第一幕:豪雨の中の出会い⑤

  四


 宿場から逃げるように出た天晴たちは、大きな街道を避けた。

 当然、道は険しく進む速度は落ちるが、追手に見つかりにくくなる。

 場合によっては雨風をしのげる場所を見つけて野宿もするが、その日は偶然見つけた民家に立ち寄ることにした。

 日も沈み、木々に囲まれた道を進むには、月光だけでは心もとない。そんな暗闇に、ぼんやりと明かりが見えた。

 茅葺屋根のその建物は、恐らく昼間は茶屋として、夜は店主の住居として使われているのだろう。

「御免! 夜分に失礼する。旅の者なのだが、少し屋根を貸していただけないだろうか」

 茶屋側ではなく、住人が使う裏戸を叩きながら、天晴が声を張る。

 中からの反応はしばらくなかったが、再度戸を叩こうと手を挙げた頃に声が返ってくる。

「どうぞ、旅のお方。錠などはしておりませぬので、中へ」

 しわがれ聞き取りづらい老人の声だ。

「今夜は屋根のある場所で眠れそうだな」

「ふぅ。野宿も嫌ではないが、何というか、やはりちゃんとした場所で寝るのが良い」

 天晴と絶は顔を見合わせつつ戸に手をかけると、相手の言葉通りに、抵抗なく開いた。その先は土間になっており、段差を越えると囲炉裏の間へと繋がる構造だ。

 天晴らが見つけた光はその囲炉裏からの炎だろう。

「夜道は大変でしたでしょう。大層なもてなしはできませぬが、せめて囲炉裏に当たり、冷えた体を温まってはどうですか」

「家の者よ。感謝いたす! この辺りは民家もないので、困っておったのだ。休める場所だけでなく、暖まで勧めてくれるとは」

 囲炉裏の間から聞こえる声に、絶は安堵の吐息を付きながら言葉に甘えて土間を進むが、途中で天晴に肩を掴まれる。

「待て」

「なんじゃ?」

 振り返れば天晴の目付きが鋭くなっている。

「お前、この家の者か?」

 言葉にはどこか棘を感じられた。

 一気に、緊張が走る絶が囲炉裏の間に視線を戻すと、声の主が炎の明かりの前に現れる。

「今宵は、良い月が出ておりますなぁ」

 質問に答えないその男は、年季の入った琵琶を持つ、盲目の琵琶法師だった。

 頭を傾ける男は琵琶の弦をはじくと、乾いた音が屋内に鳴り響く。

「ああ、これは立派なおサムライ様だ。それに、なかなかにお強い」

 クククと笑う男の不気味さに、絶は思わず天晴の背に隠れるように動いた。目の見えないはずの琵琶法師は、天晴の姿が見えるかのように話している。

「良い月と言うが、お前には見えんだろ? それとも、盲目はハッタリか?」

 自分の質問が無視されたことに異を唱えることもなく、天晴は相手に合わせる。しかしその手は、しっかりと愛刀の柄にかけられている。

「手前、目は見えずとも、様々な物が見えます。月もあなた様も、もちろんその後ろにいらっしゃる絶様も、しかと見えておりまする」

 絶を知っている男に対して、一層の緊張が走る。

 そして、男の次の言葉で凍り付いた。

「家の者か、と訊ねられておりましたな。その解は否。手前。烏夜衆が一人、花村玄斎(はなむら げんさい)と申します」

 男、玄斎の言葉でグッと心臓を鷲掴みにするような錯覚に陥る。彼の作る影が一層黒くなったようだった。絶に視線を向けるが、顔を白くしながらも首を横に振る。

 烏夜衆には怪僧がいると話していたが、どうやら花村玄斎のことではないらしい。

「なぜ俺たちがここを通ると分かった? どんなカラクリだ?」

 虚を突かれ驚きはしたが、天晴はすぐに平静を取り戻す。

 宿場で聞いた男の声はもっと若い。つまり別人だろう。

 宿場で取り逃がしたことで、手分けをして探したということだろうが……。主要な道を逸れて進んでいる。それをピンポイントで待ち伏せなどできるはずがない。

 その困惑を察したのか、玄斎は口を吊り上げて笑みを浮かべる。

「手前には、様々なものが見えると申したはず。妖狐が発する妖力を辿ることなど造作もないことでございますよ」

「なるほど、盲目ゆえの特技か。それで、烏夜衆が何用かな?」

 柄にかけた手を外し、その脇に収納されている小柄を外して掴む。

「もちろん、絶様を引き取りにまいりました」

 玄斎は恭しく首を垂れる。

「どうやら、双方に誤解があったようで」

「と、言うと?」

「手前どもは、絶様に危害を加えようとは思っておりません」

 柔和な笑みを見せる玄斎に、天晴は小さく笑う。

「信じろと?」

「へー。手前どもの目的は、泰虎様を藩主にすること。しかし、亜人の血が混ざる絶様は、はなから継承権がございません」

「郷を襲っておいて何を言うか! 母上や天狐の者らを捕らえ、護衛を殺した」

 絶は、天晴の背に隠れているからか、やや威勢の良い声を出す。

「所詮は、亜人の郷でございますから」

 ニヤリと笑う玄斎の顔には慈悲の欠片も感じさせない冷たさがあった。背筋に冷たい物を感じ、絶は慌てて天晴の背に隠れる。

「手前どもが欲しておるのは一つ。絶様が郷から持ち出した『殺生石』のみです」

「そなたらに渡すはずがなかろう! これは天狐族が長き間守り続けていた物。人の手に渡っていいものではない」

 懐を隠すように腕を回して、絶は牙を剥いた。

 例え命を奪われても、決して渡さない。と確固とした決意が言葉から感じられる。

「泰虎様も、可能ならば義母や異母兄妹を手にかけたくはないと申しておりました。殺生石を渡してただければ、玉櫛の君やあなた様に手を出す理由はありません。さらには、協力をしていただけたことで、他の天狐の者達の安全も保障されるでしょう」

「逆に、断ればその者達の命の保障はできない、と?」

 玄斎の甘言に絶は口を開きかけるが、その前に天晴が割り込んだ。これにはやや不快感を露にするように顔を顰めた。

「……おサムライ様」

「仰々しく呼ぶな。俺は風来坊のただの天晴だ」

「では天晴殿。あなたはこの藩とは縁もゆかりもないお方。偶然、お関わり合いになってしまっただけのこと。ここいらが引き際ではございませんか。悪いようには致しませぬ。どうか絶様をこちらへいただけませぬか」

「引き際ね……すでに、お前らの仲間、空蝉を斬ってしまっているがな」

「存じております。が、手前どもも勝負の世界に生きる身。負ければ死ぬのは当然の理です。あれは空蝉が弱かっただけのこと。それよりも、天晴殿ほどの方と敵対することこそ、避けるべきと愚考いたしました」

 「タダで、とは言いません」と玄斎は前の地面に包みを置く。開けてみればそこに小判が積まれ、炎に反射して怪しく蠱惑的な輝きを発していた。一介の農民ならば一生かけても稼げないほどの額である。天晴の口から「ほう」と感嘆の声が漏れると、背中にしがみつく絶の手に力が籠る。

「天晴!」

「分かってる。そう、必死な形相で睨むな。武士に二言はない!」

「そなたの、その言葉が一番心配なのじゃ!」

 天晴は小判に目移りしたことを苦笑いで誤魔化す。

「すまんな。玄斎とやら。俺は絶を望みの地へ送り届けると約束した。もう少し、早かったらなぁ。いや、勿体ない」

 やれやれと、おちゃらけて首を振る天晴に、玄斎は琵琶の弦を鳴らしながら得心のいかない顔をする。

「分かりませぬな。あなたにそこまでする義理などないはず。これ以上、関わっても得などないでしょうに」

「確かに得はないな。だが聞けば、お前らの義に反する行い、まったくもって気にいらん」

「義ですか。この世は声の大きい者の言葉が真実となる。故に大義は我らにあります」

 泰虎は幕府に書簡を送り、正式な後継者としての手続きを進めている。つまり、世間から見ると、それに反対する者こそ謀反者に他ならない。

 天晴は片方の口元を上げ、全てを見透かしたように鼻を鳴らす。対する玄斎は不敵な彼の心を見透かそうとでもするように、弦を強く弾き、閉じた目を向ける。

 お互い静かだが、すでに抜き身の刃のような殺気がぶつかり合っている。

 張りつめた緊張感と凍り付くような冷たい空気が場を飲み込み、囲炉裏の炎を揺らめかせる。

「意地を張れば、死ぬことになりますよ」

「意地を張らずとも、人はいつか死ぬ。張っても張らんでも同じことだ」

 変わらぬ天晴に、玄斎は小さくため息を吐く。

「空蝉を討ったことで気が大きくなっているのでしょうが、手前どもに歯向かえば、それすなわち天を相手にするも同じ。ご自慢の剣術をいくら振るったところで、地にいては天まで届きますまい」

「天とは大きく出たな。だが、届かんかどうかは、やってみなければ分からんぞ」

 視線を外すことなく、天晴は背に張り付く絶を後ろに下げる。

「それに、お前の言は戯言ばかり。その見え透いた善人ぶりで、先ほどから首筋が痒くなってきやがる」

「ほう、空蝉を負かすほどの男、どれほどのものかと思ったが……。大局の見えぬ、とんだうつけ者でございますな」

「よく言われる」

 玄斎から柔和な表情が消え、険しくなる。同時に、纏う空気も色が見えそうなほどに禍々しい威圧が溢れていた。

 数歩下がっていた絶だが、玄斎の圧にさらに後ずさる。

「では、死んでもらうしかございませぬな。構いませぬかな」

「はなから、そのつもりだっただろう?」

「無論!」

 カッと濁った瞳を見開く玄斎は琵琶を弾く手の流れで隠し針を飛ばすと、そのまま片膝を付いて態勢を整えようとした。が、それよりも早く、隠し針を弾いた天晴が小柄を投げていた。それは閃光となって玄斎の左目に突き刺さる。

「ガァ」

 短い悲鳴が漏れるが致命傷にはなっていない。天晴もそんなことは百も承知。一気に土間から駆け上がり、間合いを詰め、囲炉裏を飛び越えながら刃を抜き放ち振りかぶる。

 玄斎は琵琶の先端に仕込んだ短刀を抜き取り受け止める構えを取るも、「ふん!」と気合いの籠った一振りは短刀ごと玄斎の体を両断した。肩口から斬り捨てられた玄斎は、血を噴き出してそのまま後ろへ倒れる。

「俺の剣も存外、天に届きそうだ」

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