永劫の囚人

木穴加工

永劫の囚人

 起床を知らせるベルの鳴るきっかり5分前に、僕は目を覚ました。


 あたりを見回すと、同室の囚人たちもすでに起き上がって布団を畳み始めている。たまたま早起きだったわけではない。けたたましいベル音で心臓の止まる思いをしないよう、長い監獄暮らしの中で自然と身に着けた防衛術だ。


 この監獄に収容されて何年目になるのか、僕はもう覚えていない。つい最近来たような気もするし、もう10年以上いるような気もする。ひょっとすると物心がつく前からここにいたのかもしれない。


「塀の外のことを覚えてるか?」

 ある日僕は同室の猫目の男に聞いた。

「もちろん覚えてる」

「ちょっと説明してみてくれ」

 僕がそう言うと、男はしばらく黙り込んでから、

「言葉で説明することはできない」

 とやや困惑気味に答えた。


 やはりこの男も同じだ。

 ここの囚人なら誰に聞いても同じ答えが返ってくる。もちろん僕自身にしても例外ではない。外の世界のことはよく知っているし、そこで暮らしていたという確かな記憶もある。だが、まるで起きがけに見ていた夢を思い出そうとするかのように、イメージしようとすればするほどそれは曖昧になって消えていくのだ。


 我々は一種の記憶消去措置を受けている、と隣の爺さんは言っていた。従順な囚人に仕立て上げるためだ、というのが彼の主張だ。だが僕は納得しなかった。消すなら疑念も抱かせないほど徹底的に消すだろうし、そもそも外に出る希望があってこそ囚人は模範的になるはずだ。


「そんなこと考えても意味ないだろ」

 猫目は興味なさそうに言った。

「どうせ出られないんだから」


 猫目は模範的な囚人だ。余計なことは一切考えず、獄中生活の中にささやかな楽しみを見出すことに全力を注いでいる。楽しみと言っても、大きな羽虫を見つけただの、天井のシミが女の裸体に見えるだの、夕食の量が昨日より多いだの、そういった類のものだ。


 僕ともうひとり、駱駝背の男はそんな猫目を見下していた。

 いつかここを出てやるんだ、と駱駝背は口癖のように言っていた。囚人たちはそんな夢想家の彼を馬鹿にして笑ったが、駱駝背は決して口だけの男ではなかった。いつ手に入れたのかは知らないが、小さな金属のスプーンを使って夜な夜な監房の壁を掘っているのだ。


 駱駝背が長い月日をかけて掘り続けた玄武岩の壁には、小指の先が入るか入らないかくらいの窪みができていた。


「その調子じゃ一生かかっても無理だぜ。人生の無駄使いだ」

 と猫目は鼻で笑ったが、僕はそうは考えなかった。駱駝背の追いかけているものが朝食の粥より淡い希望だったとしても、壁のシミを数えるだけの人生よりはマシだ、と僕は思った。


 ※※※


 それからしばらくして、駱駝背は死んだ。

 死因は知らされなかった。ただ黒ずくめの男が2人やってきて、ゴミでも扱うように駱駝背の死体を黒い袋に詰めて持っていったのだ。


「ある意味、あいつは望み通り外に出られたのかもしれん」

 爺さんはそう言って一人で納得していた。


 その晩から、僕は駱駝背の仕事を引き継いだ。

 毎晩、消灯からきっちり1時間後に僕は静かに身を起こす。そしてカリ、カリ、カリと小さな音を立てながら玄武岩の壁を掘ってくのだ。


 カリ、カリ、カリ、カリ。


 スプーンを当てるたびに、髪の毛よりも細い線が一本ずつ壁に刻まれる。これは壁を掘るというよりは、といったほうが適切なのかもしれない、と僕は思った。

 まあ急ぐことはない、時間はいくらでもある。


 ※※※


 死んだ駱駝背に代わって、耳の大きい新入りがやってきた。


「外の世界を知ってるか?」

 僕は大耳の男に尋ねた。

「え、もちろんですよ」

「どんな所だ?」

「そりゃもう」

 大耳はなんでそんなことを聞くんだ、という風に笑った。

「素晴らしいところです」

「もっと具体的に」

「…」

 キョトンとして顔で黙り込む。やはりこいつも同じか。


「そいつにはあまり構わないほうがいいぜ」

 猫目が大耳に言った

「脱獄の妄想に囚われてるんだ」


 僕は反論しなかった。猫目とは口を聞くのも面倒になっていた。


 ※※※


 それから何年経っただろうか。監獄に大きな変化はなかった。


 駱駝背以降誰も死人は出ていない。爺さんは相変わらず酷い腰痛に悩まされているが、お迎えが来る気配は一向になかった。大耳と猫目は日々壁のシミについて熱い議論を交わしている。よくもまあ飽きないものだ。


 この頃になると僕はほとんど他の囚人と話さなくなっていた。

自分の居るべき世界はここではない、そう確信していた。いずれ僕はここを出る、それに引き換えこいつらは一生壁の中だ。

僕は昼の間は一人で外の世界に思いを馳せ、夜になれば壁を掘り続けた。

 壁の穴は小指の第一関節まで入るほどになっていた。


 カリ、カリ、カリ、カリ。


 ※※※


 カリ、カリ、カリ、カリ。


 いつしか、穴は肘まで入るほどの深さになっていた。


 どれくらいの年月が経ったのか。それを考えることすら僕はとうにやめていた。

 頭にあるのは、ただ目の前の壁を掘るということだけだった。答えは壁の向こう側にしかない。その思いは既に確信を通り越し、信仰と呼んでも差し支えないものになっていた。


 ガリッ!

 聞いたことのない音がした。

 慌てて穴の中を覗き込み、驚きのあまり危うくスプーンを取り落としそうになった。


 光だ。

 穴の一番奥、壁に出来た小さな亀裂の向こうから赤い光がわずかに差し込んでいた。

 震える手でスプーンを持ち直し、亀裂の周囲を力まかせに突き刺す。ひと刺しするたびにボロボロと、あの強靭な壁がまるで噓のように剥がれ落ちて行った。


 もはや音を殺すことすら忘れ、一心不乱に壁を崩していく。弱々しかった赤い光は壁はそのたびに広がってゆき、やがて僕の視界を覆った。


 ※※※


 いつの間に眠っていたのだろうか。

 目を覚ますと、見慣れない景色が目の前に広がっていた。いつもの黒い玄武岩の天井ではない、なにやら銀色の滑らかな素材でできているようだ。

 ムクリと体を起こして周りを見回すと、想像していたより遥かに広大な空間の中にいることに気がついた。


 部屋の中には黒いさなぎのような物体が、視界の遥か先まで整然と連なっていた。蛹は棺桶を一回り大きくしたような大きさで、青い光がその輪郭を縁取るように流れている。

 どうやら僕が寝ていたのもその蛹の一つらしい。違う点は、まるで羽化した後の抜け殻のように開け放たれていること、そして縁取る光が毒々しいまでの赤色だということだ。



『1DD42-EB-54F2チャンバーにてエラーが発生。補償プログラムを起動します。対象者はコンソールまでお越しください』

 耳触りの良い女性の声がした。何を言っているのかはさっぱり分からなかったが、状況から考えて僕に話しかけているのは想像に難くなかった。

 声のする方に目をやると、数十歩程向こうに虹色に光を湛えた柱があることに気がついた。柱そのものは天井と同じ銀色の素材でできており、女性の声に合わせて表面を流れる光の色を緩やかに変化させていた。

 おそらく、あれがコンソールという奴なのだろう。


 僕は蛹から降りると、ふらふらとした足取りで光る柱に向かって歩き出した。

 ここが夢にまで見た外の世界だというのだろうか? 僕がいた世界がこんなに殺風景なはずはない。あの女性に聞かなければ。



 しかし、その必要はなかった。

 半分も行かないうちに、僕の記憶が戻ってきたからだ。この場所のこと、あの声の主、僕が何者なのか、すべて答えは僕自身がよく知っていた。


 僕が生まれた時代、人類は既に太陽圏の隅々までその手を伸ばし、巨大な文明を築きあげていた。人類の科学力は既に生命を、そして惑星をも支配するに至った。

 しかし、その上辺の華やかさとはうらはらに、人類は一つの、単純かつ不可避な行き止まりに直面していた。


 太陽の寿命である。


 ありとあらゆる努力が徒労に終わった末に、人類はこれまで先延ばしにしつづけていた最終手段、太陽圏外への移民計画に着手した。

 持てる全資源をなげうって狂ったように移民船を造り、人工冬眠を施した移住希望者を次々と宇宙の彼方へと送り出したのだ。


 中でも最も試験運用的な要素が大きく、最初に出航した零番艦。公には存在しないはずの船に載せられたのは希望者ではなく、大量の無期懲役囚たちだった。その船は人類が知る限り最も遠い星々に向けて送り出された。

 航行は全てコンピュータによって制御され、予めインプットされた地球型の惑星を順番に回るよう設定されていた。たどりついた先々の星をコンピュータが各種センサを駆使して分析し、居住可能と認めれば初めて乗員の冬眠が解除されるというわけだ。



「コンピュータ」

 僕は呼びかけた。

『はい』

「出発してから何年経った?」

『423万7209年です』

「居住可能な星は見つかったのか?」

『これまで候補星62個を通過しました。そのうち居住可能な星は0個でした。現在63番目の候補に向かって移動中です』

「そこまであと何年かかる」

『5万と4370年です』


 少し早く起きすぎたという訳だ。

「僕を冬眠に戻してくれ」

『不可能です』

「何故だ?」

『この船には解凍装置はありますが、冷凍装置はありません』

 想定外の回答に僕はたじろいだが、コンピュータはお構いなしに話を進めた。

『このような事態を想定し、食料や酸素の備蓄があります。お持ちのマップに場所を記入します』

 すくなくとも船で一生を過ごすことは出来るというわけか、大した補償プログラムだ。

「それじゃあ他の、あー、僕のような」

『覚醒者』

「覚醒者が住んでいる所も記入しておいてくれ」

 僕は駱駝背の顔を思い浮かべながら言った。

『不可能です』

「何故?」

『現在、覚醒者はあなた以外にいません。ちなみに、前回覚醒者が現れたのは37万と5455年前です』

 背筋がすぅと冷たくなるのを感じた。

『ご安心ください。人類の寿命は短いですから。あっという間ですよ』

 心なしかおどけた声色でそう言い終えると、今まで表面を流れていた虹色の光が突然消え、コンピュータはただの銀色の柱に戻った。



 そしてそれきり、僕がコンピュータの声を聞くことは二度となかった。

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