第8話

 闇が更に深くなった深夜、ひたひたといくつもの足音が村へと向かっている。

 しげみや木陰を経由し、村に向かう一団。その正体はコボルトであった。雌が死滅し、己の未来が無くなったことを自覚した瞬間、その凶暴性は更に増していた。

 そんな心境でも、隠れながら進むという選択肢が取れるのだから、本能とは恐ろしい。だが、今回こうも冷静な行動を取れている最大の理由は、優れた指揮官の存在であった。

 人間に劣らぬ立派な体躯を持つ二匹のコボルトを護衛としている、長いひげが特徴的な老いたコボルト。腰を曲げ、杖をつくその姿は、まさしく老人そのものである。

 通称エルダーコボルト。コボルトの群れを率いる長老であり、通常のコボルトより遥かに長く生きた結果、身体の老いと引き換えに高い知能を持っている。本来ならば、群れの最後方、住処の奥に控える存在であり、こうして表に出てくることは皆無である。

 コボルトたちは、村の門が見えてきたところで、異変に気がつく。

 村が明るい。単に明るいのではない、必要以上に明かりが灯され、楽しそうな笑い声にあふれている。これは、祭りの明るさである。

 唐突な明るさに戸惑うコボルトたちを出迎えたのは、閉じた門の前に一人立つ異世界人であった。


「やあ、どうも。はじめまして」


 松明を手にした少年はニコリと笑う。数日間、宿にこもっていたのに、その肌も笑顔もつやつやしている。これは、やり遂げた人間の顔だ。


「招待に応じてくれて嬉しいよ。ヒゲのキミがエルダーコボルト? 群れのトップで、文字も読めるし言葉もわかるんだって?」


 コボルトは言葉を話せず、字も読めない。だがこれは、普通のコボルトの話である。指揮官クラスであれば、言語を話すことは出来なくても聞き取る程度のことはできるし、群れの長ともなれば、言語や文字を解し、簡単な呪文を使える者もいる。

 少年のこの知識は、女魔術師からの受け売りである。

 エルダーコボルトは、この無害そうな少年を前にして、恐る恐る慎重に口を開いた。


「ウム。ワレはオサだ。ワレらコボルトのカシコキモノは、ヒトのコトバとジもワカル」


「それはスゴいね。トークはできても、この世界の文字は書けないボクより学があるよ。なんでトークは大丈夫なんだろうね? 異世界のフシギ百科事典だね」


 ハハハと笑う少年。そんな少年の無邪気さを前に、エルダーコボルトは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 少年はエルダーコボルトの様子に構わず、話を続ける。


「だから、招待状を書くのも人任せ。ついでに、届けるのも人任せ。この世界でのボクは、人の暖かさで生きてるようなもんだよ。キミたちもこうして来てくれたしね」


「マサカ、アレをタニンに。いや、ホンニンにやらせたのか……!?」


 エルダーコボルトは目を見開く。

 コボルトたちは、少年の招待状を受け取り、ここまで来た。それは、招待状の文面に感動や納得を得たわけではない。こんなものを寄越す者を見定めねばならないという、危機感からだった。危機感は、一族のうち、もっとも賢く判断力に長けたエルダーコボルトを引きずり出した。

 コボルトたちは数匹がかりで運んでいた袋を、少年の前に投げ出す。もぞもぞと動く袋、袋の中からゆっくりと出てきたのは、全裸の女魔術師であった。

 少年は大きく手を広げ、女魔術師を大仰に抱きしめる。


「ああ、無事だったのか!」


「はい……わたし、やり遂げました……」


 弱々しく笑う女魔術師。その白い肌のいたるところに、この世界の文字が傷として刻まれていた。少年が字がわからぬ。だから女魔術師は、自ら刃物にてこの文字を自分自身に刻んだ。


「キミが帰ってきてくれてよかった。始めは王様の命令だったとはいえ、キミは大事なお付きでパートナーだからね」


「昨日今日会って、しかも隠し事まであったわたしを、そこまで信頼してもらえるだなんて。感激です」


 大事なパートナーに自傷するよう命じた少年と、そのことに反発ではなく感謝する女魔術師。もともと、ふらふらと全裸の女魔術師が洞窟に踏み入ってきた時より異常は察していた。あまりの異常に毒気を抜かれ、刻んであった文字の指示通り来てみれば、見せられたのは、さらなる異常な光景である。

 言葉と状況を理解するエルダーコボルトだけでなく、言葉もわからず知恵も回らない普通のコボルトですら、この二人のやり取りにおののいていた。

 この二人が、どんな人生をここまで歩んできたのかは知らない。だが、この少年と女魔術師は先が無い自分たちより壊れている。エルダーコボルトは、そう確信した。

 少年は女魔術師になにやらクスリを飲ませて落ち着かせた後、コンコンと軽快に村の門を叩く。

 それだけで、今までコボルトのどんな猛攻にも耐えた扉が、あっさりと開いた。


「正体に応じてくれたんだから、オモテナシをしないとね。ボクには裏もないので、完璧さ。さあ、村の中にどうぞ」


 少年は率先して村に入り、女魔術師も続いていく。少なくとも、入り口に罠はないようだ。門が開いた瞬間、壁の向こうから聞こえていた騒がしさは、さらに大きくなった。

 騒がしさに当てられ、コボルトたちは飛び跳ねんばかりにいきり立つ。だが、彼らにはまだ、エルダーコボルトの指示を聞くだけの理性が残っていた。

 考え込む、エルダーコボルト。

 あまりに突拍子のない招待状、直接言葉を交わした際に感じた破綻。エルダーコボルトの目を持ってすら、少年の価値や今の状況を図ることができなかった。

 このまま、洞窟に帰るべきだ。おそらく、それが正しい選択だ。あの少年は、怪しすぎる。魔王の直臣とて、あれほどの怪しさは持ち得まい。

 しかし、逃げてどうなるのか。どうせ滅びる定めとして、道連れを増やそうと暴れまわってきておいて、今更、村の中に堂々と入れる折角の機会を見逃すのか。


「……イクゾ」


 エルダーコボルトの決断は、前進であった。もし先に待ち受けているのが死だとしても、ならば死ぬまで暴れるだけだ。

 エルダーコボルトは、おののく心を抑え込み、コボルトを率い村の中へと足を踏み入れた。


「ようこそ! ボクによるみんなのためのハッピーなフェスティバルに!」


 村の中の光景を見た瞬間、エルダーコボルトは猛烈な吐き気に襲われた。

 人間など、その皮を剥げば動物と変わらない。そう思っていた。

 しかしながら、今、嬌声あふれる村で繰り広げられている光景は、エルダーコボルトの想像を越えた狂宴であった。裸の女の集団が裸の獣人を追い回し、威厳あふれる髭の紳士は建物の屋上で吠え狂い、老婆の胸を中年の息子らしき男が赤子のように吸っている。

 呆然とするエルダーコボルトの脇に落ちてきた、二つの死骸。珍奇な格好をした傭兵が、何かを競うように頭から落ちてきた。この見張り役の傭兵たちをどうにかかいくぐれないものかとさんざん悩んだのが、とてつもなく愚かなことに思えてくる。


「な、ナンなんだコレは……」


 よろめくエルダーコボルトを、付き従う巨躯のコボルトが慌てて支える。

 そんなエルダーコボルトの脇を、残りのコボルトたちが駆け抜けていく。


「マテ! オマエら!」


 エルダーコボルトはコボルトを静止しようとするものの、コボルトたちは聞く耳を持たなかった。コボルトたちは武器を手に吠え狂い、狂宴に突入する。生物としての性質上、彼らが長であるエルダーコボルトを無視するのは異常事態である。

 理性と知性がない空間では、人間もコボルトも平等である。

 呆然とコボルトたちの狂乱を見つめるエルダーコボルト。そんなエルダーコボルトに、少年は軽く頭を下げる。


「ゴメンね。キミたちがどう見ても鼻が良さそうなのを忘れていたよ」


 まず、いたるところにある村の篝火に、自ら調合したクスリを投げ込む。怪しい煙により混乱をきたし始めた村人を口八丁手八丁でだまくらかし、強烈な効果を持つクスリを更に投与する。

 この村をハッピーに堕とすにあたり、少年のとった手段は用意周到で段階的だった。コボルトが煙の残り香を吸ってしまい凶暴化したのは予想外だったが、予想外のことがあってこそのハッピーだ。


「向こうの世界からこっそり持ち込んだとっておきも一緒に使ったからね。ちょっと効果が強すぎたかも。でも、ちゃんとお話したいキミに効かなくてよかったよ」


 年をとったことで嗅覚が衰えていた。身体が大きいため、クスリの効きが悪い。エルダーコボルトとその護衛の二匹がクスリの効果に当てられなかった理由はわからないものの、結果オーライなのでそれでいい。少年は、真相を探る探偵でも、過程と結果を考察する学者でもないのだ。

 エルダーコボルトはか細い声で、少年に問いかける。


「オ、オマエはナニモノなんだ……ワレワレをどうしたいのだ……?」


 少年はすぐに答えず、ニッコリと笑みを浮かべ、エルダーコボルトに近づいていく。ただの何気ない仕草なのに、その歩みからは目が離せなかった。狂乱の村内から、浮き出るような異様。エルダーコボルトも護衛のコボルトも、動くことができなかった。

 少年の手がエルダーコボルトへと延び、その肩を気安く叩いた。

「どうせ派手にパーッと滅びるのなら、ボクの勇者ごっこに付き合ってもらえるかな?」

 人間の悲鳴と、コボルトの雄叫びがすぐ近くから聞こえてくる。

 飛来した血が、べっとりと少年の頬に貼り付く。だが、少年の創られた満面の笑みは、一切揺らがぬままだった。


 宴は日が昇っても終わりとならず。村人の身体と心が潰えるまで続いた。


                  ◇


 ドーゼン王国。大国が揃う中央から離れた国の中では、気候も政情も比較的安定した国家である。元首たる国王は凡庸ではあるものの、比較的落ち着いた情勢を保ちつつ、ヒューマン以外の人種で作られた無境の村との外交もそつなくこなしていると、それなりに上手くいっていた。

 近年の失策といえば、コボルトの駆除に失敗したことぐらいだ。

 国の中枢たるドーゼン城は、城壁が町ごと囲んでいる城塞であり、様々な商店に大きな宿屋に冒険者ギルドと、この地方における中枢でもある。

 ドーゼン城の中央、大きく開けた玉座の間。部屋の入口から玉座まで敷かれた赤い絨毯の終点にて、かの異世界からの勇者として扱われた少年が頭を垂れていた。


「よくぞ戻った、勇者よ……」


 王の声は、勇者を出迎えるにしてはか細い。

 玉座の隣の椅子に座る可憐な王女も、王の間を守る数人の兵士たちも、皆、全員が戸惑っていた。戸惑いがないのは、にこやかな笑みを浮かべている少年と、彼に付き従う女魔術師だけだ。


「ありがとうございます。一生懸命、頑張りました」


 お決まりと言わんばかりの口上を述べる少年。王の目は、自らが付けた女魔術師へと移る。王の視線に気づいた女魔術師は、少年に続いて話す。


「勇者様は素晴らしいお方です。この方がいれば、この国は……いえ、この世界は変わるでしょう」


「そ、そうか」


 女魔術師の熱の入った口調に、王は気圧される。打ち合わせにもなかった台詞、ありえない勇者への熱意、そして肌の至るところにある文字のような無数の切り傷。女魔術師の変貌はひと目でわかった。


「わけのわからないまま、この世界に呼ばれて、戸惑ってましたが……彼女と出会えただけで、この世界に来て良かった。今ではそう思っています。ボクたちは、幸せ者です」


 少年の口調にもまた熱がこもっていた。熱に当てられたかのように、女魔術師の頬が赤くなる。

 少年は立ち上がり、天を仰ぐ。


「だから、王様もみんなもハッピーになりましょう!」


 少年が叫ぶと同時に高台の窓が割れ、エルダーコボルトとお付きの二匹のコボルトが、玉座の間に飛び込んできた。お付きの二匹が、落下の勢いのまま兵士たちを殴り倒す。身体がデカイだけあって、その戦闘力は並以上である。

 一方その頃、城下にも無数のコボルトが出現し、やたらめったらに暴れていた。コボルトが城下に入れるよう手引したのは、当然少年と女魔術師である。エルダーコボルトによりかき集められた周辺のコボルトは、皆城下町に集結していた。

 王様も王女も驚きを見せるものの、二人は玉座より動かなかった。動かぬ二人に、二匹の巨大なコボルトがにじり寄っていく。


「バレバレなんだよ、お前ら」


 突如、玉座の近くにある柱の後ろから聞こえてくる声。玉座に辿り着こうとしていた二匹のコボルトが、脳天から真っ二つにされ息絶えた。

 柱の陰から突き出てきた刃は、続けざまに少年を狙う。


「おっと」


 少年は、ためらいを一切見せず、女魔術師を盾にした。女魔術師は、今自分がどうなっているのかわからないまま、袈裟懸けに一刀両断された。


「キミと出会えて、本当に良かったよ。一度ぐらい、魔術師の名に相応しい呪文を見てみたかったな」


 女魔術師の死体に微笑む少年。その笑顔には、後ろめたさが一切無い。この少年は、本気でそう思っているのだ。名前すら知らぬほど興味無き相手でも、感謝することには差し支えない。

 少年とエルダーコボルトを、槍の穂先が取り囲む。玉座の間の柱や彫刻、いくつもある物陰には完全武装の騎士たちが隠れていた。黄金で縁取りされた白銀の鎧で身を固める彼らこそ、ドーゼン王国における最精鋭部隊の親衛隊だ。

 そして、巨躯のコボルト二匹をほぼ同時に両断した、王に一番近いところに隠れていた騎士こそが親衛隊を率いる親衛隊長であった。


「夜通し村で大騒ぎしやがって。アレだけ騒いでいれば、何かおかしいって気づくに決まってるだろ。玉座の間は親衛隊で包囲済み。城下町にも、既に兵士は配備済み。異世界人やコボルトごときの浅知恵なんて、通じるわけないだろ」


 親衛隊長は血がしたたる剣、その切っ先を少年とエルダーコボルトに突きつける。

 勇者ごっこのメインとなる撮影役は女魔術師だったが、他にも監視する目は複数あった。少年のあまりにとっぴな行動による戸惑いは即座の対応を躊躇させ、結果、少年の暴走への対応は、王城でおこなうことになってしまった。


「ヌウ……」


 悔しげな顔をしているエルダーコボルト。


「そ、そんなあ……」


 一方少年は、情けなくへたり込む。小便すら漏らしかねないその情けなさは、王や王女、親衛隊員たちの嗜虐心を刺激する。このような、天狗の鼻が折れる瞬間こそ、異世界人をおだてあげそのまま落とす、勇者ごっこの真骨頂であった。


「だが、お前のおかげで、各地で暴れ狂っていたコボルトをここで一網打尽にできた。敵を喉元までおびき寄せる危うい策とはなったが、一応は功績だ。異世界の勇者よ、働きの礼として、一息で殺してやろう」


 へたり込み、顔を下に向ける少年に向け、剣を振りかぶる親衛隊長。さながらそれは、処刑人と死刑囚のような構図だ。

 この時、親衛隊長が少年の顔を見ていれば、彼の運命も国の運命も変わったであろう。

 人をおだてあげ、落とす。やはりこれは、面白い遊びだ。

 死を間近にした少年は、蕩けるほどの恍惚を得ていた。

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