第一幕:豪雨の中の出会い⑦

 火の回りがかなり速い上に、絶の意識が途絶えても消える気配がない。家が焼け落ちるのも時間の問題だろう。

 天晴は強く踏み込み間合いを詰めると、その剛腕から無明を振るう。刃ではなく、鞘に収めたままの打撃。玄斎は寸での所で、それを躱して距離を取る。

「このような状況で戦うなど、正気か?」

「武士が正気で務まるか!」

「この、戦狂いめ! 付き合いきれぬ」

 忌まわしそうに吐き捨てると、濁った瞳がぐるりと裏返る。すると、そこには真っ黒の眼球が現れ、目視できるほどの黒く濃い呪いが大量に溢れ出て一気に周囲に満ちていく。

「各地を歩き、集め集めた万の呪い。圧倒的な呪力の前に怯え、恐れろ。

 万の怨念より紡ぎし呪殺『怨呪』!」

 呪いが圧縮され、天晴に降りかかる。

 圧により空間自体が捻じ曲がる

 空間が漆黒に染まるほどの恨みの籠った攻撃。受けてしまえば、肉体に蓄積される精気が消し飛び、干からびて朽ちていく。そんな質量のある怨嗟を天晴はまともに受けた。

 体が裏返されるような痛みに、邪悪なモノが体内に押し入り、吸い出されていく感覚。

「なるほど、確かにこれほどの呪いを受けたのは、初めてだ」

「苦しかろう、辛かろう。怯え、恐れ、嘆け。それが、手前の糧となる」

 先ほど比較にならない重圧に、思わず顔を顰めて膝を付きそうになる。が……。

「……おもしろい」

「は?」

 蔑む笑いを浮かべた玄斎の顔は凍り付く。予想してない反応だった。誰しもが、震え上がり、涙を流して命乞いをする。

 それなのに、目前の相手は倒れるどころか未だ両の足で立ち、不敵に笑い、大量の呪いの圧に抗っている。

「さぁ、存分に吸い込め。俺が干からびるか、呪いどもの腹がはち切れるか、試してやろう」

 玄斎は顔を歪める。それは苛立ちや焦りではなく、恐怖で。天晴の笑みは見えていない。しかし、それでも、見えていないからこそ、不敵で豪胆な威圧を『見てしまった』。気圧された。

 近づく天晴に玄斎は後ずさるも、そこは無明の間合い。

 容赦なく振り下ろされるのを、玄斎は腕を交差させて受ける。

 普通ならその細腕ごと体を打ち据えたはずだった。しかし、実際は甲高い音を立てて止めた。

「硬化血戦蟲か。どれだけ蟲を飼っているんだ」

 無明を受け止めた腕には鋼鉄の鎧のような外装が纏われていた。そして、それは腕だけでなく、肉体の至る所から硬質な触手が現れて全身を覆う。

 鋼鉄並みの強度を持つ外骨格の蟲で、宿主の体に鎧のように纏う。もはや、出鱈目な数の蟲の量に、天晴は驚きを通り越し呆れすら感じてしまう。

「この外骨格を砕けるか?」

 先ほど抱いた恐怖は消え、卑しく勝ち誇る笑みが戻ってくる。

 先ほどの攻撃を耐えたのは、蟲による防御力の向上だけではない。間違いなく天晴の動きに鈍くなっている。つまり、どれほど強がっても呪いは効いている証拠だ。

 爛々と鈍く輝く黒い眼球が天晴の姿を映し出す。大きく口を開き、長い舌を突き出した。

 咄嗟に無明を肩に担ぐように構えて玄斎へ向けると、鞘の隠し鈕を押し込む。

「『怨呪』」

 玄斎の呪言と天晴の薬式銃はほぼ同時。

 互いに反対側へと浮き飛ばした。

 天晴は炎の中を転がり、何度も体を打ち付けながらも、無明を床に突き立てて踏み止まる。

 一方の玄斎は床にのた打ち回り無様に悲鳴を上げる。火球を受けた胴体の蟲は爛れ落ち、彼の肉体まで焼いている。

 立ち上がる天晴の姿に、玄斎は見えないはずの目を見開き瞠目する。

「なぜ倒れぬ? なぜ恐怖せぬ? 死ぬのが怖くはないのか?」

「もとより命を賭している。死ぬのが怖くて喧嘩ができるか!」

「死ね、死ね死ね。早く死ね」

 玄斎は大量の冷汗で顔を濡らしていた。凝縮された呪いは、まだ天晴に群がり生命力、胆力を奪い続けている。それなのに、まだ倒れる気配はない。

 天晴は鬱陶しとばかりに大きく息を吸い込み、腹に力を込める。

「喝っ!」

「な?」

 玄斎はそう言うのがやっとであった。あれほどのエネルギーが、天晴の声と同時にかき消えたのだ。

 何をしたのか。

 シンプルに気合い。

「煩わしい羽虫が」

「お、お待ちを。手前の負けでございます。どうか、お慈悲を」

「ダメだ」

 そう言うやいなや、大きく振りかぶられた無明が轟音を立てて叩きつけられる。

 カエルの潰れるような声を上げて脳天が胴にめり込み、そのまま地響きと共に床を突き破った地面に叩きつけられる。

 玄斎は胴に埋まった頭のままジタバタともがき、虫のように地を這い逃げようとするが、その動きはかなり鈍い。

「やはり害虫は叩き潰すに限るな」

 鼻を鳴らして踵を返すと、燃え上がる梁がついに耐え切れなくなり背後に崩れ落ちる。当然、玄斎に避けられる余力は残ってはいなかった。

 焼かれ苦しむ断末魔の悲鳴は、玄斎だけのものではない。彼に押し込められていた呪い達の無念の叫びも混ざり、そして炎に溶けていく。

 声が聞こえなくなった頃、ついに天晴は堪らず吐き戻す。

 平然と装ってはいたが、玄斎の呪いはかなりの負担だった。

「まさに反吐が出る相手だった」

 しこたま吐き終えた天晴は口元を拭い、ゲンナリとした気分で呟くと、絶の元へと近づいた。



 絶が薄っすらと意識が戻る頃には、すでに天晴に抱えられて外にいた。

「気が付いたか?」

「……玄斎、は?」

 未だに体は重たく、ぼんやりとする状態で訊ねると、天晴は背後で燃え上がる茅葺屋根の茶屋に視線を向け「蟲はよく燃える」と答える。

「そなた、怪我は?」

「安心しろ。掠り傷程度だ。火照った体も、夜風に当たれば丁度いい」

 片笑んで見せる天晴だが、絶の顔は曇っていた。

「茶屋にいた者達には申し訳ないことをした」

「致し方ないこと。俺達にはどうすることもできなかった」

「それでも、わらわが逃げているから。わらわののせいで他人が死ぬのは辛い……」

「奴の戯言に惑わされるな。お前が悪いのではない」

 やや強めに指摘する天晴を横目に、絶は目を伏せて小さな体をさらに丸める。

「そう……やも知れぬな。心を強く持たねば。少し疲れた。休ませてくれ」

 そう言い終わらないうちに、絶は再び意識を手放して寝息を立て始める。

「承知した。ゆっくり休め。俺が抱えて行ってやる。お前の目指す場所までな」

 天晴は腕の中で眠る絶を抱え直すと、茶屋の炎と月光に照らされる夜道を歩き出す。

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