつの顔見たか? ニヤケ過ぎて見てられんぞ」
「確かに笑ってましたけど、そこまでですかね?」
錬は思い出しながらも言われるような感じではなかったと小首を傾げるが、絶はあからさまに「はぁ~」とため息。
「分かっておらぬな。それに、先ほど饅頭を配っておったろ。一番先にそなたに渡しておった」
「いや、一番近かったからでしょう」
「まっこと、おぬしは鈍感じゃな」
「はあ」
苦笑いをする錬に、絶はやれやれと首を振る。
「悪い男に騙されぬよう気を付けるのだぞ」
「そう、です、かねぇ?」
何となく会話が途切れた二人は、前を通り過ぎる兵を目で追った。
「全面的な戦となるのでしょうか」
「泰虎が陣を構えておる以上、そうなるであろうな」
戦の気配に、嫌な緊張感と静けさがある。
「か、勝てますよね?」
「阿呆。何を言い出すのだ! 兵力では叔父上が圧倒的に有利じゃ」
「しかし……あの豪刹は、怪物のように強かったので」
「確かにそうじゃが、決して不死身の相手ではない。こちらにも強いサムライは揃っておる。先ほど叔父上の横に控えていた藤原もその一人じゃ」
謁見の間で怒鳴られた記憶が蘇り、錬は身震いする。思い出しただけでも、あの気迫に足がすくんでしまう。そんな様子を気にすることなく、絶は説明を続ける。
「あれは藤原藤一郎(ふじた・とういちろう)と言ってな、篁イチの槍の名手じゃ。幾度となく武功を立てた強者で『二ツ藤』の名で通っておる」
異名は辛うじて知っていたようで、錬も「はへぇ~」と気の抜けた返事をする。
「叔父上は人徳の高いお方。戦になれば、サムライ達がどちらに付くべきかなど火を見るより明らかじゃ。泰虎とて、それくらいのことは分かっているはずなのだ。本当に阿呆じゃ!」
自分ではどうすることのできない無力さと悔しさの混じった声を吐き捨てる。そして、二、三度深呼吸をして整えると、ニッコリ笑顔を作って錬に向く。
「決着が付けば、あの寺におった住職や薬師、村の者達も安全じゃ。叔父上も救援を出してくれるであろう。早くそうなると良いな」
「はい。お師匠やあそこの村人は、家族のようなものです。少しでも早く、安全に暮らせるようにしたいです」
「わしも早く母上や連れて行かれた天狐の者達を助けたい。そなたの血縁や知り合いもおるやも知れぬな」
絶の何気ない問いかけに錬は微妙な表情を浮かべる。
「心配は心配なのですが……。あまり郷にいい思い出がないので」
「そうなのか?」
「私は妖力のない役立たずでした。あの郷は、そういった者の居場所はありません。だからこそ、今は居場所をくれたお師匠を母親だと思っております」
「と言っても、さすがにこの状況では郷のことも心配ですが」と錬は紛らわすように早口で付け加えて頭を掻く。郷を捨てたなど、同族、しかもその長の子に言っていいわけもない。
「律が聞いたら怒るやもしれんな。だが、わしは構わぬ。わしも郷では独りであったから、そなたの気持ちは分かる」
「しかし、それは絶様が雪様の血を引いておられるからですよ。周囲も気安く接することができなかったのでしょう」
寂しげに目を伏せる絶に、錬は慌ててフォローする。しかし、絶は彼女の言葉を否定した。
「わしは半妖じゃからな。いかに母上の血を引こうとも。誇り高き五百旗の血が流れようと、所詮は半分、人間の血。天狐の者には受け入れにくいことやもしれぬ。そなたもそうではないのか?」
「確かに、郷にいる時はそのような考え方もあったかもしれませんね。でも、外界での暮らしも長いので、半妖に特別思う所はありません」
その返答に絶は少し嬉しそうに顔を輝かす。
「母上や父上も、そなたのように考える者が増えることを望んでおった。人間も亜人も、半妖も、変わらぬと」
「素晴らしい考え方です」
「よく母上から言って聞かされたものじゃ。『人間と亜人、両方の血を持つそなたは、両者が手を取り合い共に生きていく象徴なのです。天狐族の気高さと、五百旗家の清廉さを常に併せ持ちなさい』とな」
「む、難しいことをおっしゃいますね」
「そうじゃな……難しいよな」
はぁ~と大きくため息を吐く姿は、年相応の子供である。
「まぁ、とにかく。この戦はもうじき終わる。そなたの言った烏夜衆とて、考えてみれば今回の旅で天晴が半分以上倒しておるしな」
「天晴さん。凄くお強いですもんね」
「そうなのだ! それに強いだけではない。見ず知らずにも関わらず、命の危機にあったわしを助けてくれる高潔さ。まぁ、言動にはいろいろと問題はあるだろうが、あやつほど誉れ高き武人はそうそういないだろうな」
早口になって興奮気味に語る絶の目はトロンとしており、天晴に対する信頼の厚さが窺える。そんな熱のこもった言葉を、錬はうんうんと頷いて返す。
「確かに律様と天晴さんがいてくれると安心しますね。でも天晴さんって、圷砦までの約束では?」
錬の言葉に、あれほど明るかった絶の顔が曇る。
「ああ、そうじゃな」
「この件が落ち着くまで、一緒にいてもらうことはできないのでしょうか」
「それは……無理じゃろうな」
絶は、そう答える自分の口がやけに重く感じた。望んでいない言葉だったからだ。
しかし、これ以上天晴を巻き込むことはできないことも分かっている。彼は自身と自分の家を危険に晒してまで、ここまで一緒に来てくれた。結局、彼の素性は分からないし、彼も答える気がない。お互い知らないまま別れた方がいいのだろう。
別れを考えたくはないが、そう言うわけにもいかず陰鬱とした気持ちにある。近くにいて当然だったものが、もうすぐいなくなる。そう思うと嫌な汗が流れ、焦燥感に動悸がする。
「ええい! 天晴はどこにおるのだ。ここまで送り届けた謝礼なども含め、いろいろと話し合わねばならぬこともあると言うに。急がねば、戦が始まってしまうぞ」
空元気にプリプリ怒ったように声を荒げながら、乱暴な足取りで広場を歩く。そして、絶の気持ちを汲んでいるように、錬がその後ろを大人しく着いていった。
☆ ★ ☆
天晴は軽く荷物をまとめ外套を羽織ると、周囲の兵士らの緊張など関係なく、本丸の門を抜けて階段を下る。
「天晴。去るのか?」
見れば律が近づいてくる。天晴は「おう」と答える。
「圷に絶を送り届けた。ここの戦力を見る限り、こちらが優勢だろう。お前もいるし、絶は安全だ。俺の役目は終わったのさ」
「何も言わずに行く気か? 礼もしていないのに」
「なんだ、礼に感じていたのか?」
意地悪な笑みを浮かべて、律をからかうように言うので、彼は顔を顰める。
「絶様も挨拶くらいはしたいだろう」
「そういう別れは苦手なんだ。どうにもしんみりしてしまうだろ? 何と言えばいいか分からなくなる」
「子供か、お前は」
「よく言われる」
カッカッカと快活に笑い、落ち着いた所で天晴は顎を摩る。
「絶には、お前から伝えておいてくれ」
「勝手なことを」
「扇喜の都に着いたら、正代殿を探し、篁の一大事を伝える」
「もし、絶を助けた浪人、天晴殿……かな?」
肩を並べて歩く天晴と律を呼び止める声に、足を止めて振り向けば、そこには先ほど謁見の間で会った秀嗣の姿。そばには藤原が朱槍を持って控えている。
近づいてくる姿に二人は頭を下げた。
「よいよい。頭を上げよ。絶を助けた恩人だ。褒美を授けたいが、何を望む?」
「これは手前が勝手に首を突っ込んだこと。褒美など必要ございませぬ」
頭を上げ、微かに口角を上げて話す天晴の威風堂々とした様子に、秀嗣は少し目を見開いた。絶の説明では偶然出会った浪人だが、目前にいる人物の堂に入る居ずまいはとても一介の武芸者のものではない。
「そう言うわけにもいくまい。恩人に褒美を与えぬとあっては、周囲に狭量な者と言われてしまう。絶の話では、おぬしはかなりの腕前と聞く。仕官として招くこともできる」
「手前、生来のふうてん故、仕官は性分に合いません」
「貴様、ふざけたことを申すな!」
笑みを絶やさず答える天晴に、藤原は不快感を露にして天晴に詰め寄る。浪人ならば仕官の身分は垂涎の的。それを無下にする発言は武士として腹立たしかったのだろう。
しかし、大男の藤原を目前にしてもなお、天晴の態度は変わらない。その眼差しは静かだ。
しばらく睨みあうが、秀嗣が藤原を下がらせる。
「惜しいな。絶を襲った烏夜衆は化け物揃い。それと渡り合ったほどの腕をみすみす、逃すのは非常に惜しい」
「過大評価でございます。これまでは運よく勝てただけのこと。命からがら、といった所です」
「そうか? それほどの強敵に大した傷もなく勝ってきたと?」
「本当に運が良かった」
「運だけで切り抜けられる相手ではなかろう?」
「秀嗣殿は烏夜衆をご存じか?」
「……いや。話で聞くのみ」
「噂話は、実際よりも大きくなっていくものです。さきほどの絶殿のご説明も、幾分か誇張されており、手前は聞いていて赤面の至りでございました」
天晴はそこまで言って話を強制的に切ると、話題を変える。
「泰虎軍はいつごろ攻めてきますかな?」
「近いうち。としか分からぬな。だが、仮に攻めてこようと、この砦は落とせぬ。奴らはここで朽ちるのみ」
「いまいち、得心がいかぬのです」
顎を摩りながら、場違いなほど呑気な声を出す天晴。
「泰虎はなぜこのような暴挙に出たのか……絶殿は烏夜衆にそそのかされたのだと言っておりましたが」
「それのどこが納得できぬ?」
「誰の目から見ても戦力的に秀嗣殿が優勢。しかも、万が一にも泰虎が勝ったとしても、これほど暴虐無人なふるまいをすれば民は従わない。おまけに扇喜より正代殿が戻れば、再び藩は分裂するでしょう。手前にはどう考えても、割に合わぬ戦に思えるのです」
それに対し、秀嗣は快活に笑いとばす。
「天晴殿は人の野心を侮っておるな。時に損得では計り知れない行動を起こすもの。あれは私生児ゆえ、幼い頃より人一倍、五百旗の名に憧れを持っておった。それは、自分の父と義兄すら手にかける程に。今更、後戻りもできないのだろう」
「正嗣殿と正尚殿も泰虎が殺したとお考えか?」
「わしはそう睨んでおる。もしかしたら正代が駆け付けぬのも、すでに扇喜に刺客を送っておるのやもしれぬ」
ため息を吐きながら秀嗣は首を振る。
「それに、奴はすでに幕府へ書簡を送り、後継者の正当性を示しておる。この世は、声の大きい者の言葉が真実となるでな……まだ得心いかぬか」
「此度の一件。五百旗の本家は軒並み評価を下げました。亡くなられた二人。挙兵した泰虎、音沙汰のない正代……あなたは民からかなり評判が良いようだ」
失礼な物言いに秀嗣は顔に影を差す。その隣の藤原は声を上げることはないが、その目は殺意に満ちており、許可さえあればすぐにでも斬りかかってきそうな勢いである。
「武家の者として恥じぬ行いをすれば、民は自ずと付いてくるもの。そうではないか?」
静かだがやや棘を含んだ声色だ。気の弱い物ならば、胃が痛くなりそうな圧がある。しかし、豪胆な天晴には毛ほども感じず、表情を変えずに「さようですな」と笑顔で返す。
「ここを出られるのか?」
しばらく視線を交らせた後、秀嗣は元の口調に戻り訊ねる。
「絶殿とは圷峠までの約束でしたので」
「そうか、去る者は追わぬ。絶が世話になったな。泰虎の陣は少し離れているとはいえ、警戒されよ。大きな街道は避けた方が良いだろう」
「ご忠告、痛み入ります」
「息災でな」
軽く頭を下げる天晴に、秀嗣は踵を返して去っていく。藤原は最後まで睨みつけてきたが、それ以上のことはない。
完全に去ったのを確認し、天晴はやれやれと嘆息する。
やはり、秀嗣は苦手な部類の人間だ。
「武士だのサムライだのを特別視する連中は、大概は腹の中で他者を見下している」
「お前、恐ろしいことを言うな」
鼻で笑う天晴に、隣で黙っていた律がゲンナリした顔をする。
「そうか? 連中、お前に一度として目を向けなかっただろう?」
「人間から軽視されるのには慣れている」
遠くに見える秀嗣らの背を見ながら、律も小さく息を吐き出す。
「ではな。絶にはうまく伝えておいてくれ」
「ホントに行くのか?」
城下へつながる坂を下りる天晴を律が呼び止める。
「お前がいれば大丈夫だろう。それに、これ以上はさすがに関わり過ぎだ」
手をヒラヒラさせながら、天晴は歩みを止めることなく城を後にした。
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