第9話

 城下町で起こったコボルトによる争乱から、少しの時が経った。

 城下の広場に乱雑に積み上げられたコボルトの死骸。コボルトが暴れ始めた時点で、既に城下町には多数の兵士が配置されており、この暴動は街を騒がせるだけに終わった。


「包囲の輪を狭め、一匹も逃さぬようにしろ! 今日ここで、ドーゼン王国にはびこるコボルトを根絶やしにするのだ!」


 兵士長の命令を聞いた兵士たちが、隊列を組んで辺りに散らばっていく。そんな状況を、どことなく冷めた目で見ているのは、冒険者ギルドのギルド長率いるギルドメンバーたちだった。

 その根絶やしの覚悟を最初の討伐時に持っていれば、要所に敵を引き込む策などいらなかったのだ。

 国に属する行政機関として治安を維持するのが軍ならば、国に属さず金銭のやり取りにて様々なトラブルを解決するのが冒険者ギルドである。各地を放浪する冒険者の拠り所となり、様々な任務の仲立ちとなり、未開の地やダンジョンを攻略の際にはサポートする。

 本来、冒険者ギルドはこのような作戦に加わる組織ではないが、自分たちの本拠地もある城下町に敵を引き込む策、更にコボルトを探すには冒険者の嗅覚が必要だと、王直々の依頼が来ては断わるわけにいかなかった。

 ギルド長は、仲間からの冷たい視線に気づかないふりをして、兵士長に話しかける。とにかく自由を愛する冒険者は、国からの命令を嫌う。


「そろそろ、我々はお暇してよろしいでしょうか」


「うむ。後の仕事は、我々でおこなおう。ご苦労だったな」


 兵士長の感謝は、居丈高であった。冒険者から見た兵士が、四角四面で融通が効かない連中ならば、兵士から見た冒険者ギルドもまた、美味しい仕事だけにくらいつく無責任な存在でしかなかった。

 馬が合わぬ両者の間に立ったギルド長は、わかりやすいため息をついてから、冒険者たちに指示しようとする。このような、出さぬほうがいい不満げな態度も、この任務を気に食わない冒険者たちへのガス抜きに必要なのだ。

 ギルド長が冒険者たちに解散を告げようとしたその時、広場に積み上げられたコボルトの死骸の山が、一気に炎上した。


「おいおい、嘘だろ!」


 ギルド長は慌てて兵士長の元へと向かい、くってかかる。


「いきなりこんなところで死体を燃やすだなんて、なに考えてやがる!」


 コボルトの死骸は、一度広場に集めた後に、城外へと輸送し処理する手はずであった。城下町で死骸を焼かれてしまっては、発する臭いだけでなく、飛び火の心配までしなくてはならない。城下町に生きるものとして、許容できるわけがない。

 呆然と燃える死骸の山を見上げている兵士長は、ぽつりと呟いた。


「知らん」


「ああん?」


「いきなり、死体の山が燃えたのだ!」


 そんな馬鹿な話があるか! と怒鳴ろうとしたところで、ギルド長もこの状況のおかしさに気がついた。

 いくら燃えやすい獣の毛を持つコボルトとはいえ、一気に山全体が燃えるはずもない。油を撒いておくようなことをしていれば、臭いや様子で気づいている。

 炎系の魔術を使うにしても、ここまで強力な魔術をいきなり発動できるものなのか。ギルド長は、ギルドメンバーの魔術師に目配せするが、察した魔術師は首を横に振った。

 そして、コボルトの死体の山が突然爆発した。吹き飛んだコボルトの死骸は、城下の建物に飛んでいき、そのまま火を点ける。あっという間に炎に包まれ、大混乱に陥る広場周辺。城下町でコボルトを駆逐する上で、絶対に起こしてはいけない事態であった。

 コボルトが放火する可能性も考えてはいたが、一気にここまで燃え広がる状況は想定していなかった。


「兵士長! 用意していた水じゃ、全然足りません……!?」


 伝令として駆けつけた兵士は、そのまま息を呑む。この場にいる、兵士長率いる兵士もギルド長たちギルドメンバーも、同じように静止していた。

 先ほどまで、コボルトの死体の山があった場所に、人がいた。白い頬かむりに首から下げた大きな数珠。ヴォートの人間が存在も概念も知らぬ、仏教の荒法師。謎の僧侶が、仁王立ちで祈りをささげていた。


「巨人族……か……?」


 ギルド長が思わず呟く。

 常人の数倍の体躯を持つ巨人族にしては小さいが、人というには大きすぎる。現代社会であれば目をみはる巨躯も、ヴォートの人間からしてみれば変わっている程度でしかない。この辺りは、二つの世界の認識の差である。


「度し難い」


 荒法師は、滂沱の涙を流していた。彼は何事かを憂いている。だが、その憂いを問いただせるほど肝が座った者は、この場にいなかった。

 荒法師の全身から、突如爆炎が吹き出す。コボルトの死骸を燃やし吹き飛ばした炎の正体は、信じられないことに人であった。

 凶悪なまでの火炎が、唸りを上げ城下を襲った。


                  ◇


 城の広間からも、城下で突如立ち上がった火柱は目視できた。


「なんだ、アレは……」


 呆気にとられる親衛隊長。他の親衛隊も同じような顔をしている。

 そんな親衛隊の間を、高速の物体が通過した。


「ぐお!」


「がはっ!」


 遅れざまに、悲鳴を上げ倒れていく親衛隊の面々。着込んだ厚い鎧の胸部や腹部にこぶし大の穴が空いていた。鋼鉄の鎧を砕く一撃に、その下の肉体が耐えられるはずもない。

 姿をあらわす、老いた武道家。すり減った拳に道着の下の巌の如き筋肉。構えを取るその姿だけで、人は彼の厳しき鍛錬を理解し、何より慄くであろう。

 その拳は、雷の如く速く、雷の如き鮮烈。人はこの拳を、烈雷拳と呼んだ。

 烈雷拳伝承者、牙神雷堂。生死のみがルールの裏格闘技界に十年以上君臨してきた彼からしてみれば、この世界の騎士の鎧など紙、動きに至っては鈍牛以下であった。


「雷のわりに遅かったね」


 少年は「先ほどまでの怯え? あれは演技だ」と誰もがわかるぐらいスッキリとした顔で、牙神に話しかける。


「ぬかせ」


 牙神は少年に言い返しつつ、神速の貫き手で親衛隊の鎧の隙間を次々と穿つ。首筋、脇、股間。動きを阻害するため、完全な防備ができないこれらの箇所は、人体の急所でもあった。牙神は、力だけでなく技でも親衛隊の上をいく。

 牙神雷堂。彼もまた、この世界にはいらぬと判断され異世界ヴォートに送り込まれた、壱馬と同じ放逐者であった。


                  ◇


 本来ならば、城下町の中心にあるこの広場は、皆の憩いの場である。朝は子どもたちが駆け回り、昼は若者が夢や愛を語り合い、夜は大人たちが大いに酒を酌み交わす。

 だが、その広場は今、燃え尽きた跡地と化していた。

 焼け焦げた樽の後ろから、ギルド長が這い出てくる。彼は、荒法師の身体から炎が出た瞬間、即座に退いていた。もともと、名うての冒険者として活動していただけあって、判断力は健在だ。


「ぶ、無事か!」


 ギルド長が叫ぶと、背後から数人の冒険者が姿をあらわした。


「動けるのは、お前たちだけか……」


 ギルド長の声が沈む。まだ他にもギルドメンバーの生き残りはいるが、大やけどもしくは戦意喪失により使い物にはならない。

 だが使い物にならないのなら、まだマシだ。兵士長を始めとする兵士たちは、全員消し炭となっていた。実戦で鍛えた冒険者たちの判断力が、紙一重で命を永らえさせた。


「我が炎は救済。救済とは平等。お前たちは、平等を拒むか!」


 あれだけの炎を吹き出したのに、まったく無事な様子の荒法師が怒りを叫ぶ。理不尽ではあるが、万人に死を与えることこそ、彼に与えられた使命にして教義なのだ。

 かつて死を救済とし、余分な命を間引くことで世界を浄化しようとした教団があった。現代社会の暗部にて人を救済するための様々な策を講じてきたが、最終的に教団は、彼らが救世主と見定めた男の反逆により壊滅した。

 絶人教団四天王、火葬法師。教団の幹部にして生き残りである。教団が壊滅しても、放逐者として異世界ヴォートに送り込まれても、彼の信仰にゆらぎはなかった。


「ギルド長、コイツは俺たち向きの相手なのでは」


 立ち向かうか、それとも逃げの一手か。悩むギルド長に、付き合いの長い剣士がささやく。


「見たことのない魔法を使う相手ですが、魔族やモンスターだと思えば、単に強いだけの怪物です。人の形をした火竜、その程度だと思っていればいい」


「そう、だな……」


 未知の怪物を相手することこそ、冒険者の真骨頂である。剣士に言われ、ギルド長は残ったメンバーを確認する。後衛の弓使いに魔術師、前衛の剣士と戦士。全員、先ほどの猛火から瞬時に逃れただけのことはある一流揃いだ。

 前衛がもう少し欲しいが、それを補える人間はいる。引退後もずっと腰に挿していた、愛用のダガーを構えるギルド長。もうしばらく現場には行ってないものの、疾風とまで呼ばれたダガー捌きは衰えていない。そう自負していた。


「行くぞ!」


 こちらににじり寄る火葬法師と対峙する、ギルド長率いるパーティー。まずは、後衛の魔術師と弓使いが牽制する。そう思い、後ろを振り向くと、後衛の二人が消えていた。


「なっ!」


 まさか、このタイミングで逃げたのか? いいや、あの二人は、そんなことができる人間ではない。混乱するギルド長たちに、すぐに真実が突きつけられる。


「あー……!」


 か細い声とともに、魔術師が空から落ちてきた。頭から落下してきた魔術師の身体は、赤い染みとなって石畳を染める。いったい、どれだけの高さから落ちれば、ここまで原型を留めない死に様になるのか。

 見あげた先の空。この城下町で一番高い王城すら見下ろす高さに、金属の翼を持つ謎の鳥がいた。


「クアーッカッカ! 頭上注意というのは、この世界には無い言葉なのかな!?」


 いや、鳥ではない。フクロウを模した仮面をかぶり、鋼鉄の翼で空を飛ぶ、謎の男であった。洒落た貴族風の豪華な衣装を着た男が、肩幅の何杯もありそうな大きな羽を広げ、ギルド長たちを見下ろしている。赤いコートと白いフリルの着いたシャツ、宝石のいやみったらしいアクセサリーが日に当たりまばゆかった。


「なんだアレは……」


「魔術でも、有翼人でもない。なぜアレで、空を飛べるんだ……」


 ギルド長と剣士は、空を飛ぶ謎の貴族を呆然と見上げる。

 ヴォートの人々は、翼についた噴射口や背にある装置が吐き出す蒸気を理解できなかった。それは、彼に捕まってしまい、カタカタと震える弓兵も同じであった。自分は今、得体のしれなさすぎる力で、上空に連れてこられた。もはやこうなっては、冒険者の判断力など、役に立つものではない。

 謎の貴族は、上空から堂々と名乗った。


「はじめまして! 吾輩の名は、ホーンドオウル! そしてさようなら!」


 ホーンドオウルの姿が消えた瞬間、戦士の身体が吹き飛んだ。ホーンドオウルが突っ込んできたのではない、ヤツは弓兵の身体をそのまま戦士めがけぶつけたのだ。

超高速の飛行にて射出されることで、弓兵の小柄な身体も戦士を砕くほどの威力を持つ。あの男の飛行速度は、疾風なんて域を軽く超えている。

 ホーンドオウル、背負う蒸気式の鉄の翼で空を自在に飛ぶ、空飛ぶ泥棒貴族である。自分の欲しい物のためなら強盗も殺害もいとわない彼もまた、異世界ヴォートに放逐された悪党の一人だ。

 二人がホーンドオウルに注目しているうちに、火葬法師はギルド長と剣士の前に迫っていた。

 矢継ぎ早の放逐者たちの出現に混乱してしまった剣士は、退くことを選ばず剣を振るうが、その剣は火葬法師の身体に触れた瞬間、溶解してしまった。

 火葬法師は大きく足を振り上げると、剣士をぞんざいに踏みつけた。


「ぐぁぁぁぁ!」


 熱と圧力により、剣士は短い断末魔を残し潰れてしまう。

 この場に残った戦力は、もはやギルド長のみであった。

 火葬法師の頭上に移動したホーンドオウルが、ギルド長に話しかける。


「ふうむ、今から君には二つの選択肢が与えられる。それは、墜落死か焼死か。どちらにしろ、一瞬だがね。だが、喜ばしいことに、特別チャンスで第三の選択肢があるのだよ! それは、吾輩に、金目の物の場所を教えることだ!」


 突如、ホーンドオウルを炎が襲う。


「救済たる死を汚すか、不心得者よ!」


 地上の火葬法師が、回避に成功した上空のホーンドオウルを怒鳴りつける。

 死を救済とし、崇高とする彼にとって、ホーンドオウルの申し出は侮辱的であった。


「おお怖い! ならば、吾輩は自分で金目の物を探すとしよう。クアーッカッカ!」


 ホーンドオウルは笑い声を残し、どこかへと飛んで行ってしまう。

 これで敵はひとまず一人となった。ギルド長は、目の前の火葬法師を睨みつける。


「死は救済である。定めが迫りしこと、これは喜ばしい」


「ふざけるなよ」


 ダガーを構え、火葬法師の熱に向き合うギルド長。コイツが何者かは知らないが、定めなんてものに納得するようなら、冒険者なんて道を選んでいない。たとえ、どのような窮地でも、目をそらすことなく立ち向かってきたからこそ、今の自分は在るのだ。

 そんなギルド長の覚悟を見た火葬法師は、頭巾の下から哀愍に満ちた目を覗かせていた。


「だが、貴様に下されし救済は、良きものとは言えぬ」


 じわりと、急激な熱さがギルド長の横腹を襲った。


「なに……?」


「ブシャー! ガルルルル!」


 目をランランと輝かせたコボルトが、ギルド長の横腹に噛み付いていた。唸り声を上げ、噛み付いた口からよだれが溢れ出す様は、もはやコボルトとは別の魔物にしか見えない。やつらとて、ここまで狂っていない。噛みつきは、獣の技である。

 猛り狂うコボルトたちが、戦闘不能となったギルドメンバーを次々と襲っている。そのやり方は、目を背けたくなるくらいに残虐にして悲惨。ギルド長が積み上げてきた成果が、陵辱されている。

 ギルド長を取り囲む、コボルトたち。彼らは皆、かの少年から渡されたおクスリを摂取していた。理性を吹き飛ばし、身体機能を数倍に高めるおクスリの力により、戦局は一気にコボルトたちの方に傾いていた。これから先、定期的におクスリを摂取しなければ生きていけない身体になったことなど、勝利の前では些細なことである。

 ギルド長に次々と食らいつくコボルトたち。もはや、いくらダガーを振り回しても、どうにかなるはずもない。ギルド長の身体が崩れても、コボルトの牙が離れることはなかった。


「南無」


 祈る火葬法師の炎が、動けなくなったギルド長とコボルトを一緒くたに焼く。

 この炎は、間違いなく救済の炎であった。


                 ◇


 おクスリの力により、一気に凶暴化したコボルト。

 一騎当千の力を持つ、放逐者たち。

 二つの予想外による混乱は、ドーゼン王国の城下町を本当の混乱に陥れていた。

 逃げ惑う人々と、忙しく駆け回る兵士たち。そんな城下町にて、唯一静かな存在が、王城を見上げていた。

 長くボサボサの髪に、この世界ではそれなりに値が張る眼鏡をかけ、この世界にはない白衣を羽織った小柄な若き女性。彼女は眠たそうな目で、ただ立っていた。


「おい、お前、こんなところで何を……!」


「この妙な格好、コイツもコボルトの仲間じゃないか!?」


 彼女の存在に気づいた兵士二人が、女性めがけ槍を構える。女性は、手を白衣のポケットに突っ込んだまま動かない。動いたのは、白衣の下から出てきた、白く太いイカの触手であった。

 二本の触手は、兵士二人を容易く弾き飛ばす。女性は我関せずとばかりに、ずっと城を見上げていた。


「くだらない」


 ぼそりと呟く女性。彼女は火葬法師やホーンドオウルのように、この状況と異世界に適応しきれていなかった。

 正体も身分も明かさぬ、通称“博士”。わかっていることは、彼女もまた山下の手により送り込まれた放逐者であることだけだった。


                  ◇


 玉座の広間。もはや城の中に居ても、今この城と城下町で何が起ころうとしているのかは明白であった。

 言葉を失った広間にて、一人意気揚々としているのは少年だけであった。


「なんで、村で何日も騒いでいたのか。あれだけ大騒ぎすれば、ボクみたいにこの世界に追放された放逐者が寄ってくると思ったからさ! 知らない世界に放り出された以上、妙な騒ぎは見逃せないだろうしね!」


 どんな人間でも、一人で城を落とすことは不可能である。

 コボルトという兵力を手にしても、まだ足りない。

 少年がここで選んだ選択肢は、自分と同じように、向こうの世界の尺度から弾かれた放逐者を集めることであった。そして、その計画は上手くいった。多少非協力的な者はいるが、牙神、火葬法師、ホーンドオウルの三人は今の所協力してくれている。

 兵力という人手と、放逐者という戦力。この二つを揃えて、ようやく少年はドーゼン王国にギャフンと言わせることができた。

 少年は、じりっと王の方に歩を進める。王も王女もビクリと震えるが、立つことが出来ない。立つことが出来なければ逃げられない。それは、一歩退いた生き残りの親衛隊も同様であった。

 唯一、踏みとどまった親衛隊長が震える声でたずねる。


「お前たちは、何者なんだ……」


「異世界人だよ! 一緒に遊ぶために、わざわざ呼んだんだろ!?」


 顔に力が入り、語気も強くなっている少年。

 思うがままに事が進むたび、彼のうちにある本性が美少年の皮を破り、その内から噴き出そうとしていた。


「うぉぉぉぉぉ!」


 今のこの状況への怒り、それ以上に、この異世界人をこれ以上生かしておいたら大変なことになるという直感が、親衛隊長の萎えかけていた闘志に火を点けた。

 親衛隊長は、剣を振りかざし少年に襲いかかるが、その剣も鎧も関節も筋肉も骨も、瞬時に砕け散った。


「ふぅ」


 連撃を打ち終え、一息つく牙神雷堂。

 数秒の間に炸裂した拳は、およそ八十四発。烈雷拳の連撃は、相手が痛みを感じるより先に、肉体を破壊してしまうのだ。

 少年はずっとつけていたアーマープレートを脱ぐと、よろめき倒れようとする親衛隊長を、直接アーマープレートでぶん殴った。

 殴られた親衛隊長は、ただ崩れ落ちるよりも、遥かに深刻で無様に。まるで、糸が切れた人形のごとく床に崩れ落ちた。

 少年は満面の笑みを浮かべ、爽やかに話す。


「勇者ごっこって、最高だね!」


 嫌味でも冗談でも見栄でもなく、心の底から出た本音であった。


                  ◇


 理性を失ったコボルトが暴れ狂い、放逐者たちが各所の頭を潰すことにより、ドーゼン城と城下町は完全に機能を喪失していた。人を率いる立場の人間が減り、状況が危うくなれば、裏切りや逃亡が浮き出てくる。

 混乱と困惑の悲鳴や絶叫があちこちから響き反響している玉座の広間に、ホーンドオウル、火葬法師、牙神雷堂、三人の放逐者が集結していた。

 いや、玉座にゆうゆうと座っている少年を加えて四人か。


「あれ? 博士は?」


「くだらないから、寝ているそうだ」


「そうかあ。どうもあの人とは路線が合わないみたいだね。わかりあいたいんだけどなあ」


 唯一不在である博士の居場所を聞く少年と、答えるホーンドオウル。城の宝物庫でも漁ったのだろう、ホーンドオウルの格好は更に宝石や金で飾り立てられていた。

そんな二人のやり取りを、エルダーコボルトが少し離れたところから見ていた。

 敵わぬと思っていたヒューマンの国が、こうも容易く落ちてしまった。魔王や魔族とて、こうも鮮やかにはできまい。

 放逐者とは、いったいなんなのか。他にこのような連中が、まだヴォート大陸をうろついているのか。いったい、どうすればいいのか。いや、これから我々コボルトはどうなるのか。

 エルダーコボルトの優れた頭脳でも、先の答えをはじき出すことはできなかった。

 エルダーコボルトと玉座の少年の目線がかち合う。少し前から少年はじっとエルダーコボルトを見ていたのに、考え込んでいたエルダーコボルトが気づかなかったのだが。とにかく、ここで二人の目線がかち合った。


「座る?」


 少年は腰を浮かし、ちょいちょいと玉座を指差す。


「イイヤ……」


 首を横に振るエルダーコボルト。先ほどまでそこに座っていた男の哀れさを見てしまった以上、とても座る気にはなれなかった。


「ああそう。ボク、王様とかそういう面倒なのが似合うキャラじゃないんだけどなー」


 広間の隅にいる、ドーゼン王をみる少年。とうの昔に気絶した王女を抱きかかえた王は、少年の目線に気づきビクリと震える。少年は玉座から王をどかした後、何もしなかった。ここにいろとも、出て行けとも言っていない。

 ただ、柔らかな笑みで王様を見ているだけだ。その柔らかさは、王の意思と動きを完全に絡め取っていた。結果、王は動けず、ただ広間の隅にいる。


「聞きたいことがあるのだがね」


 ホーンドオウルが、挙手をして少年に尋ねる。


「なに?」


「我々はこうして君の計画に乗ったわけだが……そもそも君は何者なのかね? 我々と同じ、放逐者である以上、なんらかの悪行で名を成した人間とお見受けするが」


 ホーンドオウルも火葬法師も牙神雷堂も、それぞれ活躍の分野やフィールドが違う放逐者であるが、少年は会話のみでバラバラな三人をまとめあげた。それだけではなく、この世界の住人やコボルトすら手玉に取っている。

 ただの少年とは、到底思えない。それは、三人の共通の意見であった。


「うーん……」


 少年は悩んだ様子を見せてから、ペンを取り出すような気軽さで、ちぎれた他人の片腕を取り出した。これは、さきほどぶちのめした親衛隊長の腕である。

 少年は、血がべっとりとついた親衛隊長の腕、その手のひらを唐突に自分の顔に押し付けた。何度も、何度も。そうしているうちに、少年の顔は紅く染まった。その染まり方には、指紋の跡や不均等さがあって、生々しいおぞましさがある。


「これでわかるかな?」


 わかるかなと言われても、その不気味さしかわからない。火葬法師と牙神が疑問符を浮かべる一方、ホーンドオウルはぺたんと床に座り込んだ。端的に言えば、腰が抜けていた。


「ま、まさか貴方は、レッド……さんだったんですか!?」


 ホーンドオウルの口調から、芝居がかった虚勢が消えかけている。れっきとした犯罪者であり、殺しも厭わぬホーンドオウルが、まるで一般人のように怯えていた。


「我は知らぬ」


 火葬法師が率直な感想を口にし、牙神もゆっくりと首を縦に振る。

 なんとか起き上がったホーンドオウルは、火葬法師に食って掛かる。


「ああ、そうだろうね、テンプルファイター! この方は、アメリカにうじゃうじゃいた自称ヒーローをすべて殺して、全米のドラッグ業界を仕切ってみせた超大物なのだよ!」


 幸福のドラッグ王、レッド。本名不明、正体不明。わかっているのは、他人の血手形で染めまくった顔と、彼が常人であることのみだ。

 自作のドラッグを手に、アメリカに突如現れたレッドは、またたく間にドラッグ業界を制圧。多大な財力と権力を手にした。大統領の悪口は堂々と言えても、レッドの悪口は口が裂けても言えない。犯罪業界で、まことしやかに囁かれているフレーズである。

 そんなレッドを倒すために、各地の警察やFBIにCIA、そして超常的な力を持つヒーローたちが立ち上がったが、レッドはそれらすべてを制圧してしまった。地球を割る怪力も、IQ数万の知性も無いが、レッドは立ち回りだけで勝者となってしまった。


「でも、レッドさんはもっと違う、普通の男でしたよね? その若さはいったい!?」


「この世界に追い出される際、顔も身体も整形したのさ。見た目が若いほうが、この異世界で上手く立ち回れるって聞いてね。実際、それは正しかったよ」


 思わず敬語になってしまったホーンドオウルの質問に答える少年、改めレッド。

 この少年の正体は、ドラッグ王のレッドという男が、心身共に整形した後の姿である。当然、年齢も外見より遥かに上だ。


「ああ、新しい遊び場に、新しい立場。あの人の申し出に乗って、正解だったよ。ボクはね、この世界をまるごと……ハッピーにしたいんだ!」


 レッドは服の中から取り出した、カプセルや粉末、手持ちのドラッグを思いっきり天に投げる。紙吹雪のように玉座に降るドラッグの雪。恐怖、呼応、尊敬、興味。この広間にいる全員が、レッドに強烈な感情を抱こうとしていた。

 放逐者の中でも、レッドは特別な扱いであり、立場でもある。なにせ彼は、敗者ではなく、勝者のまま、この世界に来たのだから。

 芽生え始めたハッピーの鼓動にウキウキするレッド。

 ふと、この異世界ヴォートに来る直前に出会った、中身もハッピーもない男を思い出す。そういえば、アイツは来なかった。あの男は、この楽しい異世界で、今をどう過ごしているのだろうか。

 違う道を歩むのであれば、どうせならこちらが羨むくらいの、台無しにしたくなるくらいのハッピーを作っておいて欲しいものだ。

 どうせ、あんなつまらない男には無理だろうが。

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