第一幕:豪雨の中の出会い④

   三



 食事が終わる頃には、あれだけ降っていた雨も止んでいた。

 しっとりと湿り気のある空気が、夜風にのって満腹になった体に当たって気持ちいい。

 それなりの規模の宿場町のため夜になっても人の行き来はある。天晴と絶は、取っていた木賃宿に着くと二階の部屋へと通され思い思いに寛いだ。

 先に風呂に入った絶は、火照った体を冷ますように窓際に腰を掛けて夜道を行きかう人々を何気なく見つめる。ずっと追いかけられてきたせいか、喧騒が逆に落ち着いた。

 見上げれば、あれだけ濃かった雲はすっかり晴れ渡り、眩しい程に月が輝いている。

 「ふぅ」と思わず息が漏れた。

「良い湯だったな!」

 背後の襖が開くと同時に、天晴が濡れた髪を拭きながら近づいてくる。そしてそのまま絶の隣にドカリと腰を下ろして胡坐をかく。

「おお、良い月夜だ。福徳福徳!」

 空を見上げて嬉しそうに呟いている。

「酒とつまみが欲しい所だな」

「まだ食うのか? わしはもう食えぬぞ」

 しこたま夕飯を食べたことを思い出し、絶は腹を摩る。その様子に天晴はカラカラ笑う。

「腹がはち切れそうじゃ」

「今、襲われたら一溜りもないな。満腹のせいで動けず捕まるなど、恥ずかしくて表に出れなくなるぞ」

 縁起でもないことを言うので、絶は顔を顰める。

「そうならないために、そなたがおるのではないのか」

「あいにく、俺も満腹で下手に動けん」

 天晴はペロリと舌を出して、一層声を上げて笑った。

 緊張感がまるでないどころか、彼には現状を楽しんでいる節すらある。

 ため息交じりに絶は何気なく、天晴へ視線を送る。

 後ろで結っていた髪は解かれ、黒く光沢のある翠髪を背中に垂らす。着流した浴衣はだらしなく胸元が開けており、彫刻のような筋骨逞しい肉体には、大小さまざまな傷跡が浮かびあがっていた。天晴のこれまでの人生を物語っているようだ。

「何を見ている?」

 天晴の問いかけに、自分が天晴の体につい見入っていたことに気付いて、絶は赤面して慌ててそっぽを向いた。

「じ、実際に襲われるようなことあれば笑いごとでは済まぬぞ!」

 誤魔化すように早口で話す絶に、天晴は顎を摩る。

「まぁ、そうなれば、こいつで戦うしかないな」

 脇に置いた打ち刀を手に取る。

「その刀、不思議な仕掛けがしてあるのだな」

 先ほどの戦いを思い返し、絶は不思議そうに訊ねる。

「そうだな。こいつを作った刀匠が変わった奴でな。十二振りある作品の一本で、名は『無明』という。特別な力を付与しない刀剣ながら、いろんなロマンを詰め込んだそうだ」

 持ってみるかと差し出され、絶は何気なく受け取った。しかし、それは思った以上の重く、床に落としそうになる。

 薬式銃が仕込まれている鞘は、黒くて分かりにくくなっているが、光沢を消した鉄を組み合わせて作られていた。天晴は軽々と持ち歩いているが、通常の刀に比べてかなり重量がある。

「変わった刀じゃな。では銃以外にも?」

 顔を赤らめ倒れそうになるのを踏ん張りながら、刀を返す。

 天晴は「まあな」と曖昧に答えるが、刃だけは細工をしてないと教えた。そこは刀匠としての矜持があるらしく、折れず曲がらずよく斬れることをトコトン追及した逸品なのだとか。

「俺も一通り説明は聞いたが、全ての仕掛けを試したことはない」

 そう言いながら無明を掴み、鞘の一部をスライドさせるとそこから櫛が出てくる。

「その鞘は便利道具か!」

 意外なものが飛び出したことで、絶は飛び上がるほど驚く。

「おう。もしかしたら、この仕掛けが一番重宝しているかもな」

 豪快に声を上げて笑いながら、天晴は自身の髪を梳かす。

「敵が襲って来るやも知れぬのに、髪の手入れとはいい身分じゃ」

 口を尖らせる絶に、天晴は片笑む。

「なんだ、お前。風呂上がりなのに、まだ櫛を入れてないのか? どれ、俺が梳いてやろう。頭を出せ」

「な! なぜわしがおぬしに髪を触られなければならんのだ!」

「童は童らしく大人しくしていろ」

 逃げようとする絶より先に、天晴が捕まえて髪に櫛を通し始める。

「や、やめぬか! 無礼であるぞ!」

「髪はできるだけ綺麗にしておけ。力が宿ると言われる場所だ」

 絶の抵抗空しく髪を梳かす天晴の手は、子供をあやす親のように優しい。

「力?」

「まぁ、俺も妻からの受け売りだがな」

「そなた、伴侶がおるのか?」

 確かに天晴の年齢ならば結婚していてもおかしくはない。

「昔な。今は独り身だ」

「どうせ、仕官にもならずにフラフラして愛想を尽かされたのだろう?」

「……そんなところだ」

 微かに笑ったのが、絶の頭越しにも伝わってくる。

 それからしばらく、髪を梳かし終わるまで微妙な沈黙が続いた。

「さて、腹も膨れたし、さっさと寝て、明日に備えるか」

 櫛を鞘にしまう天晴は、いつもの明るい口調に戻っていた。

「うむ、そうだな……む? そなたもここで寝るのか?」

「そりゃそうだろ。俺の分の布団も敷いてある」

「そうかも知れぬが、いや、しかし。会ったばかりの者と同じ部屋で寝るのは……」

 絶は顔を赤らめながらアタフタする。

「同じ部屋って。何も同じ布団で寝るわけでもあるまい」

「そうなのだが。いや、そうなのだが。布団、近くないか?」

「分かった分かった。離せばいいんだな」

 呆れながらも天晴は自分の分の布団を端まで動かす。

「あ、あとはそなたの刀を布団の間に置いてくれ」

 結界でも張るように二人の布団の間に無明を置くと、ようやく絶は幾分か安心したようで落ち着き、布団に寝転がる。

「よいか! 何があってもここから越えてはならぬぞ」

「何があってもって。どうやってお前を守ればいいんだ?」

「そのような時は例外じゃ」

 布団を被り、目を閉じる絶に、天晴は可笑しくなり小さく笑いながら「はいはい」と答えて自身も布団に寝転がった。



 郷を離れて以来、絶は常に微かな物音に怯え、郷が襲われた光景を夢に見てうなされていた。しかし、その晩は夢を見ることもなく、泥のように寝た。

 天晴に揺り起こされるまで、一切自分が寝ていることにすら気が付かなかったほどに。

 まだ開き切らない目のまま、絶は寝ぐせの付いた銀髪を撫でる。

 油断すれば両瞼がくっ付きそうになりながらも、窓から入る明かりを確認するがまだ薄暗い。朝と言うには早すぎる時間だ。

「何じゃ。まだ……」

 文句を言おうと口を開きかけたが、天晴が人差し指を立てて『静かに』と指示する。

 その時になった、ようやく天晴の表情はやや険しく、すでに着替えを済ませて手には無明を持っていることに気付いた。

「どうしたのだ?」

 声を潜めて訊ねると天晴は外を指さす。

「誰かがこの木賃宿に訪ねてきた」

 絶は頭部の三角の耳が忙しなく動かして周囲の音に聞き耳を立てると、微かだが窓の外、入り口の方向から話し声が聞こえてくる。内容までは聞こえないが男女が話しているようだ。

 宿の女中らしき者に、若い男が子供を見なかったかと、訊ねている。迷惑そうに対応する女中に、男は我慢強く説明している。その外見は絶の特徴に合致している。

「お、追手か?」

 眠気も吹き飛び、体を硬直させる。

「追手が空蝉だけとは限らんからな」

 緊張する絶とは対照的に、天晴は落ち着きをはらっていた。

「しかし、思ったよりも早かった」

 天晴は思案するように顎を摩る。

「これからどうする?」

「あの対応からするに、女中が中へと招き入れることはないだろうが……居場所がバレていれば無理にでも押し入ってくるかもしれんな」

「そなたはどうしてそうも落ち着いてられるのだ!」

「焦っても仕方がないだろ。そんな事より絶よ。何が起きてもいいように、着替えて荷物をまとめておけ」

 無明に巻かれた刀袋を取る天晴に、絶はその袖を掴んだ。

「戦う気か?」

「時と場合によってはな」

「こんな所で騒ぎを起こせば、宿の者や宿場におる関係ない者達まで巻き込まれるやもしれぬ」

「相手が空蝉ほどの実力者なら、そうなるだろうな」

「それは……ダメじゃ」

「そうは言っても、このまま奴を捨て置けば厄介なことになるぞ」

 見た所、絶を探す声の主は一人。しかし、放置すれば仲間を呼ばれることもあり得る。まだ対処できるうちに、手を打っておいた方がいい。しかし、絶は首を縦には振らなかった。

 頑なに「ダメじゃ」と言い張る。

「わしも武家の子。争いで犠牲が出ることは承知しておる。しかし、それでも避けられるのであれば、極力は関係のない者を巻き込みたくない」

「無関係な俺を巻き込んでいるがな」

「そなたは別だ!」

 妙に言い切る絶は、自らの意見を曲げることはないと、顔に書いてある。

 しばらく睨みあう形となったが、折れたのは天晴だった。

「まぁ、今はお前に雇われたようなものだからな。指示には従おう」

 その言葉を聞き、あからさまに絶は安堵の表情を浮かべた。

「致し方ない。女中と話し合っている内に、裏からコッソリ抜けるか」

 ため息交じりの天晴は宿泊賃よりも多めにお金を畳に置いた。

 そして、手早く着替えを済ませた絶と共に、足音を忍ばせながら宿に裏手から外へと逃れ、まだ日が出始めた薄暗い宿場を後にした。

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