最高のレクイエム

埴輪

最高のレクイエム

 別に歌わなくたって、生きていける。だけど── 


 ヒバリは足下の荷物……一週間分の食料……を指折り確認し、頷いた。


「うん、バッチリ!」


 ヒバリが顔を上げると、巨大な鳥が「グアッ」と鳴いた。翼を広げたら、この小さな空島の半分が隠れてしまいそうなほど大きい。ガルダという名前。


「また来週、お願いね!」


 ヒバリが手を振っても、ガルダは物欲しげな眼差しをヒバリに向けていた。ヒバリは「ごめんね」と手を伸ばし、ガルダの嘴の脇を撫でてやる。ガルダは一声鳴くと、鮮やかな翼をはためかせ、飛び去っていく。その風圧に、ヒバリは少しふらつく。


「大丈夫ですか?」


 ヒバリの背中を、白い手が支えた。ヒバリは「ありがとう」と、手の主を振り返る。ルインは今日も美人ねと、ヒバリは思った。同性の私ですら、見とれてしまうほどに。太古の人形は、誰もがこんなに美人なのかしらん……と、ヒバリは足下の荷物を指さす。


「これ、家まで運んでくれる?」

「かしこまりました。ところで──」

「歌わないわよ」


 ルインは「わかりました」と、荷物を持ち上げにかかる。……何がわかりましただと、ヒバリは思う。本当にわかったのなら、さっさと出て行ってくれればいいのに。


 ただ、華奢な見た目と裏腹に力持ちだから、荷物の運搬は助かってるけどねと、ヒバリは心の中で付け足す。ルインはひょいひょいと、両手に、そして頭までにも荷物を載せて、家に向かって歩き始めたが、ふと足を止め、ヒバリを振り返った。


「ヒバリさん」

「何?」

「歌ってくれる気になりましたか?」


 ヒバリはそっぽを向いた。こんなに空は青く、澄み渡っているのに、私の心は灰色の曇天模様だわ……と、苦々しく思いながら。


 ※※※


 ヒバリの歌を聴いた人は死ぬ。


 ……言葉にすればこれだけのことが、いかに大きなことをなしえたことか。

 万人の心を震わす、世界の歌姫だった彼女の歌に目を付けた科学者は、世界一優しく、蠱惑的な、殺戮兵器になりえると彼女の歌を評し、実行に移した。


 ヒバリ自身も望み、願ったことではある。自分の歌で、戦争を終わらせることを。だけど、こんな方法だとは思わないじゃないと、ヒバリは何度言い訳したことか。


 戦争は終わった。争う相手が死に絶えたのだから、終わらぬ理由はない。英雄となったヒバリの望みはただ一つ……この小さな空島で、死ぬまで生きることだった。


 なしえたことの大きさを思えば、生きるという道を選んだ自分は、随分と図々しい奴だと、ヒバリは思う。「死人に口なし」とはよくいったもので、ヒバリを非難する声は、称賛の声にかき消され……だが、ヒバリはよくよく耳を澄ませ、図々しいついでにと、大声で言ってやるのだった。人に歌を聴かせられない歌姫ほど、無様なものはないのよ、と。


 私は一人、無様に朽ちていく。それがお似合いだと思っていたのに……先月、ガルダが予定にない荷物を運んできたのだった。ルインである。


 送り主はクロード。今の技術では不可能とされるヒバリの歌を元に戻す方法を、太古の技術に求めて世界をさすらう、「自称」トレジャーハンターの男で、ヒバリの昔なじみである。別に頼みもしないのに……と、ヒバリは思う。これまでどれほどの怪しげな薬品や装置が送られてきたことか。中でもルインは、極めつけの珍品だった。


 起動後の第一声が「歌ってください」だったことを皮切りに、ルインはとにかくヒバリを歌わせようとしていた。自分は自動人形だから、死ぬことはない。だから、存分にあなたの歌声を聞かせて欲しい、と。


 理屈は通っていると、ヒバリも思う。事実、ガルダはヒバリの歌が大のお気に入りだ。ルインが人形であることも……身の証を立てるため、ルインが自分の頭を取り外した時には、思わず悲鳴をあげてしまったが……、ヒバリは納得していた。


 だが、それでも──


 ※※※


「……あんた、いつまでここにいるつもりなの?」


 昼食後、ヒバリがそう切り出すと、ルインは食器を重ねる手を休めずに応じた。


「あなたが歌ってくれるまで、私はここにいます」

「その割には、聞かないわね。私がなぜ歌わないのか」

「理由を尋ねたら、歌ってくれますか?」


 ヒバリは肩をすくめる。ルインは重ねた食器を流し台へ運ぶ。ヒバリはその背中を目で追いながら、ふと思いついた言葉を口にする。


「あんたは、どうして私に歌わせようとするの?」


 ……あいつの差し金なのはわかっているけさと、ヒバリは我ながら意味のない質問だったと後悔したが、返ってきた言葉は意外なものだった。


「あなたの歌を生で聴きたいからです」

「……あんたが、私の歌を?」

「人形が歌を聴きたいと願うのは、おかしいことですか?」

「いや……その、でも、どうして?」

「マスターは録音された過去のあなたの歌をいつも聴いておりましたが、生の歌声はもっと凄いと仰るので、私もぜひ聴きたいと願うようになりました」

「……結局、あいつのせいか。でも、それならますます、聴かせられないわね」

「なぜですか?」


 ルインは蛇口の栓を捻って水を止め、ヒバリを振り返る。ヒバリは困ったように微笑むと、自分の胸に手を当てた。


「私の歌はね、人を殺すんじゃない。人の心を殺すのよ」

「心、ですか」

「そ。動物にも、植物にも、心はあると思う。でも、人とは形が違うから、大丈夫なんだと思う。ガルダは私の歌を気に入ってくれているけど、歌詞の意味まではわからないだろうし。だけど、あなは違う。言葉を交わすことだってできるしね」

「ヒバリは、私が死ぬとお考えなのですね」

「馬鹿げた考えかもしれないけど、私はもう、自分の歌で誰も殺したくないのよ」

「わかりました」

「……ごめんね」

「謝らなければならないのは私の方です。申し訳ございません」

「ううん、そんなこと……って、何やってるの!? やめなさい!」


 腰を浮かしたヒバリの前で、ルインは自身の右目にぐいと指を突き立て、目玉を一つ、くり抜いて見せた。「なんで……」と、ヒバリは首を振った。


「これは私の命です。短時間なら外しても問題ありませんが、じきに活動限界を迎え、砕いてしまえば、二度と目覚めることもない……つまり、私は死にます」

「……脅迫しようってわけ?」

「はい。だから、歌ってください」

「どうして、そこまでするの?」

「もちろん、あなたの歌を聴きたいからです」

「……怖く、ないの?」

「怖くない、と言えば嘘になります。ですが、それ以上に、私はあなたの歌が聴きたい。命を賭ける価値がある。だからこそ、マスターもあなたの歌を──」

「負けたわ。だから、すぐにそれを戻して」


 ルインは右目を眼窩に戻し、にっこりと笑った。


 ※※※


 ヒバリはルインと連れだって、家の外に出た。ヒバリは芝生をゆっくりと歩き、ここだと決めた場所に爪先でトントンと印を付けて、振り返る。ルインはヒバリから数歩離れた場所に椅子を置き、腰掛けた。即席のステージ。ヒバリはルインに一礼し、歌い始める。


 マイクもなければ、伴奏もない。だが、ヒバリの歌声は深く、伸びやかに、彩りも豊かに響き渡る。吹き抜ける風すらもアンサンブルとなって、重厚な旋律を奏でる。


 ヒバリは歌い続ける。余計な雑音は頭から消え、今はただ、祈りを、願いを、歌という形でしか伝わらない想いを届けようと、その一心で、歌い続ける。


 ──あの時も同じだった。ヒバリは歌った。世界中に届くように、平和への祈りが、戦争終結への願いが、歌という形になって届くよう、全力で歌ったのである。


 ヒバリには、誰にも言えない想いがあった。否定しても、否定しきれない、確かな想い。戦争を終わらせたあの歌が、自身にとって最高の歌だったということを。


 それではいけない。終われない。私は殺戮兵器なんかじゃない。私は歌姫なんかじゃない。私はただ、歌が好きなだけ。だから、また歌いたい。歌わせて欲しい。同じ心の形を持つ、人の前で。その時こそ、私は……私は! 大好きな、歌を歌うのだ!


 ──ヒバリが歌い終えた時、空はすっかり暗くなっていた。息を切らしたヒバリの顔から、汗が滴り落ちる。全て出し切ったと、ヒバリは思う。今なら胸を張って言える。これこそが、私の最高の歌であると。……私は本当に、歌が好きなんだなぁ。


 パチパチパチ。立ち上がって拍手をしているルインに、ヒバリは深々と頭を下げ、顔を上げると、ルインに向かって駆け出し、そのままの勢いで抱きついた。ルインはヒバリを受け止め、その頭を撫でる。ヒバリは泣いた。子供のように、大声で。あれだけ全力で歌ったというのに、まだこれだけ声が出るのかと、自分でも驚くほどに。泣き声とは裏腹に、妙に冴えた頭でヒバリは思う。この泣き声もまた、私の歌なのかもしれない、と。

 

 ※※※


 泣きに泣き、疲れ果てたヒバリは、芝生の上で寝転び、星空を見上げていた。その隣で足を崩して座っていたルインが、ヒバリに声をかける。


「落ち着きましたか」

「ん」


 ヒバリは首を巡らせ、ルインの顔を見上げる。


「……ありがとね。また人前で歌える日がくるなんて、思わなかったよ」

「私は人形ですが」

「もう、そんな堅いこと言いっこなし」

「それでは、あなたは人前で歌を歌った、ということでよろしいですね」

「よろしい」

「承知しました。早速、マスターにプロポーズが受理されたことを伝えなければ」


 ヒバリはガバッと身を起こし、泣き腫らした赤い瞳でルインを睨みつけ、口をぱくぱくさせていたが、諦めたように溜息をついた。


「……そっか、あいつがマスターだもんね」

「条件はいつか人前で歌を歌うことができたら、でしたよね?」

「で、でも、あなたは──」

「前言を撤回なさいますか?」


 ヒバリは眉をしかめ、口をへの字に曲げていたが、とうとう、首を横に振った。


「では、失礼致します」


 すっくと立ち上がるルイン。「え、今から?」と、ヒバリも釣られて立ち上がる。


「あなたも一緒に行きますか?」

「……行かない!」

「わかりました。明日、マスターを連れて参ります。飛空機をお借りしても?」

「……もう、好きにして」

「ありがとうございます。それでは、また」


 ルインは庭先に停めてあった飛空機にまたがり、エンジンをかけると、ヘッドライトを点灯し、するりと飛び立っていく。それを見送ったヒバリは、全てあいつに仕組まれたことだったのではないかと勘ぐりつつも、百歩譲って、結婚するのは良いとしてもだ、このままではいられない、どうにかしてやらねばと考えを巡らせていた。


 ……そうだ、あいつがお爺ちゃんになって、今際の際を迎えた時に歌ってやろう。私の歌で旅立てるなら、あいつも本望だろう。最高の歌、最高のレクイエムを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最高のレクイエム 埴輪 @haniwa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ