終わりの先の冒険譚

埴輪

終わりの先の冒険譚

「荒れてるなぁ」


 ユーリは思わず呟く。それぐらい、迷宮ダンジョンの惨状は酷かった。


 ──古い迷宮ではある。今では、そのいわれが忘れ去られてしまうほどに。とはいえ、機能が停止してから僅か数十年でこれというのは、いかに自己修復が優れていたかという証左でもあり、少々、誇らしい気持ちにもなるユーリだった。


 ユーリは手持ちのランタンを点し、石造りの迷宮に足を踏み入れる。ところどころ、天井が崩落し、日差しが差し込んでいる。蔦やら草やらが迷宮を侵食している現場を目の当たりにして、こうして迷宮は自然に返っていくのだなぁと、ユーリはしみじみと思う。


 道なりに歩き続け、ユーリは広場に出た。もはや天井と呼べるものはなく、半ば森に飲み込まれている光景の中、お目当ての壁泉はかろうじてその姿を留めていた。もちろん、水の流れはなく、点々とした水溜まりに、苔がむしているぐらいで……ユーリは、頭を掻いた。


「……大丈夫かな」


 少し不安になりながらも、ユーリは背負っていたリュックを下ろし、テントを設営。折り畳み式の机と椅子を開いて並べ、携帯用のコンロを取り出す。持参した水を鍋に入れて沸かし、インスタントコーヒーを淹れたところで、腕時計を確認。約束の時間は、まだまだ先だ。


 ユーリはリュックからスケッチブックと鉛筆を取り出し、椅子に腰掛ける。


 ※※※


「ちょっと! そこのあなた!」


 ユーリは鉛筆を動かす手を止め、振り返った。そこには、どこで拾ったのか、長くて太い木の枝を構えた少女が立っていた。剥き出しの敵意に、ユーリはたじろぐ。


「えっと、僕は──」

「残念だったわね! ここが迷宮だったのは過去の話、今はただの廃墟なのよ!」

「だから──」

猛々たけだけしいわね」

「へ?」

盗人ぬすっと猛々しいって言ってるのよ! なんなのよ、そのテント! 椅子! それにその、何を飲んでるのよ! 何を!」

「コーヒーだけど……」

「コーヒーですって! 豆はなに! 産地はどこ!」

「えっと、どこだろう……」

 ユーリはインスタントコーヒーの瓶を取り上げ、ラベルに目を凝らす。

「どこだっていいわ、そんなの! まったく、私有地でくつろいでくれちゃって……」

「じゃあ、君は──」

「ほらっ! さっさと立ち去りなさい! ほらっ! ほらっ!」


 ブンブンと木の棒を振り回しながら近づいてくる少女。ユーリは慌てて立ち上がり、椅子の影に隠れつつ、精一杯の抗議を試みる。


「あ、あのさ! 僕は、許可を貰ってるんだけど!」

「許可ですって? 誰のよ!」

「多分、君のお爺ちゃん、かな?」

「嘘つき! こんな廃墟に、冒険者アドラーが来るわけないでよ! ああ、ここがもっと立派な迷宮なら、利用料をふんだくって、左うちわな豪遊生活が……」

「あのー……」


 ユーリに声をかけられ、自分の世界から戻ってきた少女は、ユーリをまじまじと見詰め、スカートのポケットから携帯電話を取りだした。


「あなた、そう悪い人には見えないから、特別に確認してあげる。もし嘘だったら、ただじゃおかないからね! 私のエクスカリバーで退治してくれる!」


 少女は左手でエクスカリバーを振りつつ、右手で携帯電話を操作し、耳に当てる。


「……あ、お爺ちゃん? 今、迷宮に来てるんだけど、そこに……え? そうそう、いるけど……うん……うん……うん……」


 ※※※


「申し訳ございませんでした」


 エクスカリバーを投げ捨て、ユーリの前で土下座する少女。


「……誤解が解けて嬉しいよ」


 ユーリは手を差し出したが、少女はその手を取ることなく立ち上がった。


「まさか、本当に許可を取っていたなんて……」

「そんなに珍しい?」

「珍しいも何も、初めてよ!」


 少女は周囲をぐるりと見渡し、肩をすくめた。


「お爺ちゃんがここを迷宮だって言った時、ボケちゃったのかと思ったもの」

「酷い言いようだけど、この有様じゃね」

「あなたも冒険者なの?」


 ──まだ迷宮に魔物が棲み、宝が眠っていた頃、迷宮を訪れる人は冒険者と言われていた。迷宮から魔物と宝が消えた今も、その呼び名だけは健在であった。ユーリが「まぁね」と応じると、少女は「ふーん」とユーリに好奇の目を向ける。


「わざわざこんなところにくるなんて……えーっと?」

「ユーリ」

「ユーリは変わり者ね」

「そうかな?」

「そうよ」

「……ところで、君は?」

「シェリーよ。ねぇ、何が楽しくてこんなところに来たの?」

「そこの泉に用があってね」

「泉? あの壁が? 男性用の厠だと思ってたわ」


 ……ディアナが聞いたら大笑いしそうだなと、ユーリは思う。


「水も涸れちゃってるし、何しにきたの? やっぱり用を──」

「十年に一度、満月の夜に泉は水に満たされ、月の女神が出てくるのさ」


 ユーリの言葉に、シェリーは眉をひそめる。


「……私、十六歳なんだけど?」

「え、十歳ぐらいかなって──」

「失礼ね! 私は大器晩成なのよ! このロリコン野郎!」

「どうしてそうなるの……」

「それで? 本当のところはどうなの?」

「いや、今言った通りだけど」

「……じゃあ何、ユーリは女神様に会いに来たってこと?」


 ユーリが頷くと、シェリーは小首を傾げた。


「あなた、何歳? 童顔だけど、大人よね?」

「えっと……何歳だったかな?」

「ユーリってば、変わり者じゃなくて、残念な人だったのね」

「そんな、哀れみに満ちた目で見ないでよ」

「……私も会ってみたいな、女神様」

「え?」

「この迷宮にそんな売りがあるなら、左うちわも夢じゃないでしょ?」

「いや、でも──」

「何よ、やっぱり嘘なの?」

「嘘じゃないけど、結構、遅い時間になっちゃうし──」

「また子供扱いして! ……決めたわ! お爺ちゃんにメールしとく!」

 シェリーは携帯電話に指を走らせつつ、椅子にどかっと腰掛ける。

「あら、思ったより良い座り心地じゃない!」

「それ僕の──」

「送信っと、これで良し。ユーリ、何か言った?」

「……ううん。コーヒーでも飲むかい?」

「頂くわ」


 ユーリはリュックから予備のカップを取り出すと、ポットからコーヒーを注ぎ、シェリーに手渡した。シェリーはカップに口を付けて傾けるなり、顔をしかめる。


「にがっ! 砂糖はないの? 砂糖は!」

「クッキーなら──」

「早く寄越しなさい! ……うう、よくこんなの素で飲めるわねぇ」


 ユーリがクッキーの缶を差し出すと、シェリーは急いでそれを取り出し、口の中へ。もしゃもしゃと咀嚼し、ようやく表情が緩んだ。再びカップに口を付け、「うん、これならいける」と満足そうに頷いた。ユーリはやれやれと、自分が座るためのシートを敷き始める。


 シェリーはクッキーをもしゃもしゃやりながら、荒れ果てた壁泉に目をやった。


「女神様ねぇ……まぁ、嘘だとは思うけど、本当だったら面白いわよね。この目にしっかりと焼き付けてやるんだから! 女神のブロマイドとか、女神饅頭とか、女神のキーホルダーとか、売れそうよねぇ」


 ※※※


 ──日付も変わった丑三つ時。ユーリはすやすやと寝息を立てるシェリーをテントに運び、毛布を被せてやる。さっきまで起きていたことを考えると、まだ接触は許されていないのだろうと、ユーリは思う。あと十年か、百年か……平和はいつまで続くのだろうか。


 約束の時間になった。壁泉から勢いよく水が噴き出し、瞬く間に池が満たされる。そこに満月の光が落ち、女神の姿が浮かび上がった。漆黒のユーリとは対極の、白銀の女神が。


「久しぶりね、ユーリ」

「ああ、久しぶり、ディアナ。調子はどう?」

「相変わらずよ。次のアップデートに向けて、てんやわんや。全く新しい冒険が始まるっていうんで、みんな張り切ってるけど……まぁ、実装はまだまだ先ね」

「期待しているよ」

「もう、他人事みたいに言っちゃって」

「他人事だよ。僕ができることは、全てやったからね」

「そうね。で、そっちはどう? 楽しんでる?」

「うん。当たり前だけど、どこも平和だから。バグらしいバグも起きてないし」

「あら、他人事じゃなかったの?」

「完全に引き継がれるまでは、制作者が面倒をみないとね」

「真面目ねぇ。まぁ、気の済むまで見て回るといいわ。終わりの先の世界を」

「ありがとう。そうさせてもらうよ」

「ところで、そこで寝ているお嬢さんは?」

「ジャックスとリースの孫娘だよ」

「あら、そっちはもうそんなに時間が経っているのね」

「ここが使えるのも、今回限りかな」

「まだスポットは残っているけど、もっと完成を急いだ方がいいかしらん」

「……ねぇ、ディアナ。僕たちは、いつまでこれを続ければいいのかな」


 ユーリは思う。人の暮らしをより楽しく、充実したものに……そうした人の願いから、僕たちは生まれた。だが、それは決して良い結果のみをもたらすものではなく、時には大きな悲しみをも産んだ。総じてプラスであるという自負はあれども、僕たちが介入しなくとも、人は人だけでも楽しく、充実した時を過ごせるのではないか。僕たちのやっていることは余計なお世話なのではないか。大きな冒険が終わった今こそ、終わりにすべきでは──


「いつまでもよ」


 ディアナはそう言って、ユーリに微笑んで見せる。


「それが私たちの存在疑義だし、何より、私たちがそうしたいと思っているんだから、終わりにする必要もないでしょ?」

「でも……」

「大丈夫! もし私たちが本当に必要ないとなったら、人の方が放っておかないわよ! 何年先になるかわからないけれど、私たちのことに気づく人は出てくるはず。それで争うのか、和解するのか、旅立つのか……それを決めるのは、人よ。だから今は、私たちが人のためにできること……最高の冒険を届けることだけを考えていればいいんじゃないかしら?」


 ユーリはテントで寝ているシェリーに目をやった。彼女の一生は、僕たちにとっては一瞬の瞬きでしかない。でも、その輝きは目も眩むほどで……そうか、僕たちが介入したところで、その輝きは曇らない。僕たちができるのは、その輝きと共に生きることだけだ。


「……もう時間ね。彼女ともお話したかったけど……残念だわ」

「シェリーは破天荒だから、いつか会えるかもしれないよ」

「あら、それは楽しみね。じゃあ、いつかの出会いのために」


 ディアナが手を伸ばすと、月明かりがシェリーの体を優しく包み込むのだった。


 ※※※


 ぱちっと目を覚ましたシェリーは、むくりと体を起こした。大きなあくびを一つ。体にかかった毛布を脇にやると、四つん這いになり、もぞもぞとテントを這い出す。


「おはよう」


 椅子に座ったユーリに声をかけられ、シェリーは「おはよう」と返事を返す。


「……そうだ、女神! 女神はどこ! どこだ女神! 女神-!」


 シェリーは立ち上がるや否や、壁泉まで走る。だが、そこには女神はおろか、水か流れた痕跡も見当たらず、シェリーは地団駄を踏んだ。


「ユーリ! 騙したわね! 女神のめの字もないじゃない!」


 噛みつかんばかりのシェリーに、ユーリは自身の右手首を指さして見せる。


「……何やってるのよ? 何かあるの?」

「僕じゃなくて、君の」

「私の? ……うわっ、何これ!」


 シェリーは右手首に金色の腕輪が巻かれていることに気づき、まじまじと見詰めた。


「綺麗……どうしたの、これ?」

「女神様から、君にって」


 ユーリの言葉に、シェリーは顔を引きつらせて後退りした。


「……怖っ! その手口で、何人の女の子を毒牙にかけてきたの……!」

「毒牙って……僕は女だし」

「えっ!?」


 シェリーはユーリに駆け寄ると、その胸に手を当て、ぐにぐにと揉む。


「……大きい」

「……どうも」

「いやでも、ジェンダーフリーのご時世だしなぁ」


 シェリーはユーリの胸から手を離すと、改めてじーっとユーリの顔を間近で見る。


「……でも、悪い人には見えないのよね。綺麗な肌しちゃって。可愛いじゃない」

「はは……ありがとう」

「で。この腕輪、貰っちゃっていいの? 高そうなのに」

「うん。女神様からの贈り物だからね」

「まだ言うか。でも、そういうことにしておいてあげる!」


 シェリーは朝日に腕輪を翳し、眩しそうに目を細めた。


「ねぇ、ユーリはもう帰るの?」

「お昼ぐらいまではここでゆっくりしようと思ってたけど」

「なら、私の家にこない? 朝食をご馳走してあげる!」

「いいの?」

「こんなの貰っちゃったらね。それに、一宿一晩の恩もあるからさ!」

「じゃあ、お言葉に甘えて──」


 シェリーがすっと右手を差し出した。ユーリはその手を掴み、立ち上がった。

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